「やれやれ……寝てしまったか」
 ギルドの酒場は年中無休。
 それでも、幾らか静かになった頃。
 筆頭が鎧を脱いで戻ってみれば、姉弟仲良く夢の中。
 横に並んでいるのはどちらの意思か。
 上にかけてあるのは、あの天幕だった物。

(時の流れか……)
 ……感慨深いものがあると思う。
 片や、その誕生に立ち会った娘。
 片や、その誕生を待たず逃げ出してしまった少年。
 その二人が、また新たな命の誕生に立ち会った。

「いー加減おみゃーも老けてきたニャ」
 意地悪な事を言うのは赤虎ネコ。
 この中年の基本姿勢、主人以外はどうでもいい。
「一歩間違うと孫だからなぁ……って、ぎっくり腰が何を言うか」
 と言う訳で、筆頭に足で小突かれた赤虎が主人を家に送るのは無理。
 必然的に……。

「ふむ。私が送ってやろう」
 心なしか、嬉しそーなギルドナイツ筆頭。

 リィの方は幼い頃に散々運んだ。
(その度髪を引っ張られたり頬抓られたりしたものだが)
 ディの方は、そんな機会などあるはずもなく。

 気付けば、父親気取りな自分に気付いて笑みが漏れる。
 起こさぬよう、そっと手を伸ばすと……。

 がしっ

 腕を掴まれた。
「自分で……帰れますから……っ」
 他ならぬ、先ほどまで寝息を立てていた少年に。
「大人の親切は、素直に受け取っておくものとは思わんかね?」
「下心むき出しの面で言われてもなーぁー?」
 なんのかんので十八歳。この年でおんぶにだっこはご勘弁。
 無言の睨み合いと言うべきか意地の張り合いはしかし。

「ディがいらんなら、私がお世話様になろうなのぉ〜」
 ナイツ筆頭にすら気付かれず後ろに回り込んだリィの一言で終了。

 ぼふっ

「むぎゅう……」
 弟、姉と上司に押しつぶされ、再び沈黙。
 のし掛かってきた姉に至ってはすぐに寝息を立て出す始末。
 ちなみに、姉の方は鎧も着込んでいるわけで……。
「流石に、これは……」
 言いかけたところで、締め上げられるのはお約束。

「もう終わったようですね」
 いつの間にかやってきた副官が、眠ってしまった弟の方を受け持ってくれたから良かったようなものの……。

「イリス……仕事の方は……」
「アスタルテに全て押しつけて参りました」
「今後もアイツに幾つか押しつけるからもうちょっと休憩させ……」
「ご本人にお聞き下さい」
 そしたら睨むんだもん彼女。


   ――――『その日はささやかにして』―――

             没シーン集

【没シーンその1:ケルピのお嬢さんは……】
(お昼は家族と、より)

「おまいさん、やるの」
「姉貴こそ」
 綺麗に肉から皮から剥ぎ取られたケルビを前に、ニヤリと笑う姉弟。
 医者の子には恥じないようとばかり最初に覚えたのが、この解体術。
 残ったお肉も綺麗に剥いで肉焼きセットで軽く炙って、いただきます。

 そうして腹ごしらえを済ませ、先へ進もうかと思った時……。

「ニャ……ニャー……」
 茂みから聞こえるネコの声。
 そちらを見れば、アイルー柄とメラルー柄が、茂みの影からこっちを見てる。
 心なしか、潤んだ瞳でこっちを見てる。

「ボクらの……」
「ボクらの……」

 視線の先には通りすがりのお嬢さん……の、残骸。
 姉弟、血の気がさーっと引く。
 もしかして、もしかして、このケルビのお嬢さんは……。

「ボクらの獲物だったのにニャア〜」
 ああ、良かった一安心。
(この二匹が後々樽にのってどんぶらニャ……かも?)

