昼なお薄暗い空を映す窓。
 最低限の明かりを灯したナイツ筆頭の執務室。

 ギルドナイツ筆頭、ルシフェン=フォン=ファザード。
 飛竜の気配を察したカッツェに起こされたのが運の尽き。
 午前二時から、彼は一睡もしていない。

 部下達を叩き越して仕事を割り振った今は退屈だった。
 しかし、生来寝付きの悪いこの男は眠れずにいる。

 否、眠る気も無い。
 何の覚悟も無く、唐突に巻き込まれた少年を思えば。

「行ってきたら。どーせ暇なんでしょ?」
 椅子の後ろで、ふて腐れているのはラウル。
 こちらを向こうとしないのは、自分の顔を見たくないからだ。

 半ば追い出される形で訪れた先、視界に映るのは雲と塔。
 瞳一杯に涙を浮かべ、瞬き一つできずにいる空。
 灰色の中の灰色。ルシフェンの視界で形を保っているのは見張り塔だけだ。

「……はっきりせんな」
 呟きの先は空か、それとも塔の上に閉じこめた姫君か。

 中はさらに薄暗い。こんな天気なら、空気はなお重苦しい。
 階段にかける足が重いのは、きっとそのせいだ。
(髪の梯子で登ろうという奴の気が知れん)

 平時には全く意味を成さぬ踊り場に、丁度同じ考えの男がいた。
 同じように、空気の重さに足を止めた男が。
 ジャッシュだ。

 この一件、ヘタを踏めば危ぶまれたのは娘の命。
 この男に彼の指導を任せたのは、他ならぬルシフェン自身。
 蚊帳の外に置くのが、心苦しいのは確かだった。
(今更だな……)
 それでも、譲れない一線を見てしまった。
 虚ろな紫眼に、十八年前の自分を見てしまった。

「その役、私に譲ってはくれまいか?」
 生真面目が最大の取り柄と思っていたその男は、
「嫌です」
 珍しく反抗的だった。

 
   ――――『First Kill:既遂』――――
          Convallatoxin

 ――「こ」……

 あの時、何故止めた?

 俺達は、どこか開けた場所に連れてこられた。縛られて転がってる黒子。
 彼女を抱えたまま、どんなにラウルに言われても放せなかった。

 なんで、そんな笑ってんだ……良い夢だったんじゃない。
 幸せだったのは、現実だっただろ?

 オレンジのネコが引く竜車。同伴者は先輩。
 マイラ達は無事、眠ったまま帰り着いた事を告げる。
 先輩と目が合った途端、腕の中のモノは形を無くして、

 ――くちゃり。

 赤い物が溢れて、目が覚めた。

 人は一度の眠りで数回の夢を見る。その度に、目が覚めた。
 石畳の上で横になっていた。背中に毛布が軽く触れる。
 石壁むき出しの部屋。大きいけれど日の差し込まない窓。
 朽ち木一歩手前のボロドア。
 高い、塔の上。懲罰? だったらナイトスーツじゃない?
 着替えた記憶がない。血塗れ……だったっけ?

 もっとマシな終わりはなかったのか。
 彼女は何故あの時止めた。
 気がつくと朝が来ていて……店の方を視た。
 嫌に『眼』が冴えていて、変わらぬ喧噪の中、人の気配の無い一点を見つけた。

 ……ああ、駄目だったんだ。

 昨日あんなに笑ってた。店長さん、お腹大きかったな。
 もしかしたら、生まれてくる子供を楽しみにしてたかもしれない。

 ……お前の前任な、その通り魔追ってたんだよ。
 ……そのまま、生きて帰って来なかった。

 死刑囚。逃げ出した。どのみち? 資格は無い? 奪われた人は?
 だけど、でも、こんな、許せなかった、でも……どうしたら……。

 陰鬱な空だけが見える窓。降りたら楽だろうか。
 それをしようにも、立ち上がることさえ億劫なんだ。

 下に二人ほどいる。視つけたのか、足音を聞いたのか。
 石畳越しに感じる張り詰めた気配。感覚ばかり冴えている。

 一人落ちて、一人駆け上がって来る。
 嫌だ……誰にも会いたくない……扉に向かおうとして、倒れた。
 一拍おいて、駆け上がる音が聞こえて、止まる。

 乱暴に開くドアの音。

「ディフィーグ!?」
 それを認識するのとほぼ同時、仰向けにされた。肩を打った。
 狼狽えた声で、青ざめた顔で俺を覗き込んでいるのが筆頭と気付くのに、大分かかった。

