ドンドルマの酒場兼、ハンターズギルド。
 そこにずらっと並べられたテーブルは今日も満席。
 ある者は狩りの成功を祝い、ある者は失敗でヤケ酒。
 仲間とバカ騒ぎしながら飲む者、一人静かに何をするでもなく周囲を観察する者。

 それは柱に背を預け、一人静かに本のページをめくる蒼火竜の鎧を纏う男だったり。
 どんちゃん騒ぎをしている白いキリンのベストに、ゴム質な紫色ゲリョスのとんがりデブだったり。
 体育座りしている土偶のような砦蟹の鎧を置物と間違えて、看護服のようなフルフル鎧の少女が腰を抜かしたり。
 蝶と花を思わせる、一見鎧には見えないような衣装を着た女の子二人組だったり。
 青、黄、赤、白のスーツを着た四人組が、ランスを掲げて意味もなく気合いを入れていたり。

 彼らが依頼を受け付けるカンターの近くのテーブル。
 そこだけ、空気が全く別の物になっていた。

 それもそのはず。

「わー、大きいですねえ。何ヶ月です?」
「そろそろ十ヶ月、大きな子が生まれそうだわ」
「ていうか立派な過期産ミャ」
 その隅っこのテーブルのこれまた隅に、大きなお腹の妊婦さんがいたりすりゃ。
 付き添いは銀青虎。
 お腹を触っているのは、頭に巻いたスカーフとベストの黄色が目立つ受付嬢。
 シャーリーさん。
 もうすぐポッケ村に異動だけど、手続きは全部済ませちゃって正直暇。

「でも、旦那さんが心配しません」
「あっ……それはミャ……」
「いないの。この子が出来たって解るちょっと前にぽっくり」
「あ……すいません」
「いいのいいの。その代わり、お店のみんなが家族みたいなものかしら?」
 辛いはずの話でも、喫茶コケットリーの女主人はからころ笑う。

 そんな彼女らの所に、酒場でたむろしていたハンターの一人が近づいてきた……。

 

   ――――『その日はささやかにして』―――
            夜のしじまは

 カタコトカタコト、揺れる竜車は、カタコトカタコト森を行く。
 四人の狩人、今日は色々沢山取ってきた。
 ケルピーナッツに美白ダケ。変わり種ではネコ毛の紅玉。
 藁束ぎっしりの箱には卵が二つに巨大なドングリ。

 カタコトカタコト、揺れる竜車は、カタコトカタコト森を行く。
 荷台に卵とその他を載せて、街に着くのは日暮れかな?

「んっふふふふ〜」
 御者の隣で上機嫌のマイラちゃん。
 だって、彼のお役に立てたから。

「ホントは狩る気満々だったのにのう」
「それは言いっこ無しですわ義姉様」
 ……訂正。舞い上がっていた。

 それも、仕方ないのかもしれない。
 愛しの彼にっての渡りに船、天の助けになれたなら。
 天然の落とし穴に填ったクックさん。彼の手当を受けた、あの子は今頃夢の中。
 目が醒めたら、きっと大空にただいま出来るだろう。

 そして、彼女の最大の功績といえば……。
「先輩が二つ返事でOKくれるとは思わなかったよ」
 竜車の隅でふてくされる、堅物ナイトの説得であろう。

「……また蹴倒されるのは御免だからな」
 しかも、今度は恐らく弓矢と娘のハンマー付き。
 ジャッシュ=グローリー三十三歳。
 娘に嫌われるのが怖いのであって、後輩をいなすぐらい造作も無い。
 造作もない……はず。

 娘視線一つで黙らされた男が機嫌を直したのは日暮れ過ぎ。
 ちょうど街に着いた頃……。

 そんな彼らを、集会所で待っていたのは……。

「お、帰ってきた」
「おっせーぞぉー」
「おかえりなさ〜い」
 お腹の大きな妊婦さんと、その周りに集まるハンター達。
 エプロン姿のコケットリー店長と、シャーリーさん。
 ……みんながみんなお腹を撫でたりしてる光景と言うのは、微笑ましいを少々取り越してる気もするが。

