温暖期間近の砂漠。灼熱の太陽の下。
 地下より流れるせせらぎを湛える岩場。
 数多の生き物が涼を求めてここを訪れていた。
 今ここで睨み合う両者も、また。

 翡翠色の帽子を被り、赤と黒の皮鎧を纏う狩人。
 陽炎の先見据えるは、地を踏みならす純白の一角竜。
 当たれば折れて砕けるだろう。それは誰より、自分が心得ている。
 なればこそ、心得た動きがある。

 地を蹴る純白。大きく横に跳ぶ。迫るのは傷だらけの柱。
 全身の軸をずらす。自分のいた場所を貫く角、踏み込む足。
 その側面を転がるように舞うように、その間に躍り込む。
 手にした剣が弧を描く。手にした刃が切り刻む。
 踏みつぶさんとする巨体の足。
 右へ左へ、振り上げられたそれに合わせて踊る。
 手にした剣が弧を描く。手にした刃が切り刻む。
 纏う冷気は散る血を花に。

 あとは風に乗ればいい。

 今や彼は砂塵に舞うひとひらの木の葉。
 純白の御柱にまとわりつくひとひらの木の葉。
 一対の冷気を纏うひとひらの木の葉。

 風を断ち切ろうと大きく振り上げた足さえ、風が教えてくれる。

 待ち望んだ瞬間。
「これで……」
 冷気に、紅蓮の気が混じる。
「おしまいっ!」
 振り上げた足が風を絶つよりも、踏み込んだ足が裂ける方が早かった。

   ――『酷暑の狩人事情』――

Case:1 狩人の酷暑

 立ち上がる力を失った純白。轟音を立てて崩れ落ちる純白。
 最後の抵抗さえするりとかわして、その胸元に手を当てる。
 その鼓動を確かめる。
 命と切り離すように刃を、冷気を纏うそれを刺し込む。
 それがこの灼熱にあって、せめてもの手向けであるように。
 血管の切断を確認する。その命が潰えるのを確認する。
 そして尚、その鼓動が続く事を確認する。
「……良し」
 血の匂いには慣れていた。
 それは生命の証であり、それを糧に生きることを己に課す戒めだから。

 腐臭に慣れないのは、その命を無下に扱った報いなのかもしれない。
 流れる川のほとりに横たわるアプケロスの家族が三組。
 それらに絡まれながらの狩りは無謀の一言に尽きる。

 解ってはいる。
 しかし、見る影も無くなっているだろうそれを正視はできない。
 代わりに、照りつける太陽を帽子越しに睨む。

「あっづー……」
 水の流れる岩場でこれだ。
 遮る物も、熱を奪う物も無い砂地はもっと酷いだろう。
 嫌な臭いが鼻につく。
 せっかくの大物が、それも希少なモノブロスハートがああなる前にと剥ぎ取りを始める。
 丁度その頃、獲物の巨体で死角になっている場所にネコの手押し車が止まった。
「先輩、もう切り上げるの?」
 純白の上を乗り越える。黒髪の男が大の字に寝ていた。

 一瞬ぞっとしたが、その上でひらひら舞う手の平。
 無事だと言う意志表示に安堵する。
「クーラードリンクが、切れた……」
 それで戻り玉を使ったらしい。
「五本と材料持ってったよな……?」
「いや、どうにも耐えられなくてな……ディ、ずっとここでやり合ってただろう……?」
 平時、岩場であればそれらは必要ないとされる。
「あー……ごめん」
 しかし、先ほど自分も最後の一本を飲んだばかりだった。
 オアシスにあってさえ対策が必要であり、砂地は火山の奥地もかくや。

 今年は、酷暑だった。

Case:2 狩人の帰路

 彼、ディにとっては、ただでさえ辛い温暖期になるかもしれないのに。
「そう言えばお前、腕は大丈夫なのか?」
「うん、平気。医者も問題ないって言ってたし」
「良し、乱舞」
「やだ」
 そんな会話も、これでかれこれ七回目である。

 ディの双剣とその先輩、ジャッシュの片手剣。
 どちらも昨年街を襲った鋼龍を討伐したときに得た素材を用い、冷気を纏うそれ。
「あーづーいー……」
 この時期に、各々の武器に抱きついて寝転がる狩人を誰が責められよう。
 それが例え、どんなに情け無い様相であったとしても。

