−食うモノと食われるモノ
−火と水、空と大地

−世界の広がりは、己の意志の中に
−全てに意味があり、全てに意味はない

 目の前に現れたのが、父より強かった事がすぐ解った。
 それを伝えた父の最期の声がとても雄々しく、そして満足げだったことを覚えている。

 捕らえた者と捕らわれた者。
 そこにあったのは切なる願い。
 しかし、それが無為なる行いだったと知る。

 皮肉かな。

 さもなくば、絆を求めようとはしなかった。

   ――『バトルアリーナ・ドラグーン』――
         幸運まみれの厄日

「もし……?」
「んあ?」
 寝起きに現れた人物に、蒼い髪、青い装束のナイトは反応しかねていた。

 ここはアリーナの控え室。
 途中に色々と枝分かれした、キングサイズのグラビモスが通れそうな先。
 人間なら通り抜けられる程度の鉄格子。

 そこに飛竜とその主が居ることは珍しくない。
 さて、目の前の女性は誰であろうか?
 小麦色の肌。分けられた前髪共々膝まで届きそうな金色の髪。
 耳が尖っている、竜人族の娘。
 前述したように寝起きである。寝ぼけ眼で即答する方が無理がある。

 客人は言った。
 夕べ彼が聞いたとは違う、無邪気な声で。
「ふふ。珍しい聴衆がいると聞いたのだけど?」
「……?」
 無邪気な顔のまま固まっている客人。
 未だ微睡む彼の紫眼。
 見れば、明らかに「そろそろ気付けやこのガキ」と言いたげな気配。
 あくまで気配。
 表情は穏やかその物のまま長い髪を前髪も含めて後頭部まで持ち上げる。
 まだ解らない。
 ……それ以前に、自分が何処で寝ていたかも覚えていなかった。

「ガァッ!」
 寄りかかっていた「それ」が突然持ち上がりってひっくり返る。
 愛騎の蒼火竜。その腹にもたれかかって寝ていたんだった。
「ガッ!ガッ!」
 さらに容赦なく上から翼ではたかれ立ち上がることもままならない。
「てめっ、いい加減……!」

 ふみっ。

 相方に抗議しようと立ち上がろうとして、裾を踏まてつんのめる。
 地面にのめりこんだあたりで、漸く客人の素性に思い当たった。

「……すいません」
「ふふ。別に改まらなくてもいいのよ。私はただの歌姫なのだから」
(生まれついての、な……)
 幼少よりそう育てられ、幼少より狩人達に一時の癒しを提供する。
 人間より長命な彼女は彼が幼少の頃から今の背格好だった。

 ……それがいつも結い上げている髪を下ろし、薄布の変わりに白いワンピース。
 不思議な違和感と妙な納得とが入り交じる、奇妙な感覚だった。
 その彼女が、臆することなく蒼火竜の鼻先を撫でる。
 当の相方も実に大人しく撫でられている光景。
 やはり住む世界が違うのか。それとも自分には資格が無いのか。
 とりあえず相手によって態度変えすぎだろう我が愛騎。

 等という思考の渦に暫く浸っていた彼を現実に呼び戻す声があった。
「ディ〜君?」
 名前を呼ばれて振り向いてみれば、バケツとモップを背負った若葉色のアイルー。
 荷物と裏腹に、口元に手を当てて上品な笑みを浮かべている。
「はい、お掃除♪」
「……俺?」
 飼育係のミケ姉さんだった。

 確かに仕事中、蒼火竜……ホムラが嫌に落ち着かないからと場を離れた。
 露骨に歌に反応してたから飛竜用の控え室まで連れて来た。
 一応主人だから一緒にいて、歌声に魅せられてそのまま寝てしまった。
「スーツ着たまま雑用三昧て……」
 罰は罰でも、これは罰ゲームの類では無かろうか?それも三日。
 いや、自分が文句言える立場でないが、幸いぶつけるべき相手はいる。

「人手不足で大変なのよ〜。んで、筆頭に相談したらね」
「そりゃ思いっきり公私混同じゃねーかーっ!!」
「……ディ君だって、そのお陰で今生きてるようなもんでしょ?」
「うぐ」
 心当たり、有り。

 最上位だろうがナイトだろうが、17の「少年」には違いない。
 同僚から可愛がられている自覚はあるし、それなりの配慮もあるだろう。
「あー……せっかくのオフがー……」
「バイト料なら払うわよ?」
 余談だがギルドナイトは最上位ハンターから抜擢されると言う性質上、偉い人の「非番の時狩ればいいんじゃね?」と言う偏見から薄給だったりするのはあまり知られていない。

 結局、ミケ姉さんの容赦ない酷使は日暮れまで続いた。
 夜は更け、歌声が聞こえ始めていた。

「クァ〜……」
 家計圧迫の主原因は、へばる主人を横目にくつろいでいる。
 ちなみにまだ控え室。連れ戻す暇など無かったのだから。
 しかもその構えは擬態するバサルモスさながら、テコでも動かないつもりらしい。