 ……下からもう一人駆け上がってきて、
「どうかし……ぶもっ!?」
 筆頭が足でドアを閉めた。結果は言うまでも無く。

「……何でまたナイツ筆頭が?」
 来るべきは、階段下でのびてるだろう先輩なんじゃないのか。
 聞いたら、皮肉った笑み浮かべて返してきたけど、
「話は、できるようになったらしいな」
 さっきの顔が、焼き付いて離れない……。

 首の後ろを髪ごと掴まれてベッドに放られる。
 俺、あの後どうなったんだっけ?
「まったく……どうしたものか」
 ……動けない? 違うか。

「惚れた女に死なれて、翌日に立ち直れるとは思わんが」
 殴ろうとして両手を取られた。

 構わず振り上げた足が筆頭の横を掠める。
 解放される手。振り下ろしてきた手刀が肩の横を掠める。
 そのままベッドから転げ落ちる、死角のはずだ。

「なら逆か? お前には余計きついな」
 ……挑発には乗らない。
 一呼吸入れてから飛びかかる。

(いないっ!?)
 探そうとしたら足を掴まれてベッドの上に叩きつけられた。
 喉を押さえられた。振り上げられた手が鋼の籠手な事に気付く。
 貫手の構えになるのを見る。
 熱くなった頭がさっと冷えて……。

 ぱしっ

 ……貫手は寸止めで終わった。
 切磋に防御しようとした俺の手は間に合わず、筆頭の手の平に当たる。
 硬い。痛い。
「聞く耳はある。戦闘判断もまあ問題無い」
 貫手が解かれて、襟を持ち上げられ座らされる。
「なら、祈りの時間は終わりだ」
 結局、たった一晩もかからぬうちに、俺は……。

 ……畜生、頭の隅で解ってる。
 拳一つ撃ち込めるかさえ解らない相手だって。

「ディフィーグ、アレは事故だ」
「……事故?」
「お前は、彼女に庇われただけだ」
 いきなり、何だよ……。

「あの店も無事だ」
 無事……ああ、もうそれだけでいいのに。
「今なら手を引けるぞ?」
「何から?」
「ナイツから。お前はまだ誰も殺めていない」
 頭に血が上るのが解る。誘惑と言うには、あまりにも苦かった。

 息を吸えるだけ吸って。
「……ディフィーグ?」
 肺の底に溜まるような熱を吐くだけ吐いて。
 足はすぐ立てるよう動かして……バレてようが、知るか。
 余熱は締め上げる手に添えた右手と、左の拳。
「俺は、そう言う……」
 やや拳寄り。

「誤魔化しが大っ嫌いなんだよ!!」
 何が嫌だって、だだっ子の甘ったれの自分が!!

 渾身の一撃と思った拳も、あっさり受け止められた。
 拳を押さえられている。それだけで動きが取れない。
「嫌か?」
「当たり前だ!!」
 拳を掴む力が強くなって、
「その辺は、サイの息子だな」
「……え」

 力が抜けた一瞬、一回転してベッドに叩き伏せられてた。

 横に腰掛ける気配がして、頭に手を置かれて動けない。
「やれやれ。私の出る幕無でなかったか」
 子供をあやすよう撫でられる度に抵抗するも、力任せの抵抗は無駄。

 静かだった。
「翌日立ち直れるとは思わないって言いませんでした……?」
 恨み半分に呟いた声も聞き取れるほど。
「泣き狂ってないだけだが、ま、悪い状態じゃないさ」
 撫でられた。子供扱いも甘んじて受けろと?
 いや、実際子供か。不安に駆られて、突っ走って、結局……。

「俺……どうなるんですか?」
 高い塔。整った部屋……異様に優しいナイツ筆頭。
 まさか、いや、でもいっそ……。
「悪いようしないとケインに約束してしまった」
「……俺の事?」
「彼女の身辺、含むお前」
 頭に触れた手が、爪を立てる……痛い。