 その後、ディは終了報告と同時にぶっ倒れた。
 いや、乱舞させられたわけではない。
「街まで炎天下は反則ー……」
「油断したお前が悪い」
 ……いっそて刻んでやれば良かったか?
 そんな事を、先輩に背負われながら考えていた。
 狩り場から戻ってみれば温暖期。良くある話なのだが今年は酷い。
「それ以前に温暖期直前の砂漠というのがそもそもだな……」
 熱中症の人間でも容赦ない説教。
 ギルドナイトとは、否、ジャッシュ=グローリーとはそう言う男だった。
「やっとかねえと、寒冷期が地獄なんだよ……」
 この時期にガレオスを減らしておかねば、温暖期の間に角竜が大繁殖する。
 現に掃除し損ねた年、黒ディアに蹴られて生死の境を彷徨った。
「なのによぉ……後処理ぜーんぶ俺に回ってくんだぜー……?」
 希少な鋼龍の素材を使い、冷気を纏う双剣を作ったのもひとえにその為である。
 ちなみにその双剣、背負われた体勢で今も握っている。
 歩くと涼風が流れて、気持ち良い。
「それは……回って来るだろうな」
「怨むぜ母さん……」

 その名も猛き角竜婦人。
 息子もそうとは限らない。

Case:3 狩人の父娘

「一人で涼みに行くんですね?」
 その翌日ジャッシュの娘、マイラが父親につっかかっていた。
「さすがに、病み上がりを連れていくわけには……」
 理由は一つ。
「熱中症に倒れた後輩を一人置いて、一人で涼みに行くんですね?」
 憧れの人が父と一緒に狩りに出て倒れた。
 なのに父は開口一番「押し掛けたりしないように」だから。
 年頃の娘を持つと、悪い虫が付かないかはやはり不安なもの。
 建前は一人で沼地の洞窟に向かうから。

 ……父とて後輩を信用していないわけではない。
「それに、ミハイルもいるしわざわざ……」
「だったら大丈夫じゃないですか」
「!?」
 そうだ。何を恐れていたのだ。
 最近後輩の家に赤虎の居候が住み着いたではないか。
 そのような状況で間違いが起こるはずも……。
「マタタビ数本でカタがつきます」
「だからそれはダメだと言ってるだろうがっ!」
 ……むしろ娘が恐いのである。

「フルベビアイスを持って帰るから、家にいなさいっ!」
「何人前ですか?」
「う……四人前、な?」
「三人前で結構」
「うおおおおおおおおおおおおおおーっ!!」
 泣きながら集会所へ走る父。
 ほくそ笑む娘。

 先々月は彼と意見対立の末あわや流血沙汰。
 先月は彼が炎龍に襲撃された時役立たずだった。

 彼と、猫と、娘。
 父親の分? なんですかそれは?

Case:4 狩人の休日

「男って単純です」
「女は恐ろしい生き物とでも返せばいいのか……?」
 娘、結局彼の家に押し掛けた。
 流石にマタタビは持参しなかったが。
 代わりに氷結晶で凍らせたイチゴを数個ほど。
 ハンター達が暑さ対策にかじるので熱中症で倒れた人間にもいいだろう。
 あともう一つ「とっておき」があるのだが、これこそ二人きりの時に渡したい。

「おかわりニャ」
「調子に、のんなっ」
 赤虎猫。椅子に座ったままの彼に蹴倒される。
「思ったより元気そうで何よりです」
 本当は弱っている所で、優しく看病出来る女の子をアピールしたかったのだけど。
「暑さ程度で寝込んでられねえよ」
 やはり狩人はそうでなければ。
 まだ頭を撫でられる方がいい所が、彼女もまだ子供である。

「ミハイルさんの方が重体ですね……」
 よってベッドの主が赤虎でも問題無し。
「コイツ、これで一応砂漠育ちなんだけどな」
「年には、かないませんニャア……」
 むしろ、二人で一緒に看病するのも良しと思っていた。
 良しと思っていたのだが、そうは問屋が下ろさない。
「そうだ。鍛冶屋行くから、ミハイルのこと頼んでいいか?」
 元気なら、じっとしていないのが狩人だ。
 せっかく今日はと思っていたらとんだ大誤算。
「今日でないと、ダメですか?」
 彼はそんなに柔で無い。
「この暑さで腰に防寒具巻いてるわけにもいかねえだろ?」
 確かに彼の纏うハンターUと呼ばれる装備の腰鎧は見た目は毛皮……いやいや。
 ここで任されたら「とっておき」を渡す機会が無くなってしまう。
「あ、あの、良かったらこれ使ってくれませんか!?」
「ん?」

 それを手渡したとき、素材を取ってきたのは父だろうと咎められた。
 それを巻く時、彼はそれを自分に見せないよう背を向けた。

 だからこの人が好きなのだ。
 その気持ちだけは、この酷暑にも負けはしない。

Case:5 狩人の娯楽

 氷結晶をカートで運んでいる飼育係主任、ラッシュの胸中は複雑である。

 ハンター達の集まる広場。
 その近くに位置するアリーナが今日は盛況だった。
「お前等な……」
 捕らえておいて、それっきりという不届き者は結構いる。
 それにくらべればずっとマシなことは解っているのだが……。