「なあミケ姉……」
「何かしら?」
 訛の抜けた声で「うふふ」と笑う。
 顔を見なければアイルーとは思うまい。
「コイツは俺を好きだと思う……?」
「嫌いなら、たった一ヶ月会いに来ないで拗ねたりするかしら?」
 その煽りで落ち葉焚きにされた彼女の尻尾、未だに毛が揃ってない。
 根に持っているのは彼女を文字通り猫可愛がりしている筆頭なのだが。

 肉球のおかげでアイルーに足音はない。

 床でへたばっている間に何処へ行って帰ってきたのか、今のディに察するのは不可能だった。
 ほっぺたにひやりとした物が触れる。氷結晶イチゴだった。
「竜に気負いしてたら、何時まで経っても認めて貰えないわよ?」
「こう言うときは、ジュースとかじゃね……?」
 頬に触れるイチゴが少し気持ち良い。

「どうせ一回殺り合った仲なんだし、遠慮なんていらないんじゃない?」
(……こっちはともかく向こうが遠慮なくしたら死ぬて)
 言い訳も、話題の転換も、口に出さねば意味がない。
 その口はキンキンに冷えたイチゴで塞がっていたが。
「なんだかんだで、甘えてるだけよ」
 もったいないがさっさと噛み砕いて飲み込む事にする。
「だったら……それで良いよ」
「ニャ?」
 おや、久々の猫訛。

「レイアのシェリー、見てるよな?」
「ホムラ君は文句無しの金冠ミニねえ」
 そのホムラは、歌声の魔力に負けて寝息を立て始めている。
 二人でその首元に背を預ける。
 息づかいの上下運動が不思議と心地よいのだ。
 先に起きられたらきっとはたかれるが。
「ミニどころか発育途上だ。俺達はまともに殺りあってさえいない」
「……いっそ、一思いに狩ってしまえば良かった?」
 今即答できたら、とっくにそうしている。

 これで星空が見えたら、真面目な相談には打って付けのシチュエーションなのだが。
「……そこでやってしまったら、人間としてやばいと思った……それとも、これはエゴか?」
 歌声はまだ続いている。
「エゴでも……この子はきっと貴方が好きよ?」
 ドーム状の狭い空間に、緩やかに響いている。
 心癒す歌声、しかしミケ姉さんは顔を曇らせた。
「……この歌をバックにする話じゃないわね」
「俺は、打って付けだと思うけど?」

 歌が終わる。拍手が響く。それが話題の途絶えた会話を絶つ。
 暫く余韻が響く。歌姫は来ない。さすがに直行はしないか。
 余韻が途絶える。音と言えば、背中の寝息ぐらい。

 それは、歌の終わりと共に始まった。

 大老殿の一角、ナイト達の詰め所がある区画。
 ランスにヘビィボウガンと言う武器の重量を無視した速度で駆ける二人。
「何故今まで気付かなかった!?」
「今は何言っても言い訳じゃないの?」
 黒髪の男……ナイツ筆頭の怒号に飄々と答える深紅のナイト。
 廊下から一望できる外界には、災禍の犠牲者を喰らおうとする蛇竜が舞い始めていた。

 何が潜んでいても解らぬような暗雲は、実は燻る煙だったのかもしれない。

 ある者は叩き起こされる前に状況把握に走り、またある者は鳩舎へ走る。
 恐らくはハンターズギルドの方でも似たような状態だ。
 だが、悲惨さはここの比では無いだろう。
「被害は!?」
 空に放たれた筆頭の言葉。
「集会所前の広場と主要道が二カ所潰されています。救難も迎撃も困難かと」
 答えた女性は影のように現れた。
 初弾が放たれたのは戦略上最悪の場所だったのだから。
 人命における最悪でない事が救いだが、それもいつまでもつか。

 それは雲に紛れるように、そして突き破るように舞い降りた。

 筆頭の視線の先、三度目の爆発と空に舞い上がる炎龍。
 それが羽ばたく先に一際大きな建物が見える。
 冗談半分で未熟なナイトを押し込んだ場所が。
 冷徹な思考は援軍が辿り着くだろうまでの時間を冷徹に弾き出している。
 待つには、長い時間かもしれない。
「死ぬなよ、ディフィーグ……」

 雄々しく、力強く、そして恐ろしい炎龍は今、彼女の前にいた。
 闘技場としてでなく、舞台としてのそこを粉砕してのけたそれは、確かに災禍の王だった。

 もう一度、あの珍客の所に行こうと思っていた。
 舞台の前を横切るとき、ふと聴衆に思いを馳せる。
 災厄が舞い降りたのは、その時だった。
 それは大きく、そして恐ろしい。
 ただ、不思議と恐怖に飲まれることはなかった。
 別に彼女が特別な存在だったからではない。