【没シーンその2:クックさんのお手当】
(夜のしじまは、より)

 鬱蒼と茂る森の奥。
 ツタと岩壁に囲まれた小さな広場。
 小川のせせらぐその場所に……。

「クピプ〜……」
 響き渡るはクックの寝息。

 クックの足元に屈み込むのは、蒼髪紫眼の少年。
「まったく……皆揃って甘いな」
 その傍らでボヤくのは、強面にメルホアシリーズが死ぬほど似合わない黒髪の男。

「そんな事言う割に、先輩だって二つ返事で了承してくれたじゃん」
「……また蹴倒されるのは御免だからな」
 しかも、今度は弓矢と娘のハンマー付き。
 娘に嫌われるのが怖いのであって、後輩をいなすぐらい造作も無い。断じて。

「アオキノコ摘んで来ました〜」
「巣にカラ骨あったから、瓶もこさえて来たよ」
 と、リィとマイラが戻って来た。
 飛竜と人間では生命力の桁が違う。
 必要な薬の数も、それ相応。
 だから集めてもらってた。

「クックさん、様子はどうですか?」
 マイラがクックの嘴を撫でてみても、麻酔でグッスリ。
 使った麻酔は彼女が持ち込んだ物。
 愛しの彼のお役に立てるなら。

「栄養剤塗った途端に塞がり出したから、もう大丈夫だと思う」
 水で薄めた回復薬がかかる度、くっついて消えていく肉のヒビ。
 ちょっとまどろっこしいと思ったけど、原液をそのままかけて飛び起きられるのは御勘弁。
「まったく……いいんだな?」
 ジャッシュは、まだ渋い顔。
「いいんだ。それに、他の傷も人間の物じゃ無いから狂暴になるって事も無いだろうし」
「どうして解るんですか?」
「ここ、治りかけてるけど少し焦げてるだろ。火炎弾撃でも弾痕が残るし、ガンスにしたって刺し傷が無い。上からの傷はほぼ真上からだから大剣も無い」
「どんなモンスターにやられたか解りますか?」
 弁舌を振るう後輩に、聞き入る娘。
「上からの傷が突起物ぽいし、もっとでかいクックかガルルガあたりかもな」
(ディ君の説明が正直うざったいので没。あのガルルガさんなのは言うまでもない)

【没シーンその3:思わぬ弊害】
(夜のしじまは、より)

『その1』
 酒場の誰もが自分に出来ることをしようとしているなか……。
 外からはいつも通り狩りから帰ってくるハンターもいるわけで……。
「ババコンガ、狩ってきましたー!」
「ちょっと待てーっ!!」
 帰ってきた一人のハンター。
 哀れ、姿を確認する間も無く消臭玉の雨あられ。

『その2』
 と、その時からんと開く扉。
 出てきたのは、真っ赤な皮鎧を纏った……。
「やっぱ一日一回はここ来ないとおちつかないよねー」
 ラウルだった。
 本当に風邪を引いていたのはその日のうちだけだったようなのだが……。
「ちょっと、外に出ようか?」
「……へ?」
 そのまま、ジャッシュに引きずられるようにご退場いただいた。

『その3』
 何も知らずにやって来るのはまだまだいる。
 それも、相当に間の悪い方々が。

「かっみっがしまー。かっみがっしまー」
 うきうき鼻歌交じりに入ってきた金髪の青年はナイトAこと、アルト=レゾナンス君。
 愛称、アル。
「お前な……恥ずかしいからやめろっての……」
 続いて入って来た茶髪の青年はナイトB、バリトン=レゾナンス君。
 愛称、バリー。

 やっとこ見つけた当たりの錆びた塊。
 それを磨く為、ここ数日大地の結晶集めに奔走していた彼らは……。
「抗菌石ありませんかー?」
 余りに間が悪かった。

(集め集めた大地の結晶は、後日抗菌石になって帰ってきたそうな)

   ――――『その日はささやかにして』―――
         オマケ:今日もおはよう

 翌朝、ディの自室。姉弟は無造作放り出された形のまま目が醒めた。
 鎧だけ引っぺがされて、姉弟で無ければ実に危険。
 大人二人、ほっぽってそのまま帰ったという事らしい。

