雪山の道を、意気揚々と進む鋼色。
 ギルドから『スカー』あるいは『縞付き』と呼ばれる彼。
 再び雪の降り始めた空を見上げて勝ち誇る。

 黄色い竜は追い払ってやった。
 にっくきアイツは自慢の爪でズッタズタのボッロボロ。
 尻尾もちょん切って、ちょっと満足だけど……。

 ズキズキ。

「グウ……」
 脇腹の傷が、まだちょっと痛む。
 出血はもう無い。
 風鎧のお陰で、夜風が染みる事も無い。
 それでも、治りそうで治らない傷がむず痒い。

 そんな彼が覗き込むのは崖の下。
 人間とネコが落ちて、その後を追うようにもう一人が降りてった所。

 そこの様子を見ようと思ったのは、ほんの気まぐれだった。


   ――――『神とネコと英雄と』―――
        小さな村の小さな神

 崖の下は川だった。
 その脇にぽっかり開いた洞窟の中。
 小柄な竜なら通れそうな入り口の奥、その窪みのような場所。
 窪みの両端にせり出した結晶にロープを結ばれていた。
 そこに干されたマフモフは洗濯物兼カーテン。
 その向こう、岩壁をほんのり赤く照らすのは……。
「紅蓮石ニャア……」

 居るのはモフモフの黒ネコ。
 マフモフの上着を脱いでなお厚手の服のシャーリー、そして……。

「さ、寒ひ……」
 シャーリーのマフモフの上着を毛布代わりにした、青い顔のリィ。
 運悪く川に落ちた彼女、直ぐに引き上げられたものの止まらぬ震え、寒気。
「これは、どう見ても……」
「風邪、だよのう……」

 流石にこの状態は動きようが無い。
 時折吹き込んでくる風も、今のリィには良くない。
 風避けとばかり干してあるリィのマフモフも、風に靡いてその用を成さない。
 下着その他を中に干してあるのは、シャーリーの計らい。

「竜避けの香炊くニャ?」
「そうね。ここで戦うことになったらアウトだものね」
 と、黒ネコが取り出したのは毒々しいほどに真っ赤な丸薬。
 龍殺しの実から作られたそれは、龍のみならず飛竜に対する嫌忌剤。
 あの黄色いのに効くかは別として、フルフルぐらいなら大丈夫だろう。
 火種は紅蓮石。
 人間には微かな匂いだが、鼻の効くネコはヒクヒクさせる。

 所が、コレが炊かれている場所に、人がいる事を知ってる奴もいる訳で……。

「外、静かになったニャ……」
 風の音は相変わらずだが、吹き込む事は無くなった。
「……風向き、変わったのかのう……」

 シャーリー曰く、ここから村に行くには長い坂を登らねばならない。
「ちょっと外みて来るわ」
 リィを背負って行くより、人を呼んだ方がまだ良いと判断して。
 そのつもりで物干し、兼カーテンを開けたシャーリーは……。

「ニャ?」
「いかがしたん……?」
 固まっていた。

 寝そべってるリィには無理だったが、黒ネコは見た。
 顔面蒼白なシャーリーを。
 何事かと外を覗き込んでだ黒ネコも、固まった。
 それでカーテンが開いて、リィにも見えた。
 人間に比べれば大きく、黒光りする鋭い爪が二つ。
 その間に、伏せの姿勢で、カーテンを覗き込む鋼の龍が。

 すらりと伸びた鼻先、二本の角に冠の如く刻まれた白い傷。
 ……青い目が丸みを帯びて見えるのは、多分気のせい。
 マフモフのカーテンが開いて、龍は伏せる必要が無くなると見たのかゆるりと立つ。
 
小柄な竜なら通れそうな入り口。
 その龍の体は、四肢で立ち上がって丁度収まる。

 二人、もしくは一人と一匹は知っている。
「山神様……」
「スカー……」
 方や、雪山に長きに渡り君臨する神として。
 方や、武器さえくれればご機嫌な遊び好きとして。

 温度差こそあれ、人間より遙かに強大な存在には違いない。

 そして、シャーリーは考える。
 この洞窟、ひょっとしたらコイツの寝床なんじゃなかろうか、と。
 そこに、モクモクと言わないまでも炊かれた龍避けの香。
 ちょっかいを出された程度の報告しかない個体だが、いくら何でも……。