 食うモノと食われるモノ。
 つい先ほどまで、そう歌っていたではないか。
 真正面から軸をそらしていく。自分の運動神経でどこまで出来るかは解らない。
 ただ、少し手間のかかる獲物だと言うことを教えておくぐらいだろうと思っていた。
 でも、微かな期待が無かったと言えば嘘になる。
「……ッヤアアアアアアアアアアアーッ!!」
 姫君の危機に颯爽と現れる、騎士の存在を。

 ディが決死の勢いで突き出した刃は、浅い傷を付けるに留まった。
(厄日確定……!!)
 先ほどまで眠りこけていた彼の元に駆け込んできたのは、アイテムポーチを抱えた飼育係主任。

 知らされたのは、誘導隊が成す統べなく侵入を許したこと。
 状況把握の為に飲んだ千里眼の薬が、更にあってはならぬ状況を教えていた。
 走り抜ければ、案の定とでも言うべきか。
「今のうち!!」

 幸運だったのは、その一撃で注意が歌姫から逸れた事。
 幸運だったのは、手にた双剣が水の力を宿している事。
 残りの状況、すべからく不幸。
 飛び起きた時の血の巡りは最悪。
 千里眼の薬と強走薬の飲み合わせの最悪さは言葉にできない。
 鬼人薬と硬化薬でうち消せないかと思ったら悪化した。
「少しは格好つけさせてくれよ!!」
「あ……はい!」

 幸運だったのは、彼女が足を竦ませていなかった事。

 その頃、控え室。
 ディが突然駆け出した理由を、ミケ姉さんは推測でしか察する事が出来なかった。
 そして彼女の前に、もう一つの問題が立ちふさがっている。
「ホムラ君……」
 本当は下へ連れて行きたい。
 だけど、通路の先を睨み据えて唸るばかり。
 時折横目でこちらを見る視線は、怯えているように見えた。
 それでも、真っ先に危険と対峙するであろうここを離れる気が無いらしい。
 古龍にぶつける選択肢もあるだろう。
 それを選ぶのに、この竜は幼すぎる。
「ミケ」
「はい」
 その選択肢を可能とできる竜の元へ向かうその前に、ミケ姉さんは「恐い」と「好き」の間で動けずにいる幼竜を振り返る。
「……あんたも、男の子ならしっかりなさいな」
 扉の鍵は、かけなかった。

 灼熱と覇気に晒されたそれは短く、そして長い2分間。

 その時間は、彼我の差を思い知るには十分過ぎた。
 その覇気が、「少年」を圧倒するには十分過ぎた。
 真横を深紅の龍が掠める。熱気が頬を焼く。
 怖じ気づくな。
 そう言い聞かせている時点で怖じ気づいている。

 同じ相手には数回。なのに、そのどれとも比較にならない、何か。
 懐に飛び込む事を、その突進と擦れ違うことを躊躇わせる何か。
「姉貴は……一人でやったんだ」
 信条も、武器も、狩りの様式も違う。
 辺境の姉は、一人で「やらざるを得なかった」。
 それでも、他に喝を入れる方法が解らなかった。
「俺が怖じ気づいてどうすんだ!!」
 戦ったことが無いわけじゃない。行動は把握してる。
 その全てが、自分に向けられると言うだけ。

 獅子が吼える。騎士が駆ける。
 爪が真横を掠める。切っ先が横腹をなぞる。
 真っ向勝負など愚の骨頂。
 外周から肉薄する。
 最初から、狙うのは脇腹の……。

 ゴッ!

(えっ……?)

 衝撃、激痛、浮遊感。一度に通り抜けた後、衝撃。
 舞台だった場所を2回ぐらい転がってるときに、高々と上がる後ろ足が見えた。
(野郎……っ)
 ……この龍、わざと前に進んで後ろ足で蹴りつけてきた。
 悪態を付こうにも、痛みにそれもままならない。

 恐らくは着地時の打撲。骨がやられたら、こんなものでは無い。
(やばい……)
 それそのものは、回復薬を飲むか塗るかすれば済むものだった。
 しかし、それは致命の一撃。
 叩きつけられた左半身が痛む。
 蹴られた部分が折れなかったのは奇跡に近い。
 痛みを騙しながら、どれだけ動けるだろうか?
 最小の動きでかわすのに、それはあまりに大きすぎる。
「くそ……動、痛……」

 カシャン。

 炎龍が、真っ直ぐこっちを向いている。
 その前足の下に落とした剣が。
(……お前じゃねえ)
 最悪だった。
 立ち上がったはいいが膝は震える。今も焼けるように痛い。
 蹴られた腰が痛い。17で腰に手を当てて立つことになるなんて。
 剣は一本。残っているのが利き手な分マシかもしれない。
 どのみち、飛びかかられたら終わる。
「ちっくしょ……」

