――ただ守られて、生きてるだけの自分が一番嫌いだったんだ。

 最初は何も知らない振りをして、自分の前にやってくるだけだった。
 それだけでいじめっ子はそそくさ逃げていって、それで終わるはずだった。
 何もしないと解ったら逃げなくなっちゃったけど。

 ……そしたらお姉ちゃんも反撃しだした。
 最初は砂。次は石ころ。狙った所に確実に当てるのは凄いと思った。
 相手の親がやって来た。

 お姉ちゃんから一方的に攻撃してきたと言われた時、辛かった。
 でも、相手を悪い子に仕立て上げるのは嫌だった。
 もの凄くずるいことだから、お姉ちゃんもやったと聞いた時、殴ってしまった。
 お姉ちゃんが本当に悪い人になるのが嫌だった。
 いつも後ろに隠れて泣いている自分が、嫌だった。

 ある日、いつものように庇われていた時、シュ〜っと音が鳴った。
 お姉ちゃんの手に小樽。導火線付き。多分普通に爆発する。

 走り出す。止めようと掴んだ緑の髪。それはあっさりすり抜ける。

 閃光。暴風。
 石造りの街が、音も無く瓦礫の海に一変した。
 その下から覗く白い腕。ぴくりと動く……。

 瓦礫を退ける。ひたすら退ける。
 雌火竜の鎧がチラリと見える。砂竜の籠手の盾が出てきた。
「姉さん!!」
 無我夢中で引きずり出したら……

 もこっ

 緑のアフロが出てきました。
「!!!!!!!!!!!!!!?」

 ……目が醒めると、ベッドから転げ落ちていた。


   ――――『その日はささやかにして』―――
            何気ない朝に

 リビングの中央に置かれたテーブル。

 本日の朝食、皿の上にこんもりにそびえるブロッコリー。
 それはもう、こんもりと、買った覚えのない大皿にてんこ盛り。
「坊ちゃま、茎までしっかりお食べくださいニャ」
「あ、ああ……」

 ディフィーグ=エイン、通称ディ、思う。
 コレは何の嫌がらせかと。

 いや、今朝の夢の内容を知る由もない赤虎の従者に非は無いのだが。
(……髪が緑って時点で気付けよなあ俺。染めたの出てく前じゃん)
 赤虎……ミハイル曰く、特売日の戦場をかいくぐったのですニャとの事。
 だからと言って、マヨネーズとドレッシングだけは手抜きが過ぎるんじゃないのかと。
 好き嫌いで言えば食えなくも無いが、大量に食べるのはちょっと勘弁願いたい所。

 そうでなくても、多い。
 二人で食べるのならいいだろうに、コイツの分は別にあったりするから始末に負えない。

 どうにも食欲の沸かないまま、フォークでマヨネーズを一掬い。
 器用に二つの点を並べて、その下に曲線一つ。
「坊ちゃま、食べ物で遊ば……」
「これ、姉貴」

 ミハイル、口の端がひくっ。

「坊ちゃ……」
「ブロッコ、リィ」

 口元の赤虎模様も、ひくくっ。

「アフロ」
「〜〜〜〜〜っ!」
 ミハイル、口を押さえたまま仰け反った。
 意地でも笑うまいと床の上でもんどり打つ中年猫。
 その様と言ったらじったんばったん、吊り上げられたガノトトス。

「ミハイル、ウケ過ぎ」
「くぅ〜……御髪を染められたお嬢様が悪いんですニャー!」
 当人、たぶん凌ぎきったつもり。
 でも、口元の歪みは直らない。
 ひくひく動く口元を見て、悪戯心が芽生えて一言。

「でも姉貴ってさ、場合によっちゃ良家の当主の可能性もあったんだよな?」
「ぶニャッ」
 ミハイル、再びのたうち回る。
 その有様にディも吹き出すか吹き出さないかの頃。