 四人があっけにとられているその間に、杖を付いて店長に歩み寄るのはオレンジ猫。
 店長に手渡したした紙切れに書かれていたのは、今日の成果一覧。
「よしよし……首尾は上々だったみたいね。あ、ホワイトレバー。嬉しいわぁ、私これ大好きなの」
 店長、一度はひょこっと降りようとして……
「わわわわ、奥さんは座ってなきゃ駄目っすよ!!」
 周囲のハンター達に取り押さえられる。
「つーかお前らが来やがれっての!!」
 固まったままの四人、周囲のハンターの手で御前に引っ立てられた。

 店長さん、ディの頭をよしよし。
 リィは兜ごとよしよし。
 マイラちゃんが自分から差し出して来た頭をよしよし……。
 そして、ジャッシュの方にも目が向いて、流石にそれはと引いた所……。

「あ痛、いたたた……」
「おっとと」
 椅子の上に崩れ落ちそうになる店長。
 支えるのは周りのハンター。
 リィとディ、飛び出そうとして出遅れる。

 店長の顔色の変わっていく。徐々に脂汗が滲んでくる。
 横になるかと言う問掛けには、ただ首を横に振るばかり。
 ただごとでないことだけは解るのに。
「ちょ……ちょい、店長、さん?」

 騒がしかった酒場が、水を打ったように静まり返った。
 誰もが、それまで馬鹿騒ぎしていた者達まで見守る静寂の中……。

「う……うま……」
 それは最後まで言葉にならなかったけれど……。

「産まれるーっ!?」
 周囲に理解させるには十分過ぎた。

「ちょ、ま、産まれるってここでか!?」
「だ、誰か、誰かお医者様はいらっしゃいませんかぁーっ!?」
「ディ、ディがいる! サイラス先生の子がいるっ!」
「いやちょっと待て、俺だってお産何て……そうだ、姉貴!」
「うお、そっちの誰かと思ったらリィちゃんか!?」
「おー完全武装に髪まで染めてたから全然分からなかっ……って、そん所じゃなーいっ!!」
「あー……私も火薬や劇薬の類ばっかだったからのぅ、うろ覚えは危険しょ」
「もっとマシな事学べ馬鹿姉ーっ!!」
「……産湯は生まれた直後でなく、一時間ほどあと。産水と交互に洗うのが……」
「お前っ、冷静なツラして思いっきりテンパってんじゃねぇーかぁーっ!!」

 静寂、五秒で終了。

 突如混乱の渦と化した酒場に、おたおたするのはマイラちゃん。
「お、お父さん、ど、どうしま……」
 一人直立不動を維持する父にすがってみれば……。
「………」
 立ったまま気絶していた。
「このバカ親父……」
 ハンマーの柄でぶん殴ってやった。

「アレ? ケイン君は……」
 ちなみに銀青虎は既にぶっ倒れてネコタクのお世話になっていた。
「……使えねえ」
 騎士の娘、うっかり本音を漏らす。

 右へ左へ右往左往する男共を、どこか冷めた目で見るのは女性陣……。
「うーん、懐かしいわねぇ……このテンション」
「や、感心してる場合じゃないっしょ」
 と、そろそろ額に脂汗が滲み始めた店長さん。
「とにかくこのままはマズイわよね……ホリーちゃん!!」
「はいニャ〜?」
 ……と、ハッカ柄のネコ。

「シーツとバスタオルあるだけ!」
 それに即座に指示を出すシャーリー。
 さっと敬礼してリネン室へ駆け込むネコ。

「えーっと、何が必要だー、何をすりゃあいい……?」
 その傍らで、うろ覚えの記憶を必死に探るリィ。
 ふと肩を触れられ振り向くと、本を差し出す蒼火竜装備の男が。
「嫁が助産士でな。これで思い出せるか?」
「おお、助産士の教本!! しかもうちにあったのと……って、その嫁さん呼ばんかーいっ!!」
「確かに本職呼ぶのが一番の正解よ。誰か病院に連絡してきて!!」
「アイアイサー!!」
 我先にと飛び出したのはゲリョス装備のトンガリデブ。
 ……相方のキリンは、コケて踏まれた。

「いやそれ以前に、病院に連れて行った方がよろしく……」
 言いかけたリィの言葉は、脂汗が滲む手に腕を引かれて続かなかった。
 店長の額に脂汗、視線を落とせば大きなお腹。
 動かすのは無理と、言われるまでもなく解った。

 ぴちゃりと水音がして、更に視線を落とすと、濡れていた。
「……破水った……」
「リィちゃん、女は度胸よ」
 微かに震えた腕。籠手が擦れ合う音。
 即座に外した。それが乱雑だった事を、制作者に詫びる余裕は無い。