 もし、機嫌を損ねたら?
 もし、ここでブレスを吐かれたら……。

 高まる緊張をよそに、龍は一歩一歩とにじり寄る。
 黒ネコはオタオタするばかり。
 どうすればいいかとリィに目をやる。

 マフモフから抜け出して、くてりと龍の方に伸びた白い腕。
 その指先を……くいっくいっと。

「何手招きしてるニャーッ!?」
 焦る黒ネコ。固まるシャーリー。
 そんな事してる間にも、応じるようにやって来た龍は……。

 どさっ

 再び腰を下ろした。
 纏う風は緩やかに、しかし外の風を取り込み通さない。

 寝そべっていたが故、リィには見えた。
 腹の下、恐らくは体の側面から続くであろう傷に。

「傷の鋼龍……おまいさんも災難に遭ったクチかい?」
 溜め息をつく鋼龍は、
その言葉が解ったかのよう
 それも、纏う風に混じってしまったが。

「……街に向かう時、おまいさんの知り合いに会うたよ」
 その翌日、大雨に見舞われた。
 その犯人は、『彼』だと踏んでいる。

 そしてそれは、間違っていない。

 『彼』は彼女を知っていた。
 数多の同胞を下した猛者として。
 久々に会った知り合いの近くで、だらしな〜く寝ていた娘として。

 奇妙な偶然もある物と思っていたら、自分を招く白い指。
 仲間であろう女とネコは、きっと自分にお帰り願いたいのだろう。
 ……けれどここは自分のねぐらの一つ。

 再び自分を招いた指先に視線を落とす。
 すらりと伸びる腕から、肩へ。熱に浮かされ上気した頬。
 白く、熱を含む呼気。潤んだ紫の瞳。
 鼻先を伸ばそうとしたら、傍らの女に阻まれた。

 それでも、女は傍らの剣に触れない。
 ……賢いな。
 そんな思考が、『彼』の口の端を僅かに持ち上げる。
 ここで戦っても、為す術が無い事を解っている。
 もっとも、この場を血で汚すのはこちらも望まないが。

 横のは山奥に住まう、何かと良くしてくれるネコ。
 一度自分の角を折るほどの猛者がいたが、良く似てる。

 鼻先にピリピリくる匂いが、シュっという音と共に消える。
 熱源である石と残り香はあったが、どうせ数ある巣穴の一つ。
 忘れた頃には匂いも消えよう。
 人里にちょっかいを出すには、丁度良い場所だったのだけれども。

 それにしても、思う。
 生き物の瞳というのは、どうしてこう煌めくのか。
 特に、熱に浮かされて潤む紫の瞳は。

 鉱石を喰らう者にとって、これほど食指を動かすものもない。
 けれど、喰らえば血と脂とその他とはなんと罪作りか。

 ……見る者が見れば、それは奇妙な光景だった。
 もっとも、内側から見ることが出来ればの話であったが。
 外から見ても、腹の傷を「何故か」洞窟の外に向ける鋼龍しか見えなかったろうから。

 『彼』は賢かった。
 無害で無力な人間を見分けられるぐらいには。
 人間よりは強く、賢く、尊大で、それ故か気付かなかった。
 それでも同族に比べればいくらか思慮深い。
 だから気付いたのは……三人が寝入ったちょっと後。

 ……外の吹雪、原因はどう考えても自分である。

 これではこの三人動けまいなぁと思いつつ。
 けれども起こしてしまうのもどうか?
 しかしこのまま置いて行って、何かあっても気不味いし。
 うち一人は息の熱が目に見えて解るし、汗だく。

 その一人がうっすら瞳を開ける。
 熱に浮かされた目が潤んで光る。
 それを見た『彼』は暫し考えて、スッ……と洞窟を後にした。

 それから少し経った頃。

 フラヒヤ山脈のポッケ村。
 雪の積もった藁葺き屋根の並ぶ村。
 入り口に一番近い家の中。

 片隅の床に開いた真四角、そこに敷き詰められた灰。
 その中心に小さな火種。
 東国で言う所の、囲炉裏を挟んで竜人族の老婆と人間の男。
 方や竜人族故か加齢に伴って小柄になっている。
 方や、顔立ちからの判断は難しいが痩身白髪交じり。
 村の長と、村付きハンター。
 ただし、後者は「元」がつく。
「遅いねぇ……」
「何かあったのでしょうか」
 村長が杖でつついた炭が、脆く崩れた。

