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 両手にずっしりと乗る重み。
 いえ、重量と言う意味では、おやすみベアとさほど……むしろ軽いぐらいです。
 違うのは、そのバランスです。
 一般に柄の長い物は重さが分散されます。
 ですがこの……まあ早い話が長い骨を研いだ物なんですが。
 これは握りより刃の部分が長く、自然、この長さを支える形になります。
 もっとも、それは片手剣や双剣にも言える事なのですが……。

 何故この太刀に分類される武器を握っているのかと言いますと……。
「マイラ君、切っ先が震えているぞ」
「はい」
 太刀とは、力でなく速さで斬る武器です。
 それ故に、無駄な力が加わるととたんに切れなくなります。
 太刀筋に迷いや躊躇いがあっても同じです。
 教官曰く、錬気の感覚を掴むのには一番適しているんだそうです。
「……彼も、やはりここから?」
「いや、アイツはいきなりやってのけた……」
 雪山から戻って来て、教えを請うたんだそうです。

 彼の母親のスパルタも、教官曰くこうです。
「致命の一撃を見分ける目と阻止する速さが無ければまずできないやり方だ」
 ファンゴさんにボコボコにされたからこそ、その怖さが解ると言う物。
 単なる打撲であれだけの痛みと恐怖があったんです。
 半殺しの目にあって挫けなかった彼は、やはり強いと思います。
「マイラ君も、あまり父上に心配をかけないようにな」
 天才と言うのなら、意志の力におけるそれでしょう。
「自分で自分の胃薬を調合する先生は見ていて痛々しかったからな……」

 さて、私が錬気の修練を行っているのはですね、ハンマーにも応用が利くからです。
 目一杯の力で振り下ろしたそれなら、砂竜さんをびっくりさせることも容易いとか。
 流石に角竜さんはダメらしいです。
 彼のお母さんが試して駄目では、他の誰も無理でしょうね……。

 そしてもう一つ。

 ナイトでも、気圧されるような事はあるのかと、それとなく振ってみました。
 あの龍さんならともかく、そこらの飛竜でそうなるわけにはいきません。
「本来踏むべき手順を無視していると、どうしても歪みが出るものだからな」
 そんな話をしていた所に彼がやって来てしまったのは不運でした。

 彼、ただいま大樽斬りをさせられています。
 振るうのは鉄刀【神楽】。
 風を切る音と、時折切り落とされた樽の上だけ落ちる音とカランと鳴ります。
 きっと、精神をとぎすませた彼の凛々しい横顔が私の左後方にはあるんです。
 でも振り向くのは禁止です。フルフルの生殺しです。

 古龍観測所に、報告してから来れば良かったです。

   ――『騎士の娘、鍛錬に励む』――

 数度炎龍を退けたことのあるラウルにとって、それは見慣れた光景だった。

 目の前を駆け回る、自分の膝ほどの、竜人族の老人達。
 しかしながら、その場の空気がいつもと明らかに違う。
 本来あるべき、緊張感の欠如。

「おじさん……何やってんの?」
 それは何も、そこで筆頭が書類を読みふけっているせいだけではあるまい。
「んー。いやちょっと面白い文献と報告が一致してなー」
 ああ、語尾が伸びている。こういう時の返答は当てにならない。
 こうなってしまうと副官を引っ張り込まねば帰ってこない。
 ……普通なら、この辺で百年も生きてない若造は揃って蹴り出されている頃である。

 所が、老人達はうろちょろしつつも何処か和気藹々。
「ナイト筆頭は特別?」
「いやいや、丁度ルシ坊が調べていたもんが出てきての」
 街から日帰りの距離に、相当の大物がいたはずなのに。
 まして、筆頭の調べ物ともなれば……。
「現存の資料はもう出尽くしたって愚痴ってなかっけー?」
「だからの、黒と名の付く文献徹底的に洗い出してのぉ……」
 なるほど。書類仕事を抜け出した先はここか。

