人里を遙か離れた地に広がる森。
「ちょ、アルト。押すな……っ」
「しょうがないでしょう、ボウガン展開してるんですから……っ」
 木々と茂みの間に青い装束を纏って、押し合いへし合いつつも潜む男が二人。

「見つける前に見つかったら……と、いた」
「え、あー……これはまた……」

 その光景を見た二人組がまずしたのは眉を潜める事。
 いや、良識ある狩人であれば誰もが同じ反応をするだろう。
 森の一角に、人の手で拓かれた広場。無闇に積み上げられた物資。

 そして軽く見積もって二十人ほどいる狩人。
 どれもこれも見覚えのある賞金首に加えて、更に奥の光景にはさらに呆れる。
「……やんごとなき方々がお茶会やってますよ……」
「斬っていいよなぁコイツら?」
 これだけで既に粛正の権限を行使していい。
 更には事前に生死を問わずの通達を受けている。

「……偉く若いのがいる」
 時には人狩りと揶揄される組織に属する二人。
 しかしそれ故に、余人が思う以上にその判断は慎重だった。
 それ故に、余程の事が無ければ不意打ちも出来ない。
「また、嫌な仕事になりそうですね」

 それを誰かが皮肉ったのが、彼等が騎士たる由縁だろうか。

   ――『騎士の狩場』――

 人里を遙か離れた地に広がる森。
 訪れたのは、夫婦と呼ぶにはまだ若い番いの竜。
 縄張りを争う相手も、餌を争う相手もいないそんな森。
 二頭はこの森の頂点であり、王であり女王であった。

 流れる風は心地よく、舞う空は蒼天、あるいは星の海。
 望む物は与えられるかのよう手にし、豊かな恵みに餓えも忘れた。
 その地にあらゆる危険は存在せず、いつしか爪も牙も鋭さを失った。

 蝶よ花よと自然の恩恵を受けた恋人同士にとって「それ」はあまりに凶悪で、獰悪だった

 光に焼かれた視界。
 何度聞いたか解らない「それ」の咆吼。
 その度爆ぜる甲殻、焼ける血の匂い。
 広い石窟に響くのは彼女の慟哭。爆ぜる音がそれを掻き消す。
 血に混じる彼女の香り。硝煙の匂いがそれを覆う。
 自らの咆吼と共に思考を赤く塗りつぶす、彼の憤怒。

 その様を見た「それ」の笑みにすら、彼は気付かない。

 獲物の思考から理性の二文字が消えたことを確かめ、その狩人はほくそ笑んだ。
 己の目に誤りはなかった。
 ギルドに張り出される数々の依頼。その中に見えた狩り場の空白。
 気付いているのは自分だけではあるまい。
 それでもあえて、気付かぬ振りをしているだけ。
 その空白にこそ、宝はあった。

 まだ若い火竜の番い。
 キャンプでは好事家共が手ぐすね引いて待っている。
 生け捕りでも、骸でも、富が転がり込む事に代わりはない。
 ボロい商売だ。
 力さえあればいかようにもなる。
 強者が弱者を淘汰する。それ以上のルールなど欺瞞でしかない。

 少なくとも、その狩人はそう信じていた。

 目を焼かれ、がむしゃらに暴れ回る火竜。
 その頬に、額に、容赦なく撃ち込まれる弾。
 王の目に光が戻る。撃ち込まれた弾が、間を置いて爆ぜる。

 折れ曲がった翼。無惨に剥がれ落ちた顔の甲殻。
 火炎でなく血を吹き零す姿に、傷の具合が見て取れた。
 飛ぶことは出来ない。ブレスを吐くこともままならない。
 残る道は一つ。
 彼我の中間に仕掛けられた罠へ、妻と同じ運命を辿るのみ。
 その目に哀れみなど欠片も無い。
 最初の邂逅の時に感じた恐怖も、初めて王者を叩き伏せた時の感慨も。
 装填。狙う。引き金を引く。一連の全ては作業以外の何物でも無く。

 だから、忘れていた。

 幾多の飛竜を屠って作られた鎧の下にあるのは、脆弱な人間だと言うことを。
 咆吼と爆音に近い銃声。
 それに紛れる程小さな音と共に弾き出された鉛玉。
 それが掠めただけで壊れてしまうほど、脆弱な。

 引き金を引こうとした指が弾け飛ぶ。
 仕掛けられたはずの罠が情け無い音を立てて弾け飛ぶ。
 それを飛び越え、視界に広がるのは憤怒の火竜。
 ボウガンをへし折り、脇腹に通る衝撃。
 吹き飛ぶ視界に、ちらりと見えた黒衣の男。