 覚悟、あるいは諦め。
 余裕、あるいは奢り。
 張りつめる精神、緩やかに動く四肢。
 双方の行動を遮ったのは、雄々しく響く飛竜の咆吼。

 今日一番の幸運、あるいは不幸は、その通路が、風と音をよく通したこと。

 小さな体を軽く揺さぶり倒すには十分だった。
 炎龍の気を引くには十分だった。
 片膝を着いた騎士には興味が失せたとばかり、炎龍はその向きを変えた。
 助かったとは、微塵も思っていない。
 知っていたから。
 雄々しさの正体が、ただの反響だと言うことを。

「タダの人間には、興味ありませんってか……」
 主任に貰ったポーチをさぐる。これがクッションになったのかもしれない。
 中身の回復薬の大半が割れて中がグシャグシャになっていた。
 手甲から薬が染みる。少し痛む。

 色々と不安だったが、どのみちこのままでは戦えない。
 手ですくい上げた分を喉に流し込む。
 のこりはポーチから染み出る分をうなじ付近に押し当て背中に流す。
 口から、背中から、患部に染み込んでいくのがもの凄く痛い。

 効いていることの裏返しではあるが。
(予想よりやられてる……一撃でこれかよ)
 まだ走れない。強走薬の効果はもうない。
 一縷の望みをかけてポーチをひっくり返す。
 黄色い液体の入った瓶が、ころりと落ちた。
 落ちた剣は、折れることなくそこにあった。
 まだ、戦える。
 いっそ、逃げるか倒れるかできた方が楽だったかもしれない。

 駆ける音は聞こえない。
 争う音も。
 まだ、悠々と歩いている。ここで焦ってはいけない。
 既に忘れられている。この決定的な隙を突かない手は無い。

 視野を広げろ。ここには何がある?
 闘技訓練、大物相手はここでやっていた。
 炎龍の放つ熱波を免れた「それ」が、視界に入る。
 中身は入ってる。
 さらに都合のいいことに容量の八割ほど。
 まだ残ってる鬼人薬と硬化薬の力任せに握りつぶして掴む。
 強走薬を飲み干す。呼吸を整える。

 すぅ……っ

 走る。「それ」を片手にぶら下げたまま。
「おい!!そこのドラ猫野郎ッ!!」
 ありったけの敵意と、殺気と、罵声。

 振り向いた瞬間に「それ」を、「支給用大樽爆弾」を投げつける。

 強走薬と、鬼人薬によって引き出されたでたらめな腕力によって回転を与えられたそれ。
 激突する一瞬、炎龍の顔が酷く間抜けに見えた。

 予想以上に狙い通りの爆破。
 巨体の分ダメージがありありと解るというもの。
 眉間で炸裂したそれが意識にまで与えたダメージを見て取れる。
 抜刀、鬼人化、あとは、ひたすらに切り刻んだ。
 あまりに突然で強烈過ぎた奇襲は、炎を纏う暇を与えない。

 身をよじり首を振り、急所を避けようとする炎龍。
 その気迫と勢いに比べれば浅い傷も、暴風の勢いで襲えば致命に到る。
 目、心臓、急所への突きを交えた乱舞となれば尚更に。
 その一撃が片目を奪う。
 苦痛の悲鳴と共に振り下ろした爪の先に彼はいない。
「ハァッ!!」
 双剣は脇腹の傷を抉り、尾に浅からぬ傷を刻みつける。
 振り向き様にもう一撃、視界に、金色が舞う。
 一見美しいそれは粉塵爆破の前兆。
 ガンナーには決定的な隙も、剣士には致命の一撃になる。
 即座に後方へ飛ぶ。熟練の弓術士のそれも比にならぬ距離を二度三度。
 少しだけ見た後方で、相方が虚勢を張っていた。
 爆炎の終わりに合わせるために、呼吸を整えていた。
 これ以上の距離に爆炎が及ぶことは、無いはずだった。

 地熱の吹き上げる火山で在れば。
 風の吹き荒ぶ砂漠で在れば。
 天高くそびえる塔の頂上で在れば。
 そこが、広くとも、風を通す場所でなければ。
 視界を掠める、金色の粉。
「……!」

 騎士が不覚を悟ったその瞬間、場を轟音と熱風が支配した。

 闘技場の地下に広がる空間。そこは異様な空気に包まれていた。
 駆け出しの狩人なら近づくこともできないだろう。
 熟練の狩人とて戦慄するに違いない。
 古今東西の飛竜が唸りを上げるそこは、自然の摂理のその外。
 しかし彼等は飛竜を見るプロ。同じ唸りの意味の差異を見抜く目があった。
 二人、もしくは一人と一匹。