 ふぐぉぉ〜……っ

 連中の目的がドドブランゴのブレスと、彼の為に用意された氷結晶となれば話は変わる。
「ドランは冷房じゃねぇーっ!!」
 依頼を受けて集めてくれたのが、彼等であってもだ。
「だって暑いんだもーん」
 もっとも、その相棒達にも恨めしげな視線を送る気力は無い。
 運び込まれた大量の氷結晶に埋もれて涼を満喫中。
 一番暑さに弱いだろうドランが甲斐甲斐しくブレスを吐く姿に哀愁すら覚える。
「だからって相棒放置して一直線行くんじゃねえっ!!」
 ムカついたので薄着の連中の上に、お望み通り冷たい氷結晶をぶちまけてやった。
 コイツらには命を預かっているという自覚が無いのだろうか?

「ったく、ちっとはディを見習……ん?」
 新たな氷結晶を取りに向かったラッシュは、とある檻の前で足を止めた。
 その中の状況を理解するのに、少し時間が掛かった。
 私服姿の少年が愛騎の蒼火竜共々、白い布切れに絡まっている。
 主に火竜の翼爪に絡まったそれに、丁度両手でぶら下がる感じで。
「そうか。ディは縛られるのが好きか」
「んなわけあるかーっ!!」
 とぼけては見せたが万一倒れ込みでもして潰されたら一大事。
 早速救助に取りかかることにしたのだがその布切れ、触るとひやりと冷たい。
 雪獅子の毛を編み込まれた物と気付いたのは職業柄。
「あー……マイラちゃんが出入りしてたのはこの為か」
 それも極めれば、どの個体から取られた物かまで解るようになってしまう。

「礼は言ったか? デートはしてやったか? チューぐらいしてやってもバチ当たらないと思うんだが?」
「……んなことしたら、先輩に殺されるっての……」

 更に地下に鎮座する黒鎧竜が、ガスを放熱しながら孤独に沈んでいたのはまた別な話。

Case:6 狩人の騎士

 今年は酷暑だった。

 いつもの温暖期ですら踏み居る人のない砂漠に、あえて踏み居る者達がいる。
 それは例えば、この時期だからこその利潤を求める者達。
 それは例えば、この時期に無謀を行う物を保護する者達。
 出会い頭にあり得る感情は安堵か緊張、二つに一つなのだが、いつの世も例外はある。
「いよっし、死者ゼロ!!」
「しかも竜車付きです!!」
 例えば、岩場のオアシスでハイタッチを交わす二人の騎士のような。
「暑いーだるいー早く帰ろうー」
 何を思うでもなく座り込み、愚痴を零す深紅の騎士のような。
「大体さー……何が哀しくて密猟者保護しなきゃなんないわけー?」
 そんな彼等の側に繋がれた、アプケロスが引く竜車。
 縛られた密猟者達の表情もまた、安堵も恐怖もない、疲労。
「こんなのナイトAとBだけでいーじゃん。何でボクまで駆り出されるのさー?」
「アルトとバリトンですっ!!」
「うっさいコーラス兄弟」
「兄弟じゃねえ!! 従弟っ!!」
「あー、もー、夜なんて待たないで帰っちゃおーよー!」

 パァンッ

 彼方の岩壁に突き刺さったそれが数秒後に炸裂する。
 その凶弾は確実に、深紅の騎士の頭蓋を砕いていたはずだった。
「……お?」
 ふてくされた彼が大の字に寝そべっていなければ。
 いつの間にか縛めを解かれていた密猟者達。
「おい、縛ったの誰だ?」
「めんどくさいからやらせた」
 騎士達に向けられるいくつもの銃口。
 恐らくは徹甲榴弾。着弾数秒後に爆裂する、対人で使うには悪趣味なそれ。

 されど忘れてはならない。

「そりゃ、自業自得だ」

 彼等は最上位ハンターから選ばれた選り抜きの、対人部隊であることを。

「ったく頼むぜ。身元確認めどくせーんだから」
「今回竜車ある分マシなんですけどね……」
「いーじゃん首ちょんぎった方が軽くて省スペースぅ」
「良く無いっ!!」
「ぶー……いーもん。コイツらにホットドリンク飲ませてやる」
「鬼! 鬼がいる鬼が!!」
「まあ、死体よりマシと言うことで……何で私達の荷物漁ってるんですか!?」