「いやむしろ、泣こうが喚こうが逃がすつもりはないから覚悟しておけ」
 そりゃ、どーも……。

 その後は、何だろう。本当に筆頭が思うよりマシだったのか、そのまま。
 どうしたものか、とかそんな呟きがぼそぼそ聞こえて来るだけ。
「……父と、何かあったんですか?」
「そうだな……話……」

 静かだった。
 ……開くボロドアの軋む音が五月蠅いぐらい。

 顔を上げようとして、強く押さえつけられた。シーツに埋もれて息が苦しい。
「筆頭。彼の地図と例のピアス、お持ちしましたが?」
 聞こえてきた声はイリスさんの声。
「お前が戻るのは明日じゃなかったか?」
「思ったより、早く出来上がりましたので」

 無音の間。嫌な空気。
 何か言いたげに一回強く押さえられてやっと解放される。
 イリスさんは見覚えどころか、着たことのある黒いドレスを着てた。
 後ろ手に隠してるけどちらりとみえた蒼髪のウィッグ。
 怒りより、呆れの方が強かった。
 そういや非番だったっけ……この人。

 二人の目が、明らかに俺の反応を見ている。
 楽しむ、ではなく、見定めると言う意味で。早い話が品定め。

「この格好の方が都合が良いと言われたのですが……」
 イリスさんがそう言って、シャラという音を立てて裾を持ち上げる。
 ……仕込み武器、俺が着せられたより確実に増えてるな。
「それだけでは無かったようで」
 蒼い足が半分ぐらい見えたあたりで、よくぞ収まってたと思う。
「とんでもミャい危険地帯だったミャ……」
 ケインだ。いつものブックカバーと巻いた紙、それにナイトセーバー抱えて。
「筆頭、これは何の冗談すか?」
「何もせず、夜明けを待つつもりか?」
 俺が使い物にならなかったら、誰かと入れ替わる予定だったんだと。

「私も、先代の自慢話で聞いただけだった」
 アサシンギルド。そんなのは活劇やお伽噺の中の物だった。
 昨夜俺が伸したのがそれと思うと幻想も崩れる。
 それも、本当に露と消えそうなのだけれども。

 抉るだけ抉って、俺達には何の関わりも無いまま。
「昔、小物と思って捨て置いた連中と結びついたらしい」

 西日も射さない暗い空。
 カンテラが照らす塔の部屋。
 ベッドの上、残されたのは俺と猫。

「俺達、釣り餌だよな……」
「……ケッ」
 口を利いてくれるはずもない相手と二人きり。

 俺の耳には千里珠の改良品をはめ込んだ、鷹の意匠が施されたピアス。
 背中には使い慣れたナイトセイバー。
 腰のポーチには非常時に使えと言われた音爆弾。
 ナイトスーツには地図珠とその他……言われるまで気付かなかった。

 ベッドに広げられたのは、街の詳細図。
 後から書き足したんだろう街道、荒野、森を含めた分がはみ出している。
 何も知らなければそこは不要に見える。
 今俺の用があるのも、大老殿を含む街全域。

 時計塔や古い見張り台、大老殿の屋根の中でも潜みやすい場所。
 窓に向かって赤線が延びているのは狙撃手が狙う時に陣取る位置。
 赤線の起点へと延びた青線がそれを狙撃する。目立たない白い線は風。

 先代はその存在に感づいてから尻尾を掴むのに一年かかったという。
 一日足らずで背後関係まで解ったのは奇跡に近い。
 事実、あの目覚めは奇跡的なタイミングだった。

 だから、出来たはずだ。あの夢を締めくくったのは砲撃音。
 そう、上から行かなきゃいけなかった。俺の選択は間違っていなかった。
 ただ……しくじった。俺だけが……。

 地図の赤線は、この見張り塔にも延びていた。
 その赤線を狙撃する青線には×印。
 同じような場所が筆頭の執務室の窓の先に。俺の意識もその二カ所。
「なあ、ケイン……」
「うるせーミャ」
 周囲を『視ながら』話す余力があるのは、ピアスのお陰か。
 ここを狙う赤線の先に気配が一つ。それがなかなか動かない。