「あー、ゴンザがいてくれりゃあなー」
「主任、初めて聞く名前ね?」
「うん、ラージャン……つっても知らないか。あれ捕まえ損ねて引退に追い込まれたから」
「捕まえてから名付けてくださいなっ!」
 その視線がなぞるのは主に中堅以上とされる飛竜達。
 狩れれば一人前以上とされる面々。
 怯えているもの、虚勢を張る者は出せない。
 上からのしかかる覇気に、確固たる姿勢を崩さない竜でなければ。
「……主任」
「なんだ?」
「以心伝心って素晴らしいと思うわ」
 その候補たるディアブロスの檻の前に、黒グラビモスのドンが鎮座していた。

 鉄格子の一部が鼻先にはまっているのを見ると、どうやら自分で破って来たらしい。
 その巨体に似合わず小さな瞳で主任の姿を認めると、ゆっくりと……
 何も知らなければ逃げ出したくなる迫力でこちらに歩み寄り、首を下げた。
「よしよし。ちゃんと覚えていてくれたか」
 ひとしきり主任に頭を撫でて貰い、鉄格子を外してもらう。
 その後は、誰に促されるわけでもなく舞台へと向かっていく。
 一度だけ振り向いたその横顔は語っていた。
 女子供はそこにいろ、と。

 その漢っぷりに呆けるミケ姉さんを余所に先へ進もうとしたドンの足が止まる。
 何があったのか、最初はその巨体に阻まれて解らなかったのだが……。
「クギャ〜っ!」
 遙か先でゲリョスの遠吠えと、何かが走り去る音に全てを悟る。
 しばし呆けていた二人と一匹、もしくは一人と二匹。
 ドンが慌てたように歩を早めてあとを追いかけて行った。
「主任……年々器用になってますよ、あの子」
「鍵の買い換えより、調教した方が早いな……」
 ここは自然の摂理のその外。何が起こるか解らない奇妙な世界。
 強烈な揺れが上から響いてきたのは、そんなときだった。

 ……その頃。

 爆風から顔を庇う姿勢のまま、成す術無く押し倒された。
 両腕が折れなかったのが奇跡のような衝撃。
 即死出来た方がまだ楽だったのかもしれない。
 成す術も無い方が諦められたのかもしれない。

 騎士の手甲はその爪を受け止め、その意志で崖っぷちの命を繋いでいる。

「くっ……そ……」
 悲鳴を上げる両腕。地に叩きつけられた衝撃の余韻。
 最悪だった。
 奇跡のように繋がった命も、痛みに悪態をつかずにいられない。
 押しつぶす気でいる炎龍。気まぐれに引き裂こうとすれば、間違いなく腕が飛ぶ。
 足は必死に逃れようと藻掻くが、半端な隙間にそれもままならない。
 軋む音。手甲か、骨か、もうそれさえ解らない。
 牙への恐れに傾いた意識が、視線をそちらに向けさせる。

 ……見ていた。
 灼熱とかけ離れた青い目が、ただ、見下すように。
 ……そして悟る。
 こいつは、このまま自分を殺せる。
「う……!」

 気付いた瞬間に、じわりと、今までと異質の痛みが走る。
 顔を背けざるを得ない灼熱。
 耐えかねた両腕が顔の右側に押しつけられた辺りで持ち直す。
 髪の焦げる臭いがする。
 最初に音を上げたのは掌だった。
 滑り落ちた双剣から蒸気が上がる。
 龍の掌に迫られた肌が焼けていく。
「う……ぐ……ぁ……」

 ……痛い……熱い……折れる……

 恐い……死ぬ……ダメだ……

 青い目が言う。諦めてしまえと。
 そこに映る紫眼が言う。

 ……嫌だ!……

「こっ……のっ……アアァァァーッ!」
 腕が、肩が、悲鳴を上げる。構うものか。
 灼熱に晒された両腕は確実に焼けていく。体も多分。それがどうした。
 何か割れる音がした、手甲か、骨か。

 それでも諦めずにいた力がふと、行き場を失う。

「あ……」
 解放された両腕。その間に、振り上げられた爪を見る。
 終わりだ。
 そう思ったとき、全てが緩慢に見えた。
 投げ出された両腕、振り下ろされようとしている爪。
 他に、何も見えなかった。
 一瞬だけその爪を止めた何かも……。

 ……ホム……姉……

 幸運だったのは、扉が外開きだった事。
 幸運だったのは、潰れた目が振り上げた爪と同じ方だった事。
 幸運だったのは、小さなホムラが飛び回れるぐらい広かった事。

 幾多の強大な飛竜を屠って頂点に立った龍。
 最初に不覚を取らせたのは、小さな人間だった。
 嗜虐の形でぶつけようとした怒り。
 それを遮ったのもやはり、小さな竜だった。