 ……表の道で雪崩があったらしい。
 別の道を通るにしても、そろそろ着いておかしく無い。
 男が、そろそろ老婆に休むよう言おうとしたときだ。
「ちょっと吹雪いてきたね」
 そう言ってぴょんっと席を立つ老婆。
 御年三百ウン歳、まだまだ元気。
 とはいえ竜人族特有の、加齢に伴い背の縮んでいく現象には逆らえず。
 ベッドによじ登って窓を閉じようとして……。
「おや?」
 その動きがピタリと止まる。

 ベッドから、ぴょいっと飛び下りてからが早かった。
 手早く蓑を被り、疾風の如く家の外。
「ちょっと散歩に出るよ」
「は、はいっ!?」
 言うが早いか、たったか外に飛び出す村長。
 男は思う。
 ……普段付いている杖、間違いなくただの飾りと。

 しばし呆れていた男は……。
「村長!!」
 慌てて追い掛ける男。
 いかに元気といえど高齢。
 そう遠くまで行ってないと思った彼女は、何処にもいなかった。

 しばし呆け、徐々に焦り、慌てて村の若い衆を掻き集め、村の入口に戻って来た頃……。

「おや、準備がいいね」
 村長も戻って来ていた。
 ただし、いつも突いてる杖がない。
「ちょっと人手がいるから、ついといで」
 誰もが事を飲み込めないまま、村長に言われるまま歩ていく。

 普通、ハンターでもない一般人が村の外に出る時は相応の備えをする。
 例えば白ランポス……ギアノスの襲撃を警戒して閃光玉を持っていくとか。
 雪崩のお陰で集会所もガラガラ。備えは当然の事だったが……。

「静か、ですね……」
「ああ、吹雪いてはいるみたいなんだが……」
 ギアノスは愚か、ガウシカ一匹見あたらない。
 村長に導かれるまま通る谷底。
 風の向きは一定、舞い上あがる雪は風に押さえられ、視界を遮る事もない。

 それより何より、村の若い衆が気付いたことがある。
 彼らを先行してとっとこと、まるでケルビの用に走っていく村長。
 あの杖は、歩行を助ける為にあったのでは無いと言うことに。

 谷底の川を下った先にある、一見ただの雪の壁。
 にょきっと突き出た杖一本。
 よくよく見れば爪痕も一つあったけど、杖が目立って気付かない。
「さぁみんな、ちょっとここを掘っとくれ」
 言われるまま。促されるまま。
 頭に疑問符を浮かべながら男衆が壁を砕いて掘った先。
 あったのは、干したマフモフのカーテン。

 ……更に向こうにいたのは今日、いや既に昨日。
 来るはずだったハンターと、受付嬢と、ネコ一匹。
「よ……良かったぁ〜……」
「ニャ……ニャ〜……」
 携帯食料で食いつないでいたシャーリー。
 高熱をだしているリィ。
 オロオロしていたネコは人の姿を見て、安堵の余り泣き出してしまった。

 救助は滞りなく進んだ。
 シャーリーもネコも大した状態では無かった。
 熱を出していたリィを鍛冶屋のテッちゃんが背負おうとして、シャーリーに殴られたぐらいで。

 ……けれど、誰も気付かなかった。
「だから背中でいい言うたのに……
 村長の被った蓑。
 その端がちょっと裂けてる事に。
「とはいえ、アレが人のことで焦るとはの」
 彼女がほっほと笑って見上げる先、黒い翼が横切ったことに。

 ……ポッケ村を見下ろす山のその向こう。
 切り立った岩壁に空いた穴の中。
 水晶、メランジェ、虹色鉱石。
 透明と白にうっすらと、オパールの如く混じる遊色が浮かぶ壁。
 その奥に、ごろりと寝そべる黒鋼。

「クァ〜……」
 それが大きなあくびを一つ。今日は何だか、とっても疲れた。
 黄色い竜もそうだけど、あの婆ちゃん連れてくるのがまた辛い。
 何が辛いって……どうして人はこうも鈍いんだって事。

 いや、彼らは言葉に頼らなければ、自分の仲間の事すら解らない。
 それでもこちらの意図をくみ取ろうとする者達を、『彼』は決して嫌いではなかったが。