 カランコローン。
 来客を告げる鐘が鳴った。

「……誰ですかニャ?」
「お前の客じゃないのか?」
「違いますニャ」
 互いに顔を見合わせる主従。
 しばしの逡巡だったが……。

 カチャリと、扉は待たずに開いた。
 鍵はかけてあったはず。

 リビングと玄関の間には、仕切りがあって見えない。
 扉の閉まる音。古めの床が軋む音。
「おい……」
「ニャア……」
 ちなみに言うと、この家先日暗殺者みたいなのに侵入されたばかり。
 一歩一歩近づいてくる足音、少しづつ鋭さを増す感覚。

 玄関とリビングを遮る間仕切りの横から、ひょこりと覗く緑の髪。
「うーす、ただい……」
「ブロッコリ来たーっ!!」
「ぶはニャッ……!」
 ミハイル、とうとうぶっ倒れた。

「……帰ってそうそうなんじゃい」
 次に出てきたのは薄緑のベストと鎖帷子のスカート。
 緑に染めたツインテールが、フラフラ揺れる。
 呆れて髪を掻く来客はブロッコリー……改めディの姉、リネット=エインだった。

 しかしこの来客、その後何事も無かったように朝食の席。
 いったい何でと問う間も与えてくれやしない。

「相変わらずミハたんのご飯はごっそりだの」
 ベストとワンピースの正体はレイアシリーズのインナー。
 鎧の装甲部分を外せば緑のベストと赤のシャツ。
 鎖帷子のスカートが、しゃらと鳴った。

「て……帰るなら連絡の一つもよこせっての」
「んー。今日帰って来ちゃいかんかったかね?」
「あー……うん。用事は一応、ある」
「じゃあそっちを先に済まそう」

 本日の予定、風邪で倒れた友人ラウルのお見舞い。
 天気は晴天。市場も路地も喧噪は相変わらず。
 ちょっと喋りながらの道程を。

「なーんで私がアフロかい」
「姉貴……首、首締ま……」

 そこを歩くのは浅黄色の、ごく普通のワンピースに着替えたリィ。
 彼女にヘッドロックされて引きずられるのは藤色のベストにジーンズ姿のディ。
「お嬢様ー、歩くのお早いですニャー」
 後からてんこ盛りのブロッコリー乗せた皿を頭に乗せて追い掛けるのは赤虎のミハイル。
 喧噪の中では、そんな姿も人の目を引くことはなく。

 ラウルの家は、ハンター用にあてられたゲストハウスの一つ。
 ドアを叩くと、白猫がひょっこり顔を出した。
「あ、お見舞いですかニャ?」
「よ、セーレ。ラウルの調子は?」
「今日はもうピンピンしてるニャ。ボクもこれから帰る所ニャ」
 白猫、リィに撫でられてチップを貰って上機嫌で帰って行った。

 玄関から入ってすぐにリビング。その隅にベッド。横にテーブル。
 セーレと名乗った白猫のお陰か、ラウルが意外と几帳面なのか、男の一人暮らしという割に小綺麗だった。

「やっほー」
 ベッド上でひらひら手を振るラウルが着ているのは白いシャツ。
 そして今、ベッドのサイドテーブルに乗った皿にはいくらかのブロッコリー。

「ブロッコ、リィ」
「ラウりんもかい」
 今朝のディ同様フォークで落書きしてからかじりつく姿を見る限り元気そう。

「坊ちゃまの為に買って来ましたのにニャ」
「風邪には効くだろ?」
「のほほ。適材適所というやっちゃ」
 てんこ盛りだったそれは、四人がかりで結構減った。

 そして話の中心に据えられるのは半端病人より来客。
「それにしても、ムシャムシャ……リィちゃんも一緒に来るなんてねえ」
 何のかんので村のために腐心する彼女が街に来るのは珍しい。
 誰も皆喋らず、ただリィの言葉を待つ。

 そのリィ、特に引っ張るでもなくさらりと言った。
「ジャンボ村、辞めてきた」
 実に、さらりと。

「……やめたの?」
 ディが口を開いたのは多少の慣れ。それでもやや硬直気味。
「うん」
 リィ、ブロッコリーをひょいと一口。
「もぐもぐ……あたしんち、ギルドの出張所に提供することになったよん」