 震えは、まだ止まらない。

 籠手を外したら、今度はそれが肩まで届きそうになる。
(情けないのぅ……)
 初めてイャンクックを相手にした時だって、ここまで震えたりはしなかったのに。
 細かい、しかし動きを妨げるには十分な震え。

 それが肩まで届いた所に、上から大きな手が置かれた。
 一瞬、懐かしいと思ったのは気のせいか。

「とりあえず、産屋を仮設したらどうだ?」
 声に振り向けば金剛装備の……声からして男の手にはランスが四本。
 後ろでは、四色スーツが頭にタンコブ。
「周り覆うの、コレ使ってください!!」
 横にいたのはフルフル装備の少女。
 差し出されたのは彼女が着ているのと似たような質感の……フルフルの皮。
「またごっそりあるね」
「中落ちがなかなか出なくって……って、そん所じゃ無いでしょっ!!」
 ……二人に、心からの感謝を。

 即席産屋の支柱は床に突き立てたランス。
 それにフルフルの皮が結びつけられていく。
 中に入り込んだホリーさんが椅子を動かして即席ベッドを作っていく。

 それを、ディは黙って見ていた。
 何かせねばならないという焦燥感に駆られながら、何も出来なかった。

 万一の時や、産後の為の、回復薬や栄養剤の調合が彼にはできない。
 ちょっと難しい骨折や捻挫を治す手腕があっても、今は無意味。

 何も出来ないのは彼だけでは無かったが、自分「は」何かせねばと言う思いばかりが募る。
 その一方で、何処か冷静な部分が「まるで父親だ」と嗤う。
 ……自分達の父はどうしたのだろう。
 医者として立ち会ったのか、父として狼狽えていたのか。
 思えば、そんな話を姉の分含めて殆ど聞いた事が無い。

(こう言う時、男ってこんなもんだよな……)
 ただひたすらに待つ。そんな覚悟を決めた頃……。
 肩に手が置かれた。

「……横についててやれ」
 振り向けば、金剛装備のあの男。
「で、でも……」
「手を握ってくれるだけで、大分違うらしい」
 男が指さした先、今閉じられようとする即席産屋の幕。
 汗だくの店長が、こっちを見ていた。
「あ……」
 見える範囲に、掴めそうな物が無かった。

「……籠手はつけたままでいい。最悪骨にヒビではすまんぞ」
「んな、母さんじゃあるま……っ」
 言い終わる間も無く、真っ白な天幕の中に叩き込まれた。

「うふふ……ありがと」
 その途端に手を、握られると言うより掴まれる。
 笑顔だけれど、額に浮かぶ脂汗。
 握る力はなるほど、籠手を付けたままの方が良さそうだ。

「追加報酬はぁー……上食券かしら」
「や、それより自分とお子さんの心配してくださいよ……」
「ふふ。最近の、ハンターは、ハングリー精神が足り、ないわね」
 軽口に、掴まれていない方の手を重ねる事で答える。
 ……クックの事は、話さない方が良さそうだ。

 汗だくな店長の顔と、しっかり握りしめる手。
 ディの視覚は、それ以上の情報を遮断していた。
 代わり、全神経を傾けていたのは耳だ。

「なぁ、坑菌石はまだいるか?」
「や、栄養剤だろ今要るのは」
「あのー……回復笛吹きましょうか?」
「んなケチな事言わずに全旋律いっぺんに大合奏してやんよ!」
「や、硬化と力の旋律は外した方が……」
「いにしえの秘薬できましたー!!」
「これだけあれば不測の事態にも十分だろう」

 外から聞こえる声。
 顔も名前も一致していない人達の声だ。
 そのどれもが皆、新しい命の為に出来ることをしようとしている。
 誰かが狩りから帰る声がすれば、別方向からちょっと待てと言う叫びが聞こえる。

 ……シャーリーががまだいきむなと言う。二人目だから大丈夫だと店長が返す。
 軽口を言いそうな姉の声が聞こえないのは、口を開く余裕がないからかもしれない。

 手を握ることしかできない。なのにプレッシャーは途方もない。
 店長の横たわる椅子の高さが中途半端で、膝を付くこともできない。

「回復笛作ったよ!」
「中っくらいの竜骨持ってる人挙手ー」
「Lv2以上の散弾と拡散弾Lv2持ってる人、中身出してー」

(明日は、起きられないだろうな……)
 主に、腰痛で。
 中腰のままと言う姿勢が、苦にならない理由は明らか。
 外の演奏だ。大多数を占める柔らかい音色。
 数に負けず響く、色々ゴチャゴチャした、けれども一定の旋律。
 それが負担を軽くする。それが、この場に立ち続ける力をくれる。