 騎士たる者、時には自ら過酷な環境に赴かねばならぬものである。
 この程度のおふざけを誰が咎めよう。

Case:7 狩人の憧憬

 今年は酷暑だった。

「あづー……」
 それでも、ここの灼熱は変わらない。
 振り下ろされる槌の音。遠く離れて尚届く炉の熱。それらが染める赤の世界。
 用があるのは防具なのだから、せめて部屋を分けてくれと叫びたい。
「ったく、ディ坊は来るたびそれだな」
「うるせ。坊言うな」
 カウンターにへばる頭を、帽子ごとわしわし撫でる大きな手。
「安心しろ。ワシにすりゃサイだって坊だ」
 この鍛冶屋も、初めて足を踏み入れてからもうじき十年になる。
 防具を作ってもらうようになってからは八年。

 大きな街一つ取り仕切る鍛冶屋で、腕はいい。
 自分が知る限り母が研磨中に何度へし折ったか解らない太刀の修理をしていたのもここ。
 その母も今は亡く、自分も装備が定着してからは最低限の補修のみ。
「即日なのは良いけどよぉ……出来てから呼んでくれよぉ……」
「なんじゃい、出来立てほやほやを試着させてやるというに」
「それはなんの嫌がらせだ?」
 しかも耐暑仕様の装備を注文した客にだ。
「最近の若いもんは冷たいのぉ……」
「アンタ暑すぎるから丁度良いや」

 それでも客の注文は裏切らないのがこの工房。

「お、やっぱ涼しい」
「だろ、だろ?」
 注文の品は二つ。
 一つは要所にモノブロスハートを用いた黒い燕尾状の腰防具。
 もう一つは砂竜のヒレを用いた銀色の籠手。
 どちらも部分的にマイラがくれた雪獅子のバンテージを織り込んである。
 特に籠手の内側は全てそれ。
「どうせなら全身ガレオスで固めちまったらどうだ?」
「あーダメダメ。細かい部分で動き鈍るから。一発喰らって立ち直れりゃいい」
「お前……鍛冶師なめてねえか?」
「最上位いくと当たれば一緒になっちまうのは知ってるだろ?」
 まして、小柄で軽い彼……ディなら尚更だ。

「ったく、親父と同じ事言いやがる」
 親を引き合いに出したのが非礼へのささやかな返礼。
 眉を潜めた彼に、鍛冶師が更に続けようとする。
「悪いな、即日仕上げて貰っちまって」
 これを許すと当分この灼熱地獄から出られなくなるので礼をもって断ち切る。
「お前の持ってくる素材は状態がいいからな、つい腕を振るっちまう」
 ここで「さすが、サイラス先生の子だ」と、引き合いに出されるのは甘んじておく。
 医者の癖に血を見ただけで顔面蒼白になるような父だったはずだが。

「リィちゃんにも来るよう言ってくれよ。あの村の婆ちゃんの作った武具にゃ興味があってさ」
「……あ」
 姉が先月やってきて、最近帰ったと言うことは言わないでおいた。

Case:8 狩人のオチ

 ドンドルマより遙か東。
 ここ二、三年でめまぐるしい発展を遂げたジャンボ村。
 その立役者がたった一人の狩人。
 それもまだハンター歴は今年で三年、まだ二十歳に満たぬ娘と言って信じるだろうか?
 どう思うかはともあれ、確かに彼女は、この村の英雄だった。

 村を拓いた若い村長は旅立ち、発展するに連れ狩人が集まって来た。
 小さな村は今や小規模ながら町と呼んで差し支えないまでになった。
 あの頃に感じていた、全てを背負う義務感はもう無い。

 彼女は今でも、この村の支えであった。

「……きつい、だるい、ぼへーっとする……」
 その彼女の見舞客が、開拓者たる竜人の若者一人とはどういう事か。
「リィ君、大丈夫かい?」
 気遣う声もどこか気楽。
「良いですニャ村長。自業自得ですニャ」
 正しくは「元」村長。
 寄り添う給仕も態度は冷めて。
「だからクーラードリンク飲み過ぎはほどほど言ったのニャ」

 さて、氷結晶とは言うが早いが解けない氷の塊である。
 長い年月をかけて凍り付いたそれが、鉱石と呼んで差し支えない硬度と冷気を宿した物である。
 もちろん、氷その物ではなく内包する不純物もその維持に一役買っている。
 それらは苦虫に含まれる成分に容易に溶け出す。
 それを飲み干せば炎天下において一時的にではあるがその恩恵にあずかれるのである。
 この酷暑にあって、村でそれを飲み干すことを誰が咎められよう?

 そうしてただでさえ弱っていた所にである。
「またつまみ食いかい……」
「えぅ〜……」
 呆れる若者。ふてくされる英雄。
 給仕の態度はけんもほろろ。

 今年は酷暑だった。
 うだるようなその時期を、夏風邪の寒気と共に過ごせたのは果たして幸いだっただろうか?

「お、お手洗……う゛ぁ〜……」

 少なくとも、腹痛に見舞われたのは不幸だった。