 この場にいる誰もが、その場で起こった事を理解できずにいた。

 えぐれた目に、毒を含んだ一撃を受けた炎龍。
 既に意識を手放した少年。
 自分が何をしたのか理解できていない幼い竜。

 ……ホムラも、本当は恐かった。

 お父さんがいなくなって初めての縄張り争いに、お父さんより強いのが来たよりも。
 尻尾を斬られて羽ボロボロになって、動けないまま眠くなるよりずっと。
 あの時はこのまま食べられてしまうと思った。
 ぼんやりしていたけど、尻尾を斬った人が、ちいさいのと何か話してた。
 そのままここに連れてこられた。恐いと思った。
 何日かに何回かその人が来て、たまに他の竜と喧嘩して、その繰り返し。
 喧嘩トモダチができた。ご飯が美味しかった。
 立つことも出来ないぐらいのぐったりが恐かった時、その人はずっと一緒にいてくれた。
 でも、自分と一緒にいるのは嬉しくないみたい。

 その人は、ある時長く帰らなかった。

 一週間、ちょっと遅い。
 二週間、どうしちゃったんだろう?
 三週間、もうここに来てくれないの?
 四週間、お前じゃないって小さい緑に火を吐いた。

 その後体をごしごしするものでひっぱたかれたけど。
 帰ってきたその人に思わず飛びついたら避けられた。

 もの凄く嫌だった。
 その人がいなかった事が。
 もの凄く恐かった。
 その人を食おうとする赤い龍が。
 もの凄く助けたかった。
 力を振り絞って「吼えた」その人を。
 だから、飛んだ。

 恐いのが倒れてもがいてる。今のうち、今のうち。
 噛まないようにくわえて持ち上げる。
 飛ぼうとした。尻尾に何か食い込んだ。痛かった。
 食いしばってこらえようとして我慢した。
 大事な人が壊れてしまう。
 尻尾が痛い。恐いのが追いかけてくる。
 尻尾が痛い。逃げないと。急がないと。飛ばないと。
 大事な人がいなくなる。

「クキャ〜ッ!」
 幸運だったのは、ホムラに器用なトモダチがいた事。

 知ってる。ピカって光るのが凄く強烈。
 目をぎゅっと閉じて、羽ばたいた。ほんとは食いしばりたい。でもダメ。
 飛んだ。まだ足りないと思ったら、大きな何かを踏みつけてもっと高く飛べた。
 天井に、大きな穴が空いていた。久しぶりの広い空。
 嬉しくて、気持ちよくて、目一杯吼えたいけど、今は我慢。我慢。
 連れて行く場所を探さなきゃ。
 そう思っていたら、ここで二番目に恐い声が聞こえた。
 良かった。「お母さん」が出たらあいつだって恐くない。

 ……ミケ姉さんと主任は、足下に開いた大穴を前に、呆然とするしかなかった。

 ドンの視線にカチンと来たのであろうディアブロスの肝っ玉母さん。
 対抗意識全開で地下から脱走してのけた。
 それを境に、そこは水を打ったように静まり返った。
 その時、今までと違う声色で吼えたのが何体かいた。
「主任、ここでこれ以上の脱走許したらどうなります?」
「俺の首が飛ぶ」
「では主任、前途ある若者の為に死んでください」
「……あいよ」

 ホムラはこの日、初めて沢山の人の上を飛んだ。
 そして知った。見上げてる人達が、もの凄く怖がっているって事を。
 この人をくわえて飛んで解った。人は簡単に壊れてしまうんだってこと。

 ほんとはいっぱい人が居る所に降りたかった。
 でもダメ。きっと何人か壊れてしまう。そしたら、この人はきっと嫌がる。
 もう自分の所には二度と来なくなる。ひょっとしたらこの人にやられてしまうかも?

 でもどうしよう。ぐったりして動かない。白い顔に酷い跡。
 自分も尻尾が痛い。場所を探すたびに痛くなる。
 喧嘩の跡に塗ってくれる薬の匂い。だけど人がいっぱい居る。

 その近くに、とても広い場所があった。

 ゆっくり降りた。真っ暗だった。まずこの人を降ろさないと。掴むときに比べて大変。
 ゆっくりゆっくり、舌を使ってゆっくり……ヨダレがいっぱいついたけど我慢してね。
 もう後は、尻尾が痛いけど頑張って吼えた。
 助けて、でもいい。食べちゃうぞ、でもいい。とにかく誰か来て欲しかった。

 そして人が来たけど……一人も来ない。
 恐いのかな? この人から離れた方がいいのかな?
 そんな事を考えながら見たら、人の手で照らされたそれに気が付いた。
 いっぱい向けられてるそれ。あの日、この人と一緒にいた人が持って奴の大きいの。
 バシバシ飛んでくるの、もの凄い痛かったのを覚えてる。
 あんな大きいのが飛んできたら……それも、たくさん。

 どうしよう尻尾が痛いどうしようどうしよう尻尾が痛いどうしよう。
 どうしようどうしよう尻尾が痛いどうしようどうしよう尻尾が痛い。
 どうしよう尻尾が痛いどうしようどうしよう尻尾が痛いどうしよう。
 尻尾が痛いどうしようどうしよう尻尾が痛いどうしようどうしよう。