 それが最期だった。

 彼の突進をまともに受け、「それ」が枯れ葉のように吹き飛んだ。
 所詮小さく、脆弱な生き物だった。
 それに愛する者を蹂躙された。
 彼の怒りが、この程度で収まるはずは無かった。
 腑を焼く憎悪は、そのまま炎の吐息となって零れ出す。
 引きちぎり、噛み砕き、それでもなお、収まらないはずだった。
 牙が届く直前、その視界を何かが横切った。

「そんな物食ったら腹壊すぞ」

 彼には意味を成さぬ声。直後、鋭い光が視界を焼く。
 幾度目になるか解らぬ白い闇。
 新手の存在に狼狽え、完全に混乱していた若い王。

 与えられた痛みは、呆れた妻の尻尾によるものだった。

「どこもカカア天下か……」
 それらを見届けた黒衣の男……ジャッシュは狩人を抱え上げて石窟を後にした。

 出迎える空は青く、鳥はさえずる。
 これほど長閑な光景も無いだろう。
 自分が今抱えているのが骸でなければ。
 それ故、なだらかな丘を越え、駆ける足は速かった。

 人狩りには人狩りに相応しい場所がある。その場所へ。

 そこは人の手で拓かれた森の一角だった。
「随分派手にやったな。バリー」
 広さもあったが、それでもまばらに転がる骸。
 奥で縛られている人の群れが、自分の抱えている物を見て愕然とする。
「頭数揃えればいいと思ってたみたいっすよ」
 その中央で青い装束を纏った、茶髪の青年が苦笑する。
「なるほど。狩りと言うより迎撃の手勢か……」

 倒れた狩人達の装備は確かに、それ相応の実力を物語っていた。
 それ故に、撃ち抜ける場所がごくごく限られている場合も。
「アルはどうした?」
 例えば、胴部を強固な鎧で覆い、頭部の視野を確保している手合い。
「向こうで吐いてる」
 見れば時折ごぽごぽと音を立てながら蹲る金髪の青い装束。
 別方向、大の字に倒れている「何か」は、それ以上見ない事にした。
 腕の硬直で、何があったか大体解る。
 それは例えば、人質を抱えたまま絶命した場合。

 ……そんな物、視えなくともいいはずなのだが。
 そう考えた所で思う。
 千里眼スキルを自分の物にしている若い後輩には、何が視えるのだろう。
 いや、そんな日が来ることを望んだり期待するような事をしてはいけない。

「……さん?」
 何時からだった?
「いや……」
 一度慣れたと思った感覚に、再び戸惑い始めたのは。
「じゃあこの落陽草コロンは要らないのニャね」
「いるっ!!」
 問うまでもない。
 守るべき家族ができてからだ。

 いつの間にか、回収屋のアイルー達が到着していた。
 それどころか、既に生者と死者をそれぞれの台車に乗せて帰る所だった。

 未だ続く森。泉のほとりに漂うのは肉の焼ける匂いと、草の匂い。
 コロンを塗りつけた右肩だけが違う空間に思える。
 騎士とて徒歩の帰路となれば、その野営は実に質素なものだ。
「ん、アルは食わないのか?」
 今日はこれでも食べるニャ、と回収屋達に渡された調理肉が夕飯だった。
「あんなの見て、食べれるバリーがおかしいんです……」
 落陽草を擦り込み生臭さを消したのが、彼等なりの心遣いか。

「第一っ、死体回収なんて仕事をあんないたいけな猫達にさせるなんてっ!」
 定期的に良心を刺激する為である。
 呵責が無くなった奴から消されていくともっぱらの噂だ。
 正直信じていない。
 だとすると、間違いなく消されそうなのが一人いるはずだから。

 仕事帰りの食事は案外賑やかだ。
 知っているからである。
 沈黙は、要らぬ不安を招くだけだと。
 だから、三人もいれば勝手に会話は盛り上がる。

 一人ぐらい黙っていても。

「もぐもご……そういえば、ジャッシュさんは何時までサポートなんだ?」
 ここ一年、話題に上るのは若い後輩の事。
 入った頃は――良くも悪くも――名の知れた両親に触れる事が多かった。
 後輩個人の話題が登るようになったのは、ごく最近の事だ。
「案外、今後一生かもしれませ……あ、よく焼けてる」
 話のネタは大抵、人狩りになるには優しすぎるということ。
 まだ十八歳の少年であれば、尚更。
「でも、もぐもぐ。ディの試験パス案件、対人経験じゃなかったっけ?」
「もご?」
「ほら、あの通り魔事件」