「熱心なのは結構じゃが、毎回イリスちゃんに引きずられては片づけが大変じゃ」
「粘着草持ち出されて無い分良いがのぉ」
「揃えるのにどれだけ時間がかかると思っとるんじゃ」
「こないだ染みついた麻酔玉、未だに色が取れんでのぉ……」

 毎回の事ながら、ここで暴れられてはその壮絶さはいかほどか。
 サボる筆頭も筆頭だが、副官も副官というのが彼等の本音だろう。
 もっとも、その同意をラウルに求めるのも無理な話であるが。
「あーはいはい。ジジイの愚痴なら結構結……」
「誰がジジイじゃ!?」
「え、あ、やばっ」
「カーッツ!」

 ……書類の山に埋もれていた男は、部下が蹴り出された事に気付いていただろうか?

「古龍信仰、か」
 危うく机に乗せそうになった脚を引っ込める。
 靴跡一つでこの年寄り達に何をされるか解った物ではない。
 その手にあるのは一冊の、紐で綴じられた古びた本。
 丸みを帯びた文字と角張ったそれ。
 その独特の字体は遙か東国、太刀発祥の地とされるシキ国のものだ。

 古龍観測所が成立して間もない頃、気球の横をそしらぬ顔で横切ったそれは今も時折顔を出す。
 他者を意に介さぬそれが尊大なのか慈悲深いのかは解らない。
 辺境伝承を信じるならそれはどれほどの長命を誇るのだろうか。
 縞付き、あるいはスカー(傷)と呼ばれるそれが狩られたという話は、未だ聞かない。

 年に一度大風と大雨の恵みで田畑を潤す国にあって、それは確かに神だろう。
 大陸にあっては、生ける天災の一つに過ぎないのだが。

「んで、アイツはその神様にガン飛ばされたわけか?」
「ま、ラウル君じゃのぉ」
 そこで気圧されたという話には正直安堵していた。
 アレにも一応まともな神経が通っていたのだなと。

「たまには脇道も良い物じゃろう?」
「ああ、息抜きには。でもそろそろ本筋に戻ろう」
「本筋でなく、職務に戻らなんとまた嵐が来るんじゃないのかの?」
「ご安心を。我が家の台風は今ミケ姉さモガッ!?」

 言いかけたその男の顔に袋が被せられる。
 暫くもがもがと暴れていたその男はしかし、何を嗅がされたのかそのまま陥落した。
「熱心なのも結構ですが、飲まれてもしりませんよ」
 聞こえぬハズの言葉を発したのは、ナイト筆頭も恐れる銀髪の台風。
「なんじゃ、ミケ姉さんとこ行ったんじゃなかったのかい?」
「いなかったので、どうせならと」
 グラビモスの睡眠ガスを目一杯吸わされて昏倒した筆頭。
 それを担ぎ上げるでもなく無造作に引きずる副官。
「これなら、染みはつきませんね?」
 片手で黒い傘を器用に開きながら彼女は少し得意気だった。

 無造作に開かれた書物に描かれていたのは、漆黒の四肢と巨大な翼。
 特徴だけを見れば十三ほど年前、シュレイドに現れた災厄を思わせる。
 だが、描き手が描こうとしたのがそんな禍々しい存在ではない事は容易に見て取れた。
 別の書物には、似た特徴の龍が全く違う画風で描かれている。
 それをそっと閉じて、今日は荒れなかったと安堵する老人達だった。

 ……訓練所の一角、少女と彼がいるのとはまた別な一角。
 そこから見える空は、今にも泣き出しそうだった。

 若葉色の毛並みと髭にまとわりつく湿気。
 鼻につくののはならされた地面から立ち上る土の匂い。
 もし「彼」の来訪なら、きっと今頃は避難令が出ているんだろう。
 それよりも今は、屋外に出していた飛竜を部屋に戻すのがミケ姉さんの急務であった。
 ドスファンゴぐらいならいいのだが、あいにくいたのは蒼火竜。
 逃亡防止に焚いた竜殺しの実のその他の煙。
 それが無いのにとあっては騒ぎになる。
 例えそんな心配はないと、誰もが確信していても。
 意に介さないのは、とことん無視して抜けるのが先月証明済みだとしても。