 標的が出てこないんじゃ当然かと、剣を握ったまま窓の前に立つ。
 来ることが解ってる弾丸を叩き落とすのは楽だった。

 今欲しいのはアジトの場所。俺の視線に気付いて人混みに飛び込んだのを捉える。
 鷹見のピアス。
 その名に恥じぬ高見からでは、何の意味もなさない。

「ケイン、記録頼む」
「で、おミャーはこの後仇討ちミャ。ケッ、良いご身分だミャ」
 その機会と力がある。それはきっと、とても幸運な事なのだろう。

――本当に来る保証は?
――今日煽るだけ煽ってやるさ。言ったろう、小物だと。

 その翌日の昼時。
 大老殿の一角、ギルドナイツの詰め所。ナイツ筆頭の執務室。
「まさか、本当に外堀から来るとはな……」

 机に脚を載せ、今朝方提出された地図を睨むのはその主。
 傍らに立つのは黒いドレスの女性。
 まだ帰ってない事になっている彼の副官。

 地図の隅、さらに紙を足して延長された先で止まる黒線は狙撃手の逃走経路。
 途切れたのでないことは、終点で大きく打たれた点からも明らかだった。
「……執念?」
「技術の進歩という事で」
 所々人通りの多い場所を迂回していたり、小さな生き物を放ったりしたのだろう。
 それも「彼」の視線から逃れようとした涙ぐましい跡としてくっきり残っている。

「伝書ハヤブサだけ選んで追跡しとるが?」
「流石に昏睡していましたし」
「それを人は執念と呼ぶのだよ」

 時を同じくして、イャンガルルガのローズを伴って偵察に向かったオフィからアジト発見の報が届く。
 伝書ハヤブサの行き先は支援している者共の居場所だった。
 ヴァリスからの報告では、アレらは再結成から僅か数日に過ぎぬ烏合の衆。

「……これ、ディフィーグには絶対言うな」
 足りぬ人員に囚人と、以前の失踪事件から未だ見つからぬ女性達が充てられていた。

 更に数刻後、カッツェがガーディアンシリーズを着込んだ女を伴って戻ってきた。
「アスタルテ、守衛隊との交渉はどうだった?」
「どうも何も、コレ一本で全部丸く収まった」
 机に置かれたのはライーザが持っていた剣。
 形状は先代……ルシフェンの母に聞いたそのまま。ただ、刀身の材質が違う。
 刃紋は無く、代わりに鱗状の……否、鱗その物の模様があった。
「最近見つかった、アレか?」
 ならばこれは、ナイツが扱うべき案件だ。

 アジトも支援者も、その隠蔽は巧妙だった。そこにあることを知られなければ。
 武器にしても同様。無防備な寝込みを襲って逆に奪われた。
 非常事態を伝えるハヤブサが、蒼火竜のお夜食になってしまった。
 あらゆる偶然が彼らの破滅へ向かう。それは……。
「まるで呪いだな」

 そして、ナイツ筆頭は今宵掃討作戦を行うことを告げる。
 準備は迅速かつ、内密に。拙速は巧遅に優るを地で行く相手。
「拙速と迅速の差を教えてやろうではないか」
 敬礼を返す部下の目に、魔王の笑みが映った。

「所でラウル。お前はいつまで拗ねている気だ?」

――「こ」……

 俺が昏睡状態から覚めた頃には日が暮れていた。
 哀しいかな。目覚めはやはり悪夢だった。

 ケインとやっと話が出来て、俺が覚悟決めて抜け出そうとしたまさにその時。
 イリスさんがやってきた。あのドレスを着たままの。
 待機任務からこっそり抜け出して来たそうで。

 手を引かれてやってきたのは闘技場の裏庭とでも言うべき場所。
 岩棚にあると言われたけれど、雲が厚くて明かりも無い。
 明かりはカンテラと、暗闇の向こうでこぼれる火の粉だけ。

 火の粉の主はホムラ。
 横にはリオレイアのシェリーもいるけど、大人しいもんだ。
「何でお前が腹立ててるんだよ」
 明らかにお怒りの火竜が鼻先だけ寄せて来る。俺、そんなにヤバイ状態なのか?
 いや、その前に焦げるのは勘弁願うから押し返す。無駄な努力だったけど。