 恐らくは、まだ胎内にいるだろう赤子にも。

(無事に出て来いよ……)
 響き渡る音色は全て、たった一つの命の為に。
 外の面々は、顔も名前も殆ど一致しない。その誰もが、赤の他人。

 だから、素晴らしいと思う。

(これだけ沢山の人が、お前の誕生を願ってる)
 握りしめた手の上に、滴が二つ。
 誰も気付かない。
 これから母になる人も、ソレを助けている二人も。
 流した当人さえ、周囲の善意を一粒たりとも取りこぼすまいと必死だ。

 必死で必死で、気付かなかった。
 姉の声も、天幕の中に人が一人増えた事も。
 直後飛び交う様々な声も、笛の音色とその他諸々に溶け合っていたように思う。

 ……。

 ……そうして、どれだけ時間が経っただろう。

 血の臭いを嗅いだ気がする。

 産声は聞いた。

 男の子だと言う事も聞いた。

 大勢の人の安堵と歓声も聞いた。

 ……姉が、愛おしげに赤子を抱いている姿は朧だ。

 はて、ここはギルドのカウンター裏。
 広々としたスタッフルーム。
 そのベンチに、腰を下ろすまでの記憶がない。
 眠りに落ちた記憶も無いはずだけど。

 自分の向かいにいるのは、姉とシャーリーさん。
 姉はと言えば、呆けた顔で、何か抱きかかえるような手つきを何度も繰り返している。
 一回抱いたな、アレは。

 右にずらすとホリーさんと、いつの間に居たミハイルが背中預け合って寝ている。
 左にずらせば、マイラがジャッシュの膝枕で寝息を立てている。

 自分の横には金剛装備の男。
「起きたか?」
 どうやら、彼に寄りかかって眠っていたらしい。

 時計を探したら、深夜を指していた。
(……実は、すっげえ難産だったんじゃねえのか?)
 理由は単純。子供が大きかったから。

 ……膝枕されてないのは幸いだった。その膝の上には、兜がある。
 視線を上にずらしていくと、黒髪が見えた。その下には白い肌。
 更に視線を上に持ち上げると……。
「大役ご苦労、サー・ディフィーグ」
 金剛装備を身に纏った、ギルドナイツ筆頭が居た。
 不似合いに見えるのは、いつもコート姿だったからか。

「……俺、実質なんもしてませんよ」
「いーや、十分大役だ」
 彼と両親の関係を知ったのは、つい最近の事だ。
 この人ならば、自分をあの天幕の中に突き込んだのも納得がいく。

「……その人には、感謝しときぃ」
 気怠げに響いたのは、姉の声。
 よくよく見れば寄りかかられているシャーリーの方が眠っている。

「ものすごーく、手際いいって助産師さんに褒められてた……」
「一度、立ち会った事があってな」
 まさかなーと、思いつつ、姉に視線を向けてみれば……。

「よもや、隠し子!?」
「まさか、イリスさんの!?」
「今更一人二人いても驚かんな」
「違うわーっ!!」
 ……筆頭が立ち上がった拍子に倒れた。
 大丈夫かと問われたが、正直起き上がる気力も無い。

 ドアから、酒場のどんちゃん騒ぎが聞こえる。
 いつもの事だ。ギルドの酒場に閉店は無い。
「もう、いつも通りですかね……」
「反対側のドアで、妊婦と新生児が寝ている以外はな」

 気がつけば姉は眠っていた。
 つられてか、ディの意識も次第にまどろみに沈んでいく。

 今日、朝起きたら姉が帰ってきた。
 採集ツアーではふとした事からクックを助け……。
 最後の数時間はいろんな意味で精神すり減った気がする。
 ……手を握っていただけなのだけど。

 明日目が醒めたら、いつも通りの日常が始まるんだろう。
 姉の事だから見送り、と言うイベントがある気がしなくもない。
 そうしたら本当に、いつも通りの日常になるんだろう。

 ……この日は、ささやかにして……。