温暖期の昼間にあってなお寒いポッケ村。
 フラヒヤ山脈の麓にある小さな村。
 その入口に一番近い家。
 藁葺き屋根の下、あるのは簡素なベッドと囲炉裏。
「寒い……怠い……」
 ベッドの上には、病人一人。
 まぁリィなのだが、案の定風邪が悪化した。

 潤む紫の瞳。熱で桜色に上気する頬。
 訴える寒さは、気候のせいでは決して無い。
「今が温暖期で良かったな。でなければ今頃凍死か心臓麻痺だ」
 彼女の横で氷嚢を準備する痩身白髪交じり男性は、ここの村付きハンター。
 ただし頭に「元」がつく。

 その男の直ぐ横に、もう一人、いや一匹か。や、獣「人」だから一人でいい。
「ニャア……」
 ネコは凹んでいた。大いに凹んでいた。
 ……この人が今、熱にうかされているのは自分のせいだと。


   ――――『神とネコと英雄と』―――
        黒ネコ、大いに凹む

 ふと、奥のキッチンから良い匂いがしてきた。
「お粥、出来ましたニャー」
 出てきたのはコック帽を被った黄虎ネコ。
 クリスタルと言う名のコックネコ。
 黒ネコ、本当はお手伝いしたかったけど追い出された。
 意地悪でなく雪山アイルーの悲しさ、抜け毛対策しないとダメニャと。
 ブラッシングにだって、限度はあるニャと。

 粥を受け取ったハンター、匙をつける前に黒ネコ見据えてこう言った。
「そう言えば、おまいさんの名前を聞いて無かったの」
 黒ネコ、一回パチクリしてから応えた。
「……レーヴェンゼーレ」
 火山に住んでる龍を表す名前らしいと言おうとして……。
「じゃあレベたんだ」
「あいニャ?」
 口を開くより先に、愛称が決まってしまった。

 そのままさっさと粥を啜るハンターさん。
 因みに、父の名はレーヴェンバルト。
 つまり、姓はレーヴェン名はゼーレ。
 ……まぁ、レーヴェンさんなんてウチしかいニャいしまぁいいや。

 けれども結局は、風邪をうつすわけにはいかないと追い出され……。
 いや、挨拶がてら散歩しておいでと言われただけなんだけれども。
 手荷物と言えばポーチとナイフの一振りだけ。

 黒ネコ改めレベたん。
 家のすぐ前、村の入り口で、樽に入った茶色いネコに慰められてた。
「ま、仕方ねーニャ」
「でも、これからどうすれば良いニャ……」
 村なの中でも少し小高いその場所で、レベたん凹む、大いに凹む。
 余りに凹むものだがら、樽のネコは話題を変える。
「腰の、立派なナイフニャねー」
「パパのですニャ……」
 しょんぼりしたまま坂を下って……空っぽのお店を素通り。
 毛の短い仲間が寝転がってたけどそれだけだった。

 雪山アイルーの男は必ず一度は旅に出て、火山の紅蓮石を取って来る。
 それが習わしだけれども、ちょっと待て。
 レベたんのパパは、帰る度に武勇を語る。
 ここでハイさようならはちょっと待て。

 しょんぼりしたままトボトボと……。
 そうしてたどり着いたのは、しめ縄の巻かれた大きな青い石の下。
 焚き火の焚かれた場所だった。

 いたのは蓑を被って、杖で焚き火をつついているお婆ちゃん、村長さん。
 もう一人は赤いケープにコートを羽織った女の人……ネコの。
「おや、お前さんもう良いのかい?」
「ほうほう、雪山アイルーとな」
 美人だニャアとと思ったのは内緒。
「ああ、紹介がまだだったね。こっちは……」
「ネコートである」
 ……ふんぞり返る姿が、ちょっと偉そう。
「して、浮かない顔だがいかがした?」
 切り株の上から見下す視線が、何故だか似合う。

 レベたん話した、自分の気持ち。
 自分に、何か出来る事は無いですか?

「ふむ……どうするね?」
「私の管轄では無いのである」
 あ、冷たい。
 ネコートさんは相談事から早々退場。
「そうだねぇ……」
 結局考えるのは村長のお婆ちゃんのお仕事に。

「それじゃ、雪山草でも取って来て貰おうかね」
「ニャ?」
「おや、知らないかい?」
 生憎、故郷は岩穴なもので。
 と、村長に一本の草を渡された。
「この辺りに生えてる薬草の一種さね。あの子の風邪にもいいだろう」
「ニャ!」

 風邪に効く。役に立てる。
 それだけで垂れていた耳も背筋も、ついでに尻尾も一直線。
「今年は暖かかったから、沢山生えてるだろうしの。余ったらお小遣いにでもしておき」
「行って来るニャー!!」

 遠くを見ながら、言い聞かせるように語る村長。
「山神様が来てたし、そう危険な生き物もでないだろうけど念の為……」
「もう行ってしまったである」
「おや?」
 黒ネコは、既に彼方へ土煙を残すのみ。