 ナイツには伝わらんもんかねと前置きしてリィは続ける。
 ジャンボ村の規模その物は町と呼んで差し支えないほどになっている。
 近くの密林への中継点に訪れるハンターもいる。
 しかし、肝心の村付きとして居着く数が極端に少ないと言う。

「んで、やっぱ上位の依頼も欲しいなあと。うちは立地条件良いし無駄に広いし」
「だったら、姉貴が第一陣で行ったらいいんじゃねえの?」
 少なくとも、村の英雄を追い出す理由にはならないはずだ。

 追い出す……そんな単語が過ぎったディ、ミハイル、ラウルの三人。
 三人がリィから離れるように顔を寄せ合って……。
「なーにを想像しとるか」
 揃ってブロッコリーの皿で殴られた。

「いや丁度時期を同じくして、農場主さんを無くしたぬこたん達がおりましての」
 コトリと置かれる皿。零れるほど残ってない中身を一個拝借する赤虎。
「姉貴……まさか……」

「ポッケ村、赴任する事になりましたー」
「そんだけの理由でかい」

 ぱしっ。

 今度はディが姉の側頭部に大皿アタックを喰らわせようとして受け止められる。
「ふ。おまいさんの行動パターンぐら……」

 ごんっ

 そこは弟もさる者。お皿をひょいっと動かし姉のデコに一発。
「伊達にナイトやってねえっての」
「むぎゅ……不覚」
 皿の上にあった最後の一個はそのままラウルの口に。

 姉が皿を退けると、吊り目を据わらせた弟の顔がある。
「ったく……んな理由で村ほっぽり出すか、普通?」
 この弟、口調こそ軽いが本気で腑に落ちないらしい。
 だからラウルもミハイルも黙ってる。空気を変えるような話の種もない。

「あそこは、もう私がおらんでもやってけるっしょ」
「だからって……」
「英雄が何時までも居座ってちゃ立ちゆかんよ」
 口を開こうとしたディはしかし、姉の人差し指一本で牽制される。
「いつか自立するもんだ。人も村もの」
 そのままディの額をつんっと一突き。

「それとも、一緒に住めなくて寂しいかい?」
「ん、んなわけあるかっ!!」
「あ、きょどったー」
 弟の動揺を見逃さなかった姉に、便乗というか悪ノリしたのがこの家の家主。
「え? 姉貴びっくりさせるんだって意気込んでたじゃーん?」
「ちょ、ラウル待……むぎゅっ」
 弟、ラウルの口を塞ごうとして逆に自分がベッドにむぎゅっ。
「むぐーむぐー」
 もっとも、時既に遅しだったようで……。
「なーるほど、一人暮らしの割に広いと思ったらそう言う事かい」
 姉、とっくに理解。

「押さえるのもめんどいしー……ぐるぐるーっと」
 弟、弁明したくてもラウルの手布団に押し込められて叶わず、とうとう簀巻き。
 ベッドの隅、必然的に部屋の隅に転がされ。
 それらをなんだか我が子でも見るように目を細める赤虎猫。

 と言うわけで布団に簀巻きのまま弟尋問タイム。
「しかしまあ、家買ってたとは……て、そんな貯金あったかね?」
「色々、売り払った分……」
 この姉弟、独り立ちの切っ掛けは両親の死。
 更にいうならソレを切っ掛けに沸いた自称親類共の群。
 奴らにくれてやるぐらいならと残る財産をハンターの装備諸々に変えてしまった経緯がある。
 ビタ一文渡す気はなかったので金銭的には結構なギリギリだったのだが……。

「それにしては広くないかえ?」
 リビングに個室が二つ。いわゆる2LDK。弟は当時十四歳。
 姉にしてみれば、上位ハンターといえどもまだまだ子供と思っていたが……。
「……格安だったんで、その……」
「それ、いわゆる訳あり物件じゃないかえ?」
「へ?」

 全く考えになかったようで、目をぱちくりさせる弟。
「あー、何か事件があったりとかして買い手が付かないような?」
 ここでラウルも参加。
 その一言で、弟にもどういう意味か解ったらしく……。
「そ、それって、まさか……」
 姉とラウルのニヤニヤ顔に、否応なく募る不安。

