―守れなかった……それどころか……

「症状としては、鬼人化の時間を無理に引き延ばしたのに似てるけど……」
「疲労はともかく足の火傷は大丈夫なの?」
「うん。多分跡も残らない」
「アレが無かったら、アウトだった?」
「そう、なるね……」

―姉さんみたく……調合が上手かったら……

「所でリィ、聞きたい事があるんだが?」
「私もちょっと言いたいことがあるし、お母さん帰るの待つ」
「……とりあえず硬化薬グレード飲むのは……て、アルビノエキスは!?」
「ぬこたんにもろた。んでおとんや、守りの護符と爪ちょーだい」
「真面目な話しをしているんだが……?」
「私が真面目やっちゃいけないかい?」
「リィ……」

―父さんみたく……頭が良かったら……

「覚悟は解った。でもボウガンは持たなくていい」
「ぇー」
「……君が繚乱撃った場合に予測される怪我の症状を、一から羅列していいか?」
「お父様、硬化薬グレート飲用の許可を下さいませ」
「いや、母さんでもそこまでは……多分」

―母さんみたく……強かったら……

「ただいまー」
「ザイン、帰ってそうそう悪いんだけど……」
「コホン。私、リネット=エインは、これより家族戦争の布告をいたします」

―力が……欲しかった……

   ――『銀鎖の記憶』――
        命の行方

 まだ、終わっていなかった。
 まだ、何かがそこにいた。
 見ている。気付いている。
 彼女は……そこにいない。
 投げ出された両手が動かない動かせない。
 指の一本も動かせない、そんな存在感。
 恐かった。このまま逃げ出したかった。
 だめだ。まだだ。
 まだ……守らなきゃいけないのがいる。
 剣を引き抜く。全身が悲鳴を上げる。それでも構えた。
「まだ……くたばるわけに行かねえんだよ……!」
 力を振り絞って立ち上がった体は、暴風によって背後の躯に打ち付けられた。

 ……目覚めた途端綺麗に消えていった夢は、酷く悲しい物だった気がする。

 体が重い。動かせないわけではない。
 何というか、エネルギーが根本的に枯渇しているような……。
「あ、起きた」
 滲む視界に最初に映ったのは、自分と同じ蒼い髪と、紫の瞳。
「……姉貴?」
 家、ではない。少なくとも我が家は藁葺きではないはずだ。
 病院でもない。部屋に見えるのは所々木で出来た家具。
 ……四角く区切られた所に敷き詰められた灰とその上のポットが妙に印象に残る。

 傍らに座っている、白衣の……。
「何で……父さんが……?」
「ここが赴任先なんだが?」
 あの時の受付嬢に毒突く気力も無い。
 父の表情に怒りはなく、ただ心の底からの安堵と、ほんの少しの悲哀が見えた。

 こう言う時、姉の目は見ないことにしている。当てにはならない。
「ディ、泣いてる?」
 ……そうだ。
「もう、一人……」
 いた、はずだ。
「もう一人、いたんだ……」
 いるはずだ。あそこで見落とすはずがない。

 父の目が、少し厳しくなる。
 ああ、ダメだったんだと、それが辛くて、でも、嘆くだけの力も無い……。
「……いたんだな?」
 悔しかった。情け無かった。
「何で疑問系なんだよ……」
「話す前に一つ、お前、この地方の古語の知識は?」
「……何それ?」
「だろうな」

 父がこれまでの経緯を語りだそうとしたころで、誰か入って来た。
「息子さん、目が醒めたそうですね」
 村付きのハンターで、この家の主だった。
「リィ、お前は外で待っていなさい」
「ぇー……」
 いかにもな不平を込めて睨む娘。
「待っていなさい」
 それを震え上がらせた父の顔は、見えなかった。

 ……ディが雪山の山頂に着いた頃。
 雪崩の轟音と、巨大なフルフルが移動中との連絡が舞い込んだのはほぼ同時だった。

 もちろん、そこにディがいたという連絡も。
 そして、姉がネコタクで駆け込んで来るのも。
 麓まで埋め尽くすような雪の塊を、繚乱の拡散速射で吹き飛ばしたんだそうな。
 それでも数時間はかかり、薄い氷壁は本当に拳で粉砕したらしい。
 無茶苦茶な夫婦だとは前々から思っていたが……。
 洞窟の道中には、誰の姿も無かった
 奥に入って見つけたのは、頭部に細剣を突き立てられたフルフル。
 そのすぐ横に自分は倒れていたと言う。より正しく言うなら、眠っていたと。
 凍傷を免れたのは、下に敷かれたハンターフォールドのお陰。
 そして、誰かがホットドリンクを飲ませた形跡があった。

