地図は東、フラヒヤ山脈に近くとも、麓と呼ぶにはほど遠い森。
 針葉樹の隙間から空を仰ぐ者がいれば、あり得ない物を見ただろう。

 寒空を裂く翼、足、尾、そのどれもがしなやかで力強い。
 飛竜の象徴、空の王者リオレウス。
 小柄ながら宵色に煌めく甲殻は、その亜種に他ならない。

 更にあり得ない事があるとすれば、その足に巻かれた革帯に人が掴まっていた事か。
 その人物、青い騎士装束の少年が微かな震えに気付く。
 彼は愛騎の首元に繋がる帯を引き、すぐ先に見える丘の麓へ促した。

 そこに二人。それぞれ、赤と黒の騎士装束を纏った二人。
 暢気に手を振っているのは赤い羽帽子。ちなみに何故か、羽も赤い。

 彼等は、ドンドルマの街から派遣されたギルドナイツだった。

   ――――『ドラグーンの日常』――――

「どうだったー?」
「まだ動きは無いよ。肉眼で三、四人。千里眼で四、五十人」
 三人で相手をさせられていたらと思うとぞっとする。
 竜の足から降りた少年が、そう身振りで示しながら。

 だからこそ、針葉樹に閉ざされた空からの偵察が生きる。
 動き出した所で連絡、周囲に散開する十二名により捕縛する手筈となっている。
 この辺りにいるとすれば動きの鈍重なフルフルか、飛ぶのが不得手な轟竜ぐらい。
 空の王がいるとは、誰も思っているまい。

 しかし、それは自然界にあっても同じ事だったようで……。

 リオレウスというのは、いささか我が儘な生き物なのかもしれない
 彼等が好む穏やかな丘陵地帯以外の目撃例は乏しい。
 火竜の名に相応しく、火山帯で見かけたという話もあるにはある。
 しかしここは寒冷地。
 しなやかな翼はしかし、裏を返せば剥き出しの皮膜。
 防寒性を求める方が酷なのかもしれない。

「いっそ唐辛子を直に食わせたらどうだ?」
 言葉を発したのは、黒装束の男。
 目の前に火竜がいるという状況に不慣れ故か、視線はしきり、竜を見る。
 青装束の少年が口を尖らせたのは、その態度故か。
「持っていたらな」

 未だ大人になりきれないつぶらな瞳が訴える。
 寒い。帰りたい。まだー?
 青装束の主に擦り寄り、とにかく帰ろうとねだる姿はまだ幼い。
 主がそれを哀れっぽく感じたのか、その鼻先を撫でる。
 しかし、並の刃を通さぬ甲殻、同質の鱗で作られた籠手。
 悲しいかな、温もりさえも通らない。

 不満に思いつつも頑張って耐えていた、まだ幼い空の王。
 頑張った。我慢した。大好きな人の為に。
 頑張った。我慢した。とっても長い時間。
 その嗅覚が捉えた匂いが、一つ。

 そこに、誘惑一つ。

 いかんせん幼い空の王。

 主の横をすり抜け、羽帽子を素通りし、黒装束の上を跨いで……。

 ぱくっ。

「あっ……」

 ぼふっ。

 空の王、口から軽く黒煙を吐きつつ「さあいつでもどうぞ」と主の前へ。
 その様を、呆然と見つめる騎士三人。
 どうも打ち上げ樽爆弾に入っていた、火薬草の粉末がお気に召したようで……。

「いや、ちょと待て!」
「それ信号用ーっ!!」
「あ、向こうで上がったみたい」

 この後、無事に任務を終えて街に戻った三人……。
 正しくは空の王とその主を待っていたのは……
「そんなもの食べさせたらお腹壊すに決まってるでしょ!!」
「いでっ、だっ!? 最近お前、ちょと、異常にに強っ……!」
「ちぇすとーっ!!」
 耐え難い腹痛と、闘技場飼育係の逆鱗であったとさ。