「……凄かったなー……」
「凄かったねー……」
 そんな非礼など、気にできるような状態では無かったが。

「……俺達の時も、そうだったのかな」
「そういや聞いたこと無かったねえ……」
 両親が帰って来た後は、自分たちの用件ばかり聞いていた気がする。

 二人は同じ事を考える。
 自分達も、あんな風に、皆に望まれて産まれて来たのだろうかと。
 父と母だけでなく、もっと多くの人に。

「凄いな……」
「凄いのう……」
 自分達も、望む側に立った。
 あの時の気持ちを、きっと自分達も同じだけ受けて産まれて来た。
 果たして、自分達はそれに応えてこれただろうか?

「……俺、無茶苦茶親不孝してる」
 ディ、ハンターになった動機は半ばヤケで今ナイト。
「……まったくだの」
 リィ、十ニであわや殺人未遂。

「は、はは……」
「の、のほほほ……」
 乾いた笑いしかできない姉弟だった。

 ディが、いい加減起きようと思った頃に……。
「う……腰痛ぇ……」
 思えば夕べは長時間中腰。
 響かないはずも無し。

「だったらマッサージしたろかい?」
「……え゛?」

 姉のマッサージ、もといツボ押し。
 実験台にされた事幾度。
 蘇るのは幼い日の悪夢。

 気付けば姉、弟を引っくり返せる位置にスタンバイ。
「あ、ああああ……姉貴?」
「ハンターは、体が資本という事で」
 悪夢再び。
「んアーッ!? だだだだだだだだっ!!」

 ……しばらく弟の悲鳴でお待ち下さい。

「お二人、何なさってますニャ……」
「おー、ミハたんおはよう」
 後には満足げな姉と、口から魂出かかってる弟。
 従者の赤虎、飽きれるばかり。
「奥さん待ってますのニャ。早く着替えて下さいニャ」
「はい?」
「へ?」
 疑問に思う間も無く、私服を投げて寄越される姉弟。
 ま、お互いの着替えなんぞ見ても、どうと言うことは無いのでその場でさっさと。

「て、姉貴ちった恥じらえよ」
「何を今更照れておるかい」

 何のかんので昨日の私服とさほど変わらない格好になった二人。
 リビングでは既に、赤子を抱えた店長さんが……お乳をあげていた。
 感慨深げに見つめる姉と、慌てて目を反らす弟。
 少しばかり布の擦れる音がして……。
「はい。もう良いわよー」
 と言うわけで仕切り直し。

「……て、今までのやりとり全部聞かれてた!?」
「もちろん。今度私にもマッサージお願いできるかしら?」
「悲鳴で起きなかったかね。えーっと……お子さんお名前は?」
「そうそう。そのことで来たの」

 店長が、子供を包んでいたおくるみから取り出したのは一枚の紙製の包み。
 その中に包まれていたのは、小さな紙片。
 それを手渡されたのはディ。
 覗き込むリィは、その紙片の経緯を知らない。
「予定日が近いっていうのに全然来てくれないんだもの。どうしようかと思っちゃった」
「いや、だって、コレは……」
「なぁに、渡しておしまいと思った?」
 座ったままのはずの店長に、すっかり気圧されてしまうディ。
 かといって後退るわけにもいかず……。

「男なら、最後まで責任を取る!」
「ほほう。責任を取らねばならぬ立場とな」
 これで姉まで悪ノリするのだからタチが悪い。
「だーかーらー……」
「だったら、逃げるのはお勧めしない」
 そのくせ、送る視線は真剣そのもので。

 紙片の中を見る必要はなかった。
 二つの名前は、今もしっかりと覚えている。
 次に発せられる言葉も、言うべき者も決まっている。

 ディが、赤子の額に手を当てて言う。
「コンラッド。コンラッド=ヴァレリア」
 祈るように、願うように。

 ……その名は、小さく儚げで、けれども、強かな花の名。