 ここまで……ジャッシュは一切の返答もリアクションをしていない。
 調理肉にもう一本分の落陽草粉末を擦り込んでひたすら焼いている。
 その側から二人組にかっさらわれる。
 特にアルト。貴様は先ほどまで食えないと愚痴っていたのではなかったか。

「……彼、当時幾つですか?」
「十四、だよな……単純計算して」
 一カ所ばかりが強調されると、他の事は以外と知られない。
 この様子だとその時の状況などまったく知らないのだろう。
「そういやマジなんすか。素手で双剣に挑んだって」
 注がれる視線。意外に知られていない子細。

 自分だって、護符か何か持っていたのだろうと思っていた。
 本当に丸腰だった。それでも飛び込んだ。
 まだ顔見知りですらなかった、娘を守るために。
 それが証明している。彼は優しすぎると。
 いつか来るだろうその日の事を尋ねようとして、口をつぐんだ少年は。

 手にした肉は、いつの間にか焦げていた。

「……今日は寝る。見張りはそっちで決めろ」
 ナイトの殆どに、養うべき家族がいないのは禁句だった。
 特に、その「殆ど」から外れた男の前では。

 玄関を潜るなり出迎えたのが、その家族だけなら良かったのだ。

「おかえりなさい?」
 それと伝えず買い与えたヒーラーUシリーズを纏う娘。
 抱えているのはやはり護身用に買い与えたおやすみベア。
「うーっす」
 その横に座っているのは、帰路の話題に上った後輩。
 娘にちょっかいを出したらどうなるかは常々言い聞かせているはずだが。
「おかえりー」
 部屋の隅でくつろいでいるのは、何故消されないのか不思議なナイツ一の問題児。
 ある意味で一番娘を近づけたくない男が何故ここに?
「うふふ。お邪魔してるわ」
 それに加えて、闘技場の名物猫までいた。

 血が繋がっていないとはいえ、騎士の娘。
 守られる側に甘んじているはずがなかった。

「で……行ったのか、狩り場」
「はい」
 娘の手まで血に汚したくは無かったのに。
「ディ……お前に頼んだよな……?」
「誕生日プレゼントはな」
 娘も慕う相手の言葉なら聞くと思ったのに。
「ラウル……」
「僕はミケ姉さんに頼まれただけだもーん」
 誰か何か吹き込んだとかそんななら良かったのに。
「闘技場の子達を練習相手にするよりいいと思うんだけど」
「……」

「わーっ!? 先輩っ!? 先輩ーっ!?」
「あらあら」
「つか、ほんとにやったの? 闘技場の」
「アリーナには出入りしていましたから」

 未遂で終わっていたと聞かされたのは、自室のベッドの上だった。

 そして改めて問おうとして、こう切り替えされた。
「ジャッシュ=グローリーの娘ですから」
 娘の細腕が今、後輩の腕に――娘から一方的に――絡んでいる。
「大丈夫ですよ。一人では行きませんから」
 そう言って部屋を出る娘の声が、妙に優しく聞こえた。
「ま、今日はゆっくり休んでなよ」
 娘に続いて部屋を出ようとする後輩が、足を止めた。
 ほんの一拍。ごく僅かな時間。
 こちらを振り向こうとして、そうすることなく部屋を出た。

 何かを語ろうとして、口をつぐむように。

「うふふ。親バカが裏目に出ちゃったわね」
 最後に若葉色のアイルーが部屋を出る。
「行っちゃった」
 ……何もこの男と二人きりにしなくても良いだろうに。

「なあ、俺は、馬鹿か?」
「クマで殴られないだけマシだったんじゃない?」
 人の古傷のかさぶたを嬉々として剥がした上で塩まで塗りつける男である。

「……ヒーラーUはやりすぎたか?」
「ジャッシュ、何事もやりすぎだよね」
 娘が犯罪に巻き込まれかけた。
 そう知ったときの恐怖は、未だ拭えるものではない。

「落陽草だって、無味無臭じゃないんだよ?」
「……知っている」
 騎士だなんだと取り繕っても、所詮人殺し。
 だから、世帯を持った騎士は大抵辞める。
 協力の義務と言う荷物を背負ったまま。

「隠すなら、いっそ何も付けない方が……」
「俺は、誤魔化すのは嫌いだ」

 それでも、自分は騎士で、あの子はその娘。

「じゃあ、なんで……」

 例えこの手が血塗れでも、せめて。

「お前には、解らんだろうな」