 用意周到とは思うけどさ。
「良いんですか、こんな事して?」
「私が憤慨してはいけませんか?」
 意外には思う。

「サー・ディフィーグ」
「はい」
「地獄を見ていらっしゃい」
 ああ、結局みんな嫌なんだ。

 イリスさんが立ち去ると、辺りは本当に静かだった。
 月がない。一寸先は闇。自分の心音が嫌に響く。
 ホムラをなだめながら、時間だけが過ぎて……

 足音を察するより早く、頬に冷たい物が触れた。

「どういうつもりだ、ディフィーグ」
 筆頭だ。
「どうしたもこうしたも」
 負けるな、俺。
「連れて行ってはくれませんか?」
「却下」

 振り向いた時、頬に触れたヴァルハラで薄く切れた。
 筆頭の後ろにラウルと先輩。大丈夫、まだ気圧されてない。

 一人で背負い込めるほど軽い事じゃないのは解ってる。
「どうしてもですか?」
「ああそうだ」
 だから足掻く。殴り倒されるまで諦めない。
 ここで切り捨てられるなら、それは俺が思い上っていただけの事。

「この先は戦場だ」
「黙って夜明けを待つ気はありません」
「店も、その主も、彼女が守ろうとした者は皆無事だ」

 威圧されてるのは解る。
 俺が図太いのか、筆頭が狼狽えてるのか。

「お前まで言い逃れえぬ咎を背負って何になる?」
 俺はガキの頃、一度逃げた。

「俺、ナイトですよ」
「自ら手を汚して、得る物があるか?」
 狩り場へ逃げ込んで、今でも時々夢に見る。
 だからきっと、今ここで逃げ出したら……。
「夢に見ます」

 ヴァルハラが下げられ、筆頭が俺の横を抜けようとする。
 こう言うとき、口の早さが物を言うのだと思う。
「行くぞ」
「……感謝します」

 物言いたげなラウルと先輩には、大丈夫だと目配せした。

 ――ごめん。
 ――俺、人を殺しに行ってきます。

 ホムラの足には俺と筆頭。シェリーには先輩とラウル。
 頭上に雲。眼下に森。明かりの差し込まない闇の中に一点の明かり。
 そこに蠢く幾つもの気配。
 よく見なければ見落としそうなそこは、昨日俺が視た場所。
 周囲に潜んでいるという9人の気配がちらりと視えて消える。

 急襲、制圧。その先陣に自ら立つからこの人は筆頭なんだろう。

 少しずつ下がる高度。
「ディフィーグ、お前は周辺警戒」
「え?」
「さ、行くぞっ!」
 筆頭が飛ぶ。ヴァルハラと、盾の代わりにソードブレイカーを構えて。
 その先の気配がなぎ払われ、穴が空くのを視た。
 ラウル達が続いて降りて、言われるまでも無いとばかりホムラは高度を上げる。
 ……精一杯の、妥協点なんだろうな。

 そして眼下に、格の違いを視せつけられた。

 先陣を切ってるだろう筆頭に群がる気配。
 狙撃手はたちまちのうちラウルが無力化していく。
 両者の隙間を縫うように駆け抜けていく先輩。
 周囲の九人も三人一組で同じように、一つの無駄も無く。
 運び出される弱々しい気配は、薬を使われた人だろうか。

 火の手が上がる。制圧されていく気配の群れ。
 誰一人命を落として無い事が恐ろしく思えた。

 ただ一つ。群れを抜けようとする気配を視つける。
 明かりと白い幌で目立つ。ついでに火を照り返す装飾も派手なんだろう。
 ナイトでもアサシンでもない。戦う者でない気配。御者を含め、護衛の数は5人。
 地上では誰も気付いてないのか?

 音爆弾を取り出す。ホムラに下へ向かうよう促す。
 その判断に、私情は混ざってないか? 結果を背負えるか?
 でも、ここで逃がしたら何らかの禍根が残る。
「……行こう」

 どのみち後悔すると言うのなら、悪い夢を終わらせよう。

 固く腕に巻かれていた手綱をほどく。
 剣を一本逆手に持って、飛んだ。

 放った音爆弾が爆ぜる。
 高音を響かせながら迸る色とりどりの閃光が馬を怯ませ、止める。
 降りたのは止まった馬車の上。流石に早いな、もう二人登ってきた。

「ヒャハハハハハハッ! そう来な」
「うるせ」
 耳障りな高笑いと一緒に斬りかかってきた一人目は顎を狙って蹴落とす。
 無言で突きを繰り出してきたもう一人は御者。
 早い。だけど……。
「え、子供……っ!?」
 肘で吹っ飛ばして、下にいたもう一人とぶつかって動かなくなった。
 素人。本職は筆頭達にかかりきりって事か。