 半ば、信じられない話だった。
「何で……」
 そんな事まで出来たのに待てなかったのか。
 帰りたかったのではないのかと。
「ここに運ばれてからうわごとのようにレタラ、レタラと繰り返していた」
「……うん、そいつの名前」
 村付きのハンターと父が視線を合わせる。何かを、酷く悩んだ顔で。
 暫く悩んだ後、こちらを向く父が酷く慎重に見えた。
「ディ、落ち着いて、良く聞いて欲しい」

 彼女が行方不明になったのは、三年以上も前の事なんだ。

「……え?」
 その少女は、前任のハンターが病に倒れたとき、一人で薬草を摘みに向かった。
 一際巨大なフルフルに村の皆が怯えている、そんな時期に。
 ただの薬草摘みだからと、作ったばかりのオーダーレイピアを背負って。
 そしてそのまま帰らなかった。
 相手がフルフルであれば一飲みにされてしまったのだろう。
 誰もがそう思いながら、家族の懇願もあって村中のハンターが一年近く探していたという。
「そんな……そんなのって……」
 頭の中が、彼女の名前通りになった。

「そんなのってありかよ……!!」
 叫ぶ。それだけで意識が遠のきかける。
「ディ……」
「そんな……そんなオチがあってたまるか……」
 否定したい。そんなはずがあるかと叫びたい。
 なのに、指一本動かす力も無い。

「俺……一緒に帰るって……」
 顔を背ける。反対側に誰かが座る。
 銀色の鎖と、先端のリングが目の前にぶら下がる。
「ディ君。君はあの子を連れて帰ったよ」
 リングにこべりついた何かの破片が、瑠璃と言うことに気付く。
 何かに、溶かされた跡だと気付く。
「恐い魔物から、お姫様を救い出したんだ」
 違う……。

「そんなんじゃ……ない……」
 自分は結局、そのお姫様に……。
「ご両親から、君に持っていて欲しいと言われた」
 頬に触れる鎖は、心地よい冷たさに包まれていた。
 それを合図に、堰が切れた。切れてしまった。
 泣いた。叫ぶこともできず、ただ、泣いた。
 ただ、枯れ果てそうになるまで泣いた。
「……っ……ぁ……」
 そしてそのまま、眠りに落ちた。

―ここにはめてあったのはね、彼女の守護石なんだ。
―そして、これは昔から人の手を渡っていた。
―だから、次は君が何かを、ここに収めて欲しい。

 一晩の眠りで、いくらかは癒された。
 それでもどうしようもない、己への憤りが消えることはない。
「……どうして、怒らなかったの?」
 そうしてくれた方が、楽だったのにと。

 父では期待が薄いから、母に聞いた。
「リィに怒られたわ。もう、貴方は立派なハンターなのにって……」
 やっぱり、姉のすることは何らかの形でろくな結果を呼ばない。
「証明したさに、本当に無理な狩りに挑んでもいいのかって……」
 採集ツアーに行くように仕向けたのは、狙っての事だろうか。
「……すっげ貴重な瞬間見損ねたんだな、俺」
 そう言ったとき、母の顔が青ざめるのを見た。
 一体どのような家族戦争が展開されたか想像が付かない。

「本当は……私が何か言わなきゃいけないの……でも、私変なところで……」
「うん……いいよ……」
 ああ、そうなのか。
 だから父の方が強かったのか。
 母は強かった。強かった故に、喪失を知らなかった。
 だから……どこで手を離していいか解らなかったのだろうと。
 娘にそこを抉られたら、「角竜婦人」とてひとたまりも無かろうと。
「御免ね……」
 母が泣いたのを、初めて見た。

 姉が街とまた違う調合の手法を学びたいと言った。
 たまに調合失敗してカクサンデメキンの残骸が飛び散っている事もあった。
 母は、さらに奥地に住まう大物に興味があると言った。
 そして今宵も、ディは雪山の頂から探している。