 困って困って困り抜いて、動かないことに決めた。
 伏せて、翼で被って、絶対動かないぞと。
 どんなに撃たれても、絶対動かないぞと。
 尻尾が痛いけど、絶対動かないぞと。

 空の王が地に伏せるその姿が、傍目にはどう映ったであろうか。

 疑問、好奇、ホムラには解らないその他諸々の感情。
 投げられたものがピカッて、目を焼いた。
 恐かった。真っ白になって、真っ暗になって、でも動かなかった。

−あれ、亜種か?−今、翼の下にいたの−でも、まさか−
−ランタンじゃだめか?−それじゃ光が届かないよ−
−閃光玉は?−いや、刺激しすぎたらまずいんじゃ−
−そういえば……アイツ何処から飛んで来たんだ?−

「ん……う……」
 どうしよう……この人、今ので起きちゃったよ。
「……もう……お前……」
 何?痛そうだから、無理に手を上げなくていいよ。
 顎撫でて貰うの、もの凄ーく久しぶり。
 大丈夫。僕ずっとここにいるよ?
 すぐ薬持って……あれ、頭が少しぼーっと……ぼーっと……。
「お願いです、道を開けて下さい!」
 あ、綺麗な声の人。もう大丈夫だ。
「……り、がと……」

 幸運だったのは、彼女が舞台衣装のままだった事。

 薬を飲ませてもらって、その人は運ばれていった。
 本当は追いかけたいけど、それはやってはいけないと思った。
 安心したら、尻尾が痛い。頭がくらくらする。
「……この子、尻尾!」
「うわっ……おい、誰か回復……いや、秘薬持って来い秘薬!!」
 どうしちゃったのかなあ?

 ……闘技場に到着したギルドナイト、及びハンター達は、動く事が出来なかった。

 もう動く必要も無かった……いや、あるか。
「あの……ラッシュ主任?」
「いやー……ははは?」

 若葉色のアイルーを乗せて鎮座する黒いグラビモス。
 何かに飽きたようにあくびをするリオレイア。
 少し視界を横にずらせば、フルフル二匹、紅白饅頭よろしくそこにいる。
 ハンター達の持つ光り物に興味を示したゲリョスの尻尾を踏みつけているのはディアブロス。
 そこはまさに、混沌の坩堝であった。
「あの、古龍どうしました? て言うかディは?」
「は、ははははー」
 ただ天井に空いた大穴と、そこに刻まれた幾筋の爪痕。
 それだけが壮絶なリンチの跡を物語っている。
 幸運だったのは、ここにいるハンター達の過半数が自分の相棒を案じて来たと言う事。

 ……ディの記憶は、爆炎を受けてから先が無い。
 
その瞬間を境に闇の底を彷徨っていた。

 爪を振り下ろされそうになったのは覚えている。
 子供の泣き声を聞いたような気がするのは覚えている。

 ここは何処だろうか?
 手足が全然動かない。生きてるのだろうか?
 目は開けたくない。全身を包むふわふわしたぬくもりが心地よい。

 冷静に考えてみる。あの強烈な腕の痛み。骨はまずやられたか。
 消毒液の匂いに、ここが病院だと解る。
 記憶にある痛みを手繰る。脳裏を過ぎる、最悪の結末。

(……俺、ハンター辞めたら潰しになる技術無いんじゃね?)

 うっすら開けたつもりの右目が開かない。
 左目に注ぐ光が染みる。
「ディ君……お願いしっかりして……」
 ミケ姉さんの声。
 彼女の世話になる選択肢もありかもしれない。
 ホムラが連れ戻された場合限定なのだが。

 ……よくよく考えたら、五体満足と言う前提の考えにぞっとする。
「私、お姉さんに何て伝えればいいの……?」
 姉に頼る。最悪、それもありだろう。
 変なところで金銭面に厳しい姉の事だ、一人養うぐらい……いや待て。

 イジメの報復に小樽爆弾をぶん投げる姉。
 気に入らない親類と財産分与するぐらいなら使い切る姉。
 つい最近、猫狙い強盗をボコボコにしてナイトにしょっ引かれそうになった姉。

 ……。

「俺、適当に勇敢だった伝えといて」
「ニャーッ!?」
 もういいやと思うのに、さほど時間はかからなかった。

 しかし……。

「んじゃ姉として介錯した方がいいのかね?」
「!?」
 その声に左眼を見開く。
 右半分欠けた視界に自分と同じ紫の瞳、緑に染めたツインテール。

 ディの姉。
 辺境での躍進著しいハンター、リネット=エインその人だった。
「な、何……痛っ……」
 言ってから気が付く。あわや最悪の事態に身内が駆けつけないとあっては……。