「ひ、ひええええあああああああっ!?」
 馬車から這いだしたそれを見て、一瞬思考が止まりかけた。

 派手なばかりで悪趣味な肥満体。悪徳貴族の典型。
 筆頭の言ってた小物はコイツだと確信できるような。
 呆れとは、少なからず怒りを抑えた上で、助長するものらしい。

 残る二人の護衛を余所に逃げようとしたソイツ。
 それを阻むように降り注いだ火球が木をなぎ倒し、燃やす。
 ……お前まで人間のドタゴタに張り切らなくてもいいだろうに。

 炎の壁が、辺り一面を照らす。
「お、お前……」
 降りた俺と目のあった肥満体が目を見開く。気色悪い。

「そ、そうだ、コイツだ! あの若造なら、人質一つで黙る!」
 確かに黙りそうだ。それが、可能ならという話だが。
「こ、今度は、身内も無事で済まんぞ!!」
 身内。その言葉に顔色を変えた二人が飛びかかる。
 焦りにやられて動きにキレがない。肥満体を逃がす間もなく殴り倒した。
「身内ねえ。そうやって動かしてたわけか」
 ああ、火を噴きたくなる気持ちも解る。
 ここでキレたら駄目だと、言い聞かせようとしていた。
「こ、こんなゴミ屑どうしようがワシの……!」
 ……やめた。

「じゃあお前を細切れに刻んでも文句無いな」
 ふと、その光景を思い浮かべる。三流ホラーにありがちなスプラッタ。
 血肉の海。中心に立つ真っ赤な自分。真っ赤に、血の色に染まった……。

――「こ」ろしちゃだめ――

「……あ」
 それが、夕べ最後に見た物と重なった。
 あの時聞こえなかった言葉と一緒に。

 ああ……ならば、やはり俺が殺したのか。

 ……何かが、「ぱららっ」と背を打った。
 一つ、二つ、やがて数え切れなくなる。

 雨が、ようやく降ってきた。

 自然浮かんだ笑みをどう思ったのか、こめかみに短銃を当てる男がいた。
 それを剣で弾き飛ばす。ナイフを取り出そうとした。やはり弾いた。
「い、嫌だ。嫌だ、嫌だぁあぁぁ……っ!」
 銃を拾おうとする。目の前で両断した。顎が動く前に言ってやった。
「舌噛むのは止めとけ」
 こっちは一切触るな言われてんだ。
「失血も窒息も難しい。適切に処置すれば、痛いだけで終わる」

 境目の殆ど解らない首に刃を向ける。直には当てない。
 でも、倒れかけた肉だるまの動きを封じるには十分だ。
「俺はお前を許さない」
 詭弁だろうが何だろうが、やってやるよ。
「生きて裁きを受けろ」
 殺意も悪意も、全部噛み殺してやろうじゃないか。

 泣くだけ泣いた空が、ほんの少し明るくなる。
 ホムラの影が見えた。雨の向こうにいるのが筆頭だと解る。
「すまない。遅くなった」
 ……ほんとだよ。

 打ち付けるような雨の中、あとは終わるだけだった。
 どこからか守衛隊もやってきて、あの肥満体も連れて行かれた。
 倒れた護衛五人のうち、一人だけ運ばれ方が違うのに気がついた。

 そうだよな。そんなうまい話が、あるわけ……。
 俺が、そう言う道を、選んで……。

「何か、見つけられたか?」
 解っていたじゃないか。
 こんな事したって、誰も、何も、帰って来ないって……。
「……く……ょう……」

 雨が、もの凄く重かった。

 姉貴の前で、覚悟とか口にしてさ、結局……。
 でも、きっと、こんな事は、その覚悟の何処にも無くて……
「……畜生……」

 こん、な……。

 罪人。死刑囚。逃げ出した。

「チックショオオオオォ――――ッ!!」

 それでも、生きて欲しかった。