「さあホムラ君、そろそろ戻らないと、ディ君にも迷惑がかかっ……」
 若葉色の毛並みにぽつりと斑点が出来た。
 斑点は徐々に増え、やがて濡れた毛並みがぺたりと張り付く。

 ぽつり、ぽつり、ぽつ……

「あら……」
 濡れ鼠になる代わりに聞こえてきたのは、バララと鳴る傘の音。
 見上げたネコ目の先にあったのは広がる緑。
 青い骨格に張られた皮膜が、いつの間にか大きさを増した雨粒を受けて鳴っている。
 時折羽ばたく音に合わせてリズムが変わる。毛並みが濡れる。
 そのリズムも、やがて単調に、羽ばたく音が止まる。
 幼い空の王は翼を軽く広げ、頭上の雲海を見上げ、雨粒をその喉で受け止める。
「ディ君、遅いわよねえ……」

 嵐の空に、滴を転がすような遠吠えが響いた。

 ……どこか遠くで聞こえた声で、真っ先に浮かんだのはあの龍さんでした。
 あの龍さんは、自分で雨を呼べるのだと言う話があるそうです。
 お墓参りで知り合った人が教えてくれました。
 今は龍さんに感謝しておきましょう。
 この雨のお陰で、私の訓練は一時中止。そして何より……うふふふ。

 雨の中一心不乱に太刀を振るう彼なんて、滅多に見られるものではありませんから。

「爆薬入り混ぜる奴があるかーっ!!」
「ヌハハハハ!! よくぞ見破った!!」

 例え原因その他が、どんなにしょうもなくても。

「だが爆発させずに切り裂く発案は君の母さんなんだが……」
「あんな化け物の案採用すんなーっ!!」

 そんなやりとりをしつつも周囲の樽は容赦なく真っ二つです。
 時々湿気た火薬がぶちまけられますが、そんな太刀筋をひらひら交わす教官。
 タダの変人じゃなかったんですね。
 ああでも、やっぱりこの雨には感謝したいです。
 いっそ妄想に浸りながら狩れるように……いえ、止めましょう。
 さすがに自分で恐くなってきました。というか狩る相手に失礼です。

 でも鎧を外して、濡れた体を拭う彼……水も滴るイイオトコです。
 濡れた髪、肌に張り付く服、細くともしっかり付いた筋肉、うなじを流れる滴……。
 これはあれですか、煩悩と戦う訓練ですか?
 だとしたら……ああいけませんいけません目の前です目の前。
 ああ、でも、これは、幾らなんでも反則……にへへへへ……。

「……どうやら今の君の格好、マイラ君には刺激が強すぎるらしいな」
「かれこれ四年近くこれなんだよなあ……ま、上の空の方が都合がいいっちゃいいか」

 ああ、彼の手が髪を撫でて……あれ?
「おっと、もうちょっと動くなよ?」
 え、え、あの、何ですか何ですか……あ、髪ぐいぐいしないで下さい。
 こめかみのニキビ跡が見えてしまいま……。
「こんなもんかな」
「はい?」
 ちょっと髪に違和感を感じて触ってみると、ひや? つや?
 鏡がないので、よく磨かれた彼の鉄刀をお借りしました。
 映っていたのは、横髪を留めるかみかざりに飾られた、白い花。
 ひやりとしたのは芯に使われていた氷結晶のようです。
「先輩がさ、誕生日祝えなくて御免って」
「あ……」
 私としたことが、すっかり忘れていました。
「十三歳おめでとう」
「はい……!」
 ああ、頭を撫でる彼の手。
 そうです。誕生日です。自分が今生きている事を、感謝する日です。
 こんな大切な事を……こんな美味しいイベントを忘れていたとは、不覚でした。
「じゃ、俺ホムラとミケ姉さん待たせてるから」
「はい……」