「ん? 村長さんに、行ってきなよ言われたから」
「……」
 この姉なら本当に死ぬまで来ないかもしれない。

 なんとか視界をずらせば、姉は私服。到着して少し経ってるのか。
 2週間は経っているんだろうか。ネコタクを乗り継いだなら一週間かもしれない。

 それでもまだベッドに転がって……今も体を動かせない自分。
 悲哀一杯の目で自分を見つめるミケ姉さん。
 姉の目から、自分の現状を読みとるのは難しい。
「俺……どうなの?」

 覚悟は、決めていたはずだ。
 ハンターとはそういう仕事だから。ナイトともなれば尚更だから。
「ま、呼吸器系にダメージがないのは奇跡的だわね」
 淡々と語ってくれる姉は、むしろありがたい。

「火傷は全身数カ所に深度一とごく一部が浅い二度。手の平は奇跡的に無事。ま、これらは治療済みだからいいとして」
 身内としては、もう少し悲哀を込めてくれても良いのだけど。
「深刻なのは両腕ね。深い2度の火傷を貰った手腕もそうだけど……無理した上腕筋は時間で治すしかない。以上」

 炎龍の爪を受けていた、手腕の骨と右目に言及が無かった。

「……結論をくれ。俺の今後は?」
「あー右頬がかなーり深刻だわ」
 いや、頬より目は?
「右頬広範囲が深い二度だからねえ……跡は腕より酷いってよ?」
「目は?」
「恐ろしいことに無傷。何? 引退必至と思ってたりしたかいな?」
「そしたらあんた引き受けてくれんの?」
「まさか」

 気付けば、姉弟の会話に割り込めなかったらしいミケ姉さんはどこかへ行ってしまった。
 気を遣ったつもりだと思うが、正直勘弁して欲しい。
「それにアンタが引退に追い込まれたら、ホムたんが報われないしのぅ」
 ああ、そうだ!
「ホム……痛っ……!」
 飛び起きようとして、全身が痛む……。

 それでも体を捻って見た、修理されたばかりの手甲。
 姉は、報われたと言った。
 そこに考えが到った混乱を抑えるのに必死だった。
 だから、その側に置かれた小箱に気付かなかった。

 冷静に、冷静に、冷静に……そして気付く。姉がリアクションを待っている。

「……尻尾の?」
「そこはもうちょっと引っ張らんかえ?」
 アンタこそ露骨に舌打ちしないで頂きたい。
 元々作るのに足りなかった蒼火竜の上鱗、最後の一枚も、そうして得たのだから。
「んー、面白く無いのう……もういいよぉー」
 いやこちらは至って真剣であるが。

 クゥ〜

 やっぱり無事だった、そう思って見た窓に、ミケ姉さんを乗っけたホムラが……ん?
「えーと、ここは何処ですか?」
「病院の二階だけど?」
「何でホムラがここに居るんですか?」
「尻尾の傷が壊死しかかってるの斬った途端元気にばっさばさ。みなさんご厚意でスペース開けてくれたんよ」
 詳しく聞けば一睡もせず食事も取らず、誰の手を煩わせる事無く居続けたという。

「そう言えばディ君や」
「何ですか姉上様?」
「テオの肉球って、どんなだった?」
「この人でなしっ!!」

 それから数日後、辛うじて動けるようになったディは退院した。
 むしろ自宅療養の名目で追い出された。
 そうでもしないと、ホムラがどいてくれないのだから仕方がない。

 今日も、歌姫の歌が響いている。

「結局特等席に陣取っちゃうわけね」
 療養先が自宅でなく、闘技場になるのも仕方のない事だった。
 姉は久々の街を歩き回っている。
 世話を焼いてくれるなど微塵も期待していない。

 目の前の若葉トラは、真っ赤なドレスの
「ミケ姉……そのカイザーSは何?」
「さあなんでしょー?」

 私服に手甲だけと言うちぐはぐな姿に「愛騎」は何とも思わないらしい。
 顔の右半分に塗られた、活力剤入りのファンデーションが気になるようだ。
 買えば高価なものを、姉がわざわざ作ってくれた。
 ……その横に並べられた口紅とマスカラは正直踏み砕きたいが。

「流石お姉さんのお見立て。全然わかんないわ……でも跡さえなければもったいぐらい綺麗だったのに」
「……それは喜んで良いのか、男として」
 その姉が化粧をする姿を見た覚えがない。
「あっ、ファンデついたまま秘玉触らないっ!」
「いでっ!ちょっ、俺まだ怪我人だから!」

 今自分の胸元を飾っているのは「秘玉」と呼ばれる、本来なら紅玉の出来損ない。
 修理に使った鱗同様、ホムラの尻尾から出てきたそれは、青い光を湛えている。

「……ディ君?」
「いや……」

 あの時の、想像を絶する状況と苦痛。
 両腕と右頬に残る、今でも目を背けたい火傷の跡。
 正直まだ信じられなかった。
 まだ剣を握れる事を。
 まだこうしていられる事を。
 まだ……。

「生きてるんだな……って」