「あんな、生意気な幽霊がいてたまるかよ」

 まだ信じられなかった。彼女がとっくの昔に故人になっていたなんて。
 探していた。全てを一望できる場所から、ただ『探して』いた。
「ディ、気持ちは分かるが……」
「結局……助けられたの俺なんだよ……」

 喪失を知らない母。命奪う狩人と、命を救う医者。
 頼れない。これは自分一人で決着をつけなくてはならないことなのだと。
「だったら、お前は生きろ」
 病み上がりで無ければ同行なんて許さなかった。
「親父に何が解るんだよっ!」
「……解るさ」

 父と二人で、座り込んでオーロラを眺める。
 真上でたなびくギルドフラッグは彼女が立てたものだという。
「ハンターは命を狩って成り立っている」
「だから、それを無駄にしてはいけない……レタラもそうだっていうのか?」
「彼女が進んでお前を助けようとしたなら、それはもっと重い事だ」
 風が吹く。山麓を『視る』。
「命を救うって言っても、その為に狩る事も多いんだ」
 ただ……ありのままの世界がそこにあった。
「魚竜のキモが必要だったって言うのはまだ良い方で、移動の安全の為だけに狩る事だってある」

 本当に、彼女の生存を信じていたのだろうか。
「そして……それでも助けられないこともあった」
 ただ、存在の残滓を探っているだけではないのか?
「患者さんに謝られた事があるよ……元気になれなくて、ごめんなさいって……」
 何も『視え』なかった。
「責められるよりも辛かった。でも、嘆きたくてもやらないといけないことが山積みだった」
 ただ、横にいる父が、必死に言葉を探しているのだけが解った。
「仕方なかったと思いたかった……でも、それでは逃げになってしまう」
 なのに、自分はそれに何一つ答える言葉がない。
「ディは、今悔しいんだろ? 死力を尽くして、全力を振り絞ったのに何も出来なかった事が」
「……うん」
「その悔しさを忘れるな。それが、力を尽くしたという証になる」

 そんなことは解っている。
 でも、失われたものは戻らない。
「ただ、お前が諦めて手を抜ぬくような事にならなければいいと思っている」
「……いるんだ。そういうヤブ」
「ご名答。僕は後悔を誤魔化すような生き方はしたくないし、して欲しくない」

 今、自分の弱さを悔やむ真っ最中だ。
 ただ、誤魔化しだけはしていない。それだけは言えた。
「……力を求めて狩り場に行くのも良いだろう。生きる糧を求めるだけでも。だけど、沢山の命に支えていることだけは忘れるな」

 山を『視る』。空を『視る』。
「お前は、ハンターなんだから」
 何かが『視えた』気がした。
「亡くした痛みに、負けないで欲しい」
 彼女を捜す視線が、『世界』を捉えた。
「俺、強くなりたいよ」
 広く、深い世界が、何か答えたような気がした。

「誰かを……何かを……守れるような、そんな強さが欲しい」

 ちなみに帰ろうと思った矢先、姉弟揃って赴任先最後の患者になってしまった。
「ま、この程度なら大丈夫だろう。君も、いつも悪いね」
 それからおおよそ一週間、ここで出来た姉の友人の甲斐甲斐しい看護もあって無事回復。
「べ、別にまた暫く教えて貰えるとか思って無いんだからねっ!?」
 いや、赴任の理由が質の悪い風邪と言う時点で何ら危惧する事は無いのだが。

 それから少し世界が変わった。
 一人で狩り場にいけるようになった。
 持ち帰った物で姉が積極的に薬品や爆弾を用意してくれるお陰で随分助かった。
 自信の無い大物の狩猟の時は母に同行を願う事もあった。
 それでも、結局一人で何とかなることも多かったのだけど。

「リィ、今回は長くなりそうだけど、大丈夫かい?」
「ん。ミハイルもいるし、ディが稼いでくれるから大丈夫」
「ディ、お姉ちゃんをしっかり守ってちょうだいよ?」
「まかせとけって!」

「……さてさて、狂走エキスが誰かさんのお陰で在庫切れなわけですが」
「へいへい。行けばいいんだろ行けば」

 両親の向かう先と、真逆の方向に駆け出していく。
 鎧の下に、銀鎖の感触を確かめながら。

「がんばれ。小さなハンター」
「小さい言うなぁーっ!!」

 レタラ=ウパシ。

 その名は、「白い雪」のように。