 ここは大人しく見送ります。
 ホムラ君と戯れる彼も素敵なのですが……私は彼の家へ。
 ええ、帰っているはずありません。
 ホムラ君と軽く遊ぶと言っても二時間はたっぷり遊ぶのが彼です。
 でも、それでいいのです。それで……うふふ。

「坊ちゃまなら、先週十八になられましたニャ」
「……え?」
「お嬢様が狂走エキスごっそり送ってこられましたニャ」
 え、えーっと、一週間も経って……何か用意するとなると……。
 龍さんの涙は、いえいえいえいえ、さすがに龍さんに会った事は内緒です。
 クックさんに会ったって内緒にしていたでしょう。
 ああ、それにしても、まだ先ならともかく……一週間……前。
「ま、来年頑張るニャ?」
「はひ……」
 遠雷のゴロゴロに、なんとも言えぬ慰めの響きを感じたのは気のせいだったでしょうか。
 それでも、結局私は雨の中、いつもは彼が登る時計塔に登って……。
「バカーッ!!」
 広がる雨雲に鬱憤を叩きつけてしまいました。

 ……ドンドルマを覆う雨雲。丁度その流れの始まりの真下。
 人の脚ではとうていたどり着けぬ秘境に、それはいた。

 それは尊大であり、強大であり、賢く……しかし、ものぐさだった。
「ガウッ!」
 訂正、疲れていた。

 ……思わぬ拾い物のお陰でそれも幾分癒えた。
 それでも、暑さに耐えかね人の領域にまで踏み込んだのはうかつだったと思う。
 四年ほど前、良質な鉱石を求めて人の建造物に飛来して厄介なのに目を付けられたではないか。
 ここは遙か離れた森だと、記憶の底に封じ込めていたのが不味かったのだろうか?

 『彼』にとって、弱者とは歯牙にもかけぬ存在だった。
 『彼』にとって、戦とは強者と交わす魂の饗宴だった。
 『彼』にとって、それはよくある偶然だった。

 なのに何故、偉大にして強大で、はた迷惑な存在に眼を付けられねばならぬのか。

 眼は眼でも千里眼。
 同族が『祖』と呼ぶその視線は望めばその気配すら視せられる。
 ……どこを向いても白い巨体が視野の一角を占領して、良い気はしない。

 祖が尋ねる。何故見逃した?
 弱者に興味はありません。
 赤いのは炎龍を幾度となく下した猛者だったぞ?
 何となく錆の匂いがしましたから。
 緑のも数多の飛竜を従えるなかなかの猛者だぞ?
 はて、小さくて見えませんでしたな。

 気配が露骨な不快感を示す。しかしここは洞窟の奥。
 祖の手が及びそうな滝を離れ、飛沫を払ってしまえば気配だけ。
 叩かれた所で痛くも痒くもなんともない。
 目を閉じても視野の一角を占拠されているのに代わりはないが、ここは寝るのが上策。
 眠ってしまえばただの夢。
 今年は酷暑だ。懐かしい古巣で、老いた竜人の姉弟に顔を見せるのも悪くない。
 単身短期間に、数多の若い衆を下した娘ともそろそろ楽しめるかもしれない。
 そんな今後の予定を捏ねる『彼』はしかし、気付かなかった。

 己の体と、身を寄せた岩壁に含まれる鉱石の性質がよく似ていたことに。

 人の脚ではとうていたどり着けぬ秘境に、落雷が一つ。
 もしそこにちょっと情け無い声で虚空に吼える龍がいてもそっとしておいてやって欲しい。

 偉大にして強大で、はた迷惑な存在の暇つぶしに使われたくなければ。