 それを見送るネコート、溜息一つ。
「やれやれ……アレでは先が思いやられる……ニ……コホン」
 咳払いしつつ、ちらりと背後に目をやる彼女。

 そこにいたのは濃紺の毛並み。
 それが村長の言いかけた念のため。
 彼女がコートの隙間から伸ばした手の指示を理解したソレは、ペコリとお辞儀。
 くるっと振り向くと、黒ネコの後を追ってった。

 その頃、一人先走ったレベたんは……。

「ニャ〜……」
 すでに山の麓の森……ハンターのクエスト中ならキャンプの張られている場所まで到着していた。
 頭上を覆い隠すように茂る木々。
 見慣れた銀世界よりも、こっちの方に感動だった。
 今まで草木と言ったら、村の鉢植えに埋まっている薬草や唐辛子しか知らなかったもの。
「とりあえず、コレと同じ草を探せばいいのニャか……」
 今、手に握ってる見本だってそう。
 楽な仕事かと思ったけど……この大量の葉っぱの中から探せるかニャ?

 その森を抜けて、最初の出迎えは湖だった。
「わ。おっきい水ニャ」
 故郷では桶に汲んだお湯か、広場の噴水(やっぱりお湯)しか知らなかったから……。
「そ〜……ニャ」
 モフモフの足をそっと湖面に近付け……。

 ピチョンッ

「ホアニャア!?」
 その冷たさにびっくりしたり。

「ニャア〜……」
 毛波に染みた水が、凍る事なく滴り落ちる。
 付けて、出して、浸けて、出して。
 二、三回それを繰り返して……。

 背後からいきなりべろりんちょ。
「ハニャアァッ!?」

 飛び上がって振り向いて見れば、いるのは大きな毛むくじゃら。
 これは知ってる。
 ポポと言う名の草食動物。
 コイツの舌がレベたん大好物だけど、ふと気付く。

「……今は、お仕事なのニャ」
 そうそう、大事な事を忘れてた。
 自分の働きに、ハンターさんの命が掛ってるのニャ!

 空気は冷たく澄んでるはずだけど、目当ての匂いは腰のポーチだけ。
 どうやらここには無いようだ。
「ん〜……やっぱり山の上かニャア?」
 暫し悩んむレベたん。

 立ちはだかるのは高い岩棚。
 けれどもそこは雪山アイルー。
 軽やかな足取りで岩棚上る。
 その上にはぽっかり洞窟が。

 薄暗いそこは青い洞窟。
 外の光を取り込み煌めく色は、氷結晶とマカライト。
「ニャア……」
 大きな洞窟、中心に空いた大きな穴。
 そこに沿った岩棚を、分かれ道は無視して歩くと突き当たる。

 奥に見えたのは岩のヒビ割れ。
 その下に逞しく生える草花と、上にぶら下がった蜂の巣。
 もしかしたらあるかもニャと思いつつ、屈み込んで見てみれば……。
「あったニャ!」

 一本あった!
 思わず飛び上がってガッツポーズ!!

 ボスッ

 その手が蜂の巣直撃。

 ブブブブブブブブ……。
「ニャァ〜……?」
 結果はもちろん、巣の住人ご立腹。

 ブブブブブブブブ〜ッ!!
「ニャアアアアアアああああああぁ〜ッ!!」
 ……しばし、洞窟に響くネコの悲鳴でお待ち下さい。

 結局、一時間以上は逃げ回ったのでは無かろうか。
「フー……フー……死ぬかと思ったニャ」
 洞窟中を逃げ回り、出てきた先は銀世界。
 流石に蜂さんには寒くて追って来ない。
 雪の上に顔面から突っ込むのを誰が責められようか。
 と言うか、激しい運動した後は、雪がひんやりして、気持ちいいのニャア……。

 レベたん、雪に頭を突っ込んだまま考える。
 あそこの沢山取れれば良いんだけどニャ。
 けれども洞窟の入り口でブブブブブ。
 ……この調子だと、帰り道も探さないといけないかもニャア。

 まあ、何はともあれ銀世界。
 目当ての匂いは探しやすい。
「あ、あったニャ」
 早速一本、続いて二本。
 この調子ならお小遣いもタップリニャ。
 あっちに一本、こっちに二本。

 ……順調に、雪山草が集まった頃。

 レベたんの頭上を過ぎって、スタッと背後に落ちる影。
 聞こえるいななき、蹄が雪をえぐる音。
「ニャ……ニャアァ……?」
 尋常ならざるその気配に、振り向く事すらままならない。

 冷たい風、毛並みをすり抜け肌に刺さる。
 サクリ、サクリと足音が、背後に迫ってピタリと止まる。
 レベたん怖くて動けない。
 背後から、ブルルといななく声がする。
 背中に何かが、ふわっと触れて……。

 どげしっ

 ぶっ跳ばされた。
 ゴロゴロと、雪の上を二転三転。
 正直、獣人でなかったら背骨折れてたんじゃないかニャと言うか。
 それでもレベたん立ち上がる。この程度で負けてなるものか。