 ニヤニヤ顔の二人。弟の前に両腕だらりと伸ばして、手の甲ふら〜んとさせて……。
「コレがいたり、するんじゃなぁ〜い?」
 ついでに白目とか向いてみたりする二人。
「マジで勘弁してくれーっ!!」
 弟、本気で涙目。簀巻きのままベッドの隅に蹲る。
 くるっと丸まった姿は、まるでマシュマロ。

「あー……拗ねるな拗ねるな。ここ四年、出たなんて話は無かろう?」
「そうそう、んな事気にしてたらおじさんなんて何度祟られてるか解らないって」
 姉とラウル、ベッドの隅に乗り出してマシュマロをなだめるも成果無し。

 それを、いつの間にかお茶をすすりつつ遠目に見ていた赤虎が一言。
「そう言えば、ケイン君が言ってましたニャア。何かいる、と」
 マシュマロ、ぴくり。
「そうなん?」
「ええ、全身総毛立っておいででしたニャ」
 弟の方を見てみれば、布団の隙間から、涙目。
 抵抗したくとも簀巻きではどうにもならず。
 姉とラウルは元よりミハイルまで弄る側に回ってはまさしく孤立無援。

 ディフィーグ=エイン、これでも十八歳。
「ねえリィちゃん、ディって幽霊が怖いキャラだったっけ?」
「んー……雪山で幽霊と一緒に遭難したことならあったかのぅ」
「うるへー……」
 さすがに大人げない。

 コンコン。

 ディにとって、このノックの音はどれほどの救いだったろうか。
 ……否。
「ラウりんや、これ出る前にほどくかい?」
「どーせマイラちゃんあたりでしょ?」
「ちょ、まっ、これ解い……」

 もふっ。

 再びベッドに押しつけられて視界がホワイトアウト。
「むぐーむぐー……」
 結局、布団で簀巻きにされたまま来客を迎えるハメになった。
 それでも首を横に回して玄関を視界に収めたのは、意地。

 ミハイルがドアを開けると、いたのは……。
「ラウルさん、お元気そうで何よりです……リィさんもお久しぶり……」
「お前ら、何やってるんだ……?」
 あきれ顔のマイラとジャッシュの黒髪親子。
 マイラは黒服にチェックのスカートというおよそ防具と思えないヒーラーU。
 背負っているのは金属製の、大きなハンマー。
 ジャッシュの方は小さな羽のついた翡翠色の帽子に、同じ色のヒラヒラしたメルホアシリーズ。

 リィやディと違っていつでも狩り場に出られる格好だった。
 そのリィ、ジャッシュをマジマジと見つめて一言。

「……ジャッシュのおっちゃん、ソレ何?」
「運搬用装備だが?」
 ジャッシュ=グローリー三十三歳。
 元々強面なのに加えて、年齢的にも無理のある格好な事を追記しておく。
 それは娘のマイラも同じ認識だったようで、溜息一つついて父の横を素通り。
「はい。これお見舞いです」
 持ってきた紙袋を、ベッドのサイドテーブルにどさっと。
 少しばかり結露している所を見ると中身はアイスだろうか。

「それで、ディ君にはこちらです」
 未だ布団に顔半分押しつけられたままのディ。
 彼に見えるように置かれたソレはクエスト用紙。
 受注を示すギルドの判はまだ押されていない。

「んー……何々ー……?」
 ラウルが紙袋の中身……アイスを取り出した為やっと自由の身に。
 頭だけ。体は未だ簀巻きだが読む分には不自由しない。
「もうすぐ生まれてくる子供のために、栄養満点の飛竜の卵を確保しておきたい……」
 ディが依頼を読み上げる側で、姉はラウルに勧められたアイスに舌鼓。
 ジャッシュは無言だが、黙々と食べているあたり気に入った模様。

「依頼主、喫茶……」
 言い淀む。
「喫茶コケットリーの奥さんから、ディフィーグ=エイン指名のクエストです」
 そこは、ほろ苦い記憶に繋がる場所だったから。