 振り向いてあったのは、白くてフサフサの毛に覆われた蹄。
 視線を上げると、オレンジと白のフサフサの毛でふっくら膨らんだ胸元。
 すらっと伸びた首、頭から左右に生える、立派な角。
 その下に見えたのは、歴戦の猛者を思わせる隻眼。
 雪の山のガウシカだった。

 本来ならモンスターと言って良いかさえ解らない草食獣。
 けれども……コイツはどう見ても立派なモンスター。
「ブルルルルルル……」
 それも、異様に気が立っているようで……。
 角をこちらに向けて振るって戦闘態勢、殺る気満々。

 レベたん、その様子にすっかり腰が抜けてしまったようで……。
「ニャ、ニャ……」
 その場で震えて鳴くばかり。
 ブルルといななくガウシカは、どっか行けよと威嚇する。
 けれど自分も、村一番の腕利きの息子。
 この程度に負けてなるかとナイフを握るが、思ったが……。
「ブルルルルル……」
 やっぱり怖くて動けない。

 ……さあ、最終警告は済ませたと。

「ブルルルルルーッ!!」
 後ろ足で立ち上がって吠える様は飛竜顔負け。
「ニャーッ!!」
 びびった拍子に逃げるレベたん、追うガウシカ。
 抜けかけた腰であっちにヨロヨロ、こっちにヨロヨロ。
 走った先には白トカゲがウロウロと。
 けれどもレベたん、後ろのコイツで手一杯。

 獲物が来たとばかりギャアギャア鳴き出す白トカゲ……もといギアノス。
「ブルルルッ!!」
 けれども哀れギアノス。
 暴れガウシカの角にやられてあっちへギャアギャア、こっちへギャアギャア。
 群れを守ろうとした若いリーダー、角で喉を突かれて返り討ち。

 岩の間に飛込んでしまった黒ネコ、潜れる事を忘れてる。
 唸るガウシカ、脅える黒ネコ。
 このままボコられ、ボロモップの末路なのニャ。

 全てがゆっくりに見えたのは、諦めてしまったからだろうか。

 こっちへ向かって来るガウシカも。
 蹄の立てる雪煙も。
 横からドロップキックの体制で飛込んで来る濃紺の毛並も……。

 ドロップキック?

 それに気付いた瞬間、時間が正常な流れを取り戻した。
 きりもみ回転で飛込んで来たソレはガウシカの首に直撃。
 派手にぶっ飛ぶガウシカ。
 空中三回転で着地する濃紺毛並みの、太っちょアイルー。

 一瞬首が折れたんじゃないかと思ったガウシカ、ヨロヨロ立ち上がる。
 太っちょと向き合い、しばしの緊張。
 けれども……ブルルと一声唸ると帰って行った。
 その時のふとっちょ、ちょっぴり怖く見えた。

 呆けるレベたん。のっそり振り向く太っちょ。
 手足と口回り、そしてぽっこり出たお腹がが青白い、いわゆる隠密柄だった。
 一瞬お化けと思ってしまったのは内緒。命の恩人にソレはない。

 ふにふにとした肉球がレベたんの前に差し出され……。
「雪山草は、集まったようで」
「あ、はいニャ……」
 差し出された手の意味は解る。
 ……村に帰ろう。

 大きな濃紺、その手にしがみつく小さな黒ネコ。
 太っちょは喋らないし、レベたんも怖さで頭がぐるぐる。
 幸い……帰りは何も出なかった。

 村長とネコートさん。村の入り口で待っててくれてた。
「おやおや、ご苦労様」
「ご苦労だったであーる」
 ネコートさんはふとっちょとお話。
 レベたんの頭をよしよしするのは村長さん。

「おや、もうギアノスがいたかい。それは怖い思いをさせたねえ……」
 あのぐらい、何とか出来るって思ってたのニャ。
 でも、結局はガウシカ相手にびびっちゃったのニャ。
「山神様は何をやっているのやら」
 雪山草を渡して、お小遣いも貰ったけれど……。

 帰ったらハンターさん、ものすっごくピンピンしてたのニャ。
 お粥とはいえがっつがつ食べてたのニャ。
 どう見ても病人の食事速度じゃねーのニャ。

 クリスタルが、お夕飯まで準備してくれてた。
「おや。レベたん元気無いのう」
「もぐもぐ……うん。これは美味」
 いつの間にかふとっちょ、家にいるし。

 レベたん、あったかリゾットに匙をつけつつ考える。
 一人でちょっとした連中相手にならと思っていたのに、結局これニャ。
 ハンターさんには迷惑かけるし、あんまり役にも立ってない。

(ボク……ひょっとしてダメネコなのニャ?)
 ハンターさんの手がレベたんの頭を優しく撫でる。
 アンタの取ってきた雪山草から良い出汁が出てると言ってくれた。
 だけど、本当はもっと頑張りたかったのニャ。

 小さな黒ネコの門出は、結構な試練から始まる事となった。

「時にレベたんや、雪山はどうだったん?」
「ニャー……下の方、草や葉っぱがいっぱいだったニャ」
「ほうほう。と言う事は、レベたんの故郷にはそんなに無いのかな?」
「ボクの故郷はデスにゃ……」
 それも、たわいの無い会話のお陰で少しは和らいだのだけど。