紫の霧が立ちこめる沼地に、鮮やかな黒が浮いていた。
「別に狩りの邪魔っていうなら黙認してあげてもいいのよ? 命かかってるんだから?」
否、吊されていた。
吊り上げられているのは黒い鎧竜から削り出された岩のような鎧の男。
吊り上げているのは、二本の羽根飾りの目立つ兜を被り、白いプレートスカートの目立つ鎧の娘。
男を揺さぶるたびに、羽と一緒に緑に染めた髪がゆらゆら揺れる。
「で、この子達は? そろばん持って、商品持って、どー見ても働くぬこたんです」
ちなみに男の兜であるが、娘の足下に、器用に両断された残骸を確認できるのみ。
「な、なんだって……」
鬼人薬グレートに力の護符と爪のフル装備がここにいるのか。
そう問おうとした次の瞬間往復ビンタ。拳のそれをビンタと呼ぶかは解らないが。
「黒くてでかくて丸いのって、てーっきり黒グラたんだと思ったんだけどねー?」
等と言いつつ背負っているハンターボウは明らかに狙う獲物が違う
「あの、族長……」
「最終兵器というのは、こういうもんだニャ……」
そそくさと去っていくアイルー達と入れ替わりに、深紅の騎士装束を纏った青年。
その惨状を作り出した娘の肩に手を置いて一言。
「リィさん、それ以上の私刑は犯罪ですから」
――『善悪偽善の三拍子』――
そして偽善の鐘はなる
結果の見えた勝負のはずだった。
結果の見えた悲劇のはずだった。
もしそれが、「騎士同士」の果たし合いであったなら。
次の瞬間映ったのは、冗談のような光景。
左手を自身の顔にのめりこませた騎士と、己の足を盾に食い込ませる少年。
仰け反る騎士。反動で宙を舞う少年。反撃に転じられない攻撃ではなかった。
もしそれが、銀火竜を退けたそれでなければ。
意識混濁。がら空きの胴、遮るものは、無い。
着地、中腰に構えた両手、双剣は、無い。
「―――――――っ!!」
掌打の構えから飛び出した怒号は、どこか泣いているように聞こえた。
その一撃が、どれほどの重さなのか、狩人には計り知れない。
その一瞬、何かが砕ける音が聞こえて、そのまま騎士は立ち上がらなかったから。
それが装束の下にあった胸当ての砕ける音なのか、別なものなのか……。
少年が地に膝をついて、やっと言葉が抜けてきた。
「ディ……ディ!?」
震えていた。無理もない。
「……った……」
まだ、十七の少年なのだから。
「すっげ恐かったーっ!!」
涙目で見上げられる。今狩人に求められているのは、「年上」であった。
だが、それでも少年は「騎士」だった。
呆ける狩人の前で、脈を確認し、手際よく肩を外す。
集会所の責任者を叩き起こして事情を説明する。ジャッシュはベッドに転がしておく。
……可哀想と思いつつ肩の治療はしない。
全ての責を、自分で負うと言って。
「な、なあ、屈服させるってさっき……」
「捕獲と解放の繰り返し。上手く行く保証はないしリスクは三割り増し」
それでも、やるしかない。
意地。自己満足。プライド。それでも。
だから、狩人にも伝えなければならない事があった。
「何で巣の見当を言わなかったんだよ、おい?」
「俺だって病気の初期を栄養剤で潰せるなんて初耳だぞ」
「本職が見逃すぐらい微妙だからな、しかも、ここで使うかすら微妙」
「この位置だってアレに警戒されまくっていたら外れる可能性あるからな」
「いや……流石にこれが事実なら見つけられなかったのも納得だわ……」
狩人を凹ませたのはあまりにあっけない初期症状の対処。
いくら見逃したら終わりで、継続投与が必要でも、栄養剤とは安すぎる。
少年を凹ませたのはあまりに近すぎた銀火竜の営巣地。
あの日見張っていた崖の真下。俺の三時間労働とアプトノス三頭を返せ。
「つか、ジャッシュさん説得できね?」
「冗談で粛正にかかるおっさんに見えるか?」
「……いや、全然」
「むしろ次こねーと……俺、最悪寝床でこれだわ」
そう言って自分の首を指で横切る。
どう好意的に考えても解雇の意味では無いだろう。
不信の招く結果の、なんたる滑稽か。
「で、その次って、何時来るんだ……?」
ディは覚悟を決めていた。
明日送るはずの伝令。それと認めさせるための承認を、自分は知らない。
「早馬を使えば四日。ネコタク拾ったりしたら三日。最悪闘技場の飛竜使えば即日」
「飛竜……って」
「そんな単純じゃない。ディアブロスを連れて駆け回ったのがいたけど。その人も結局は感染した」
「次善にも、ならない……?」
「……うん。俺がレウス捕まえたその日に聞いた」
その時の落胆は、今でも良く覚えている。
同じ戦をできないという、果ての無い落胆。
「だからこの辺の旨を、リネットってハンターに届けてくれると嬉しい」
どう転んだって、自分は裁きを受けるだろう。
それでも、いいと思った。
少なくとも、自分の意志を貫けたのならと。
「その人って……」
「姉貴が死んだとは、一言も言ってねーけどー?」
「かーわーいーくーねーっ!!」
絶叫する狩人。案外良い玩具かもしれない。
「つーかその姉を置いて逝く気かお前はーっ!!」
「……いや、それは会えば解るから」
「そんな報告のために会ってたまるかーっ!!」
会わせたい。そう思った。
「第一なんでそんな諦めてんだ!?」
きっと盛大に凹んで自分を楽しませてくれるだろう。
「うまくやれば、村も何もかも救われるんだぞ!?」
「その為に、仲間をこんな状態にしたんだが?」
そう言って、親指でジャッシュを指す。
胸当てが砕けて、大きな痣ができている。
「暴力で押し通して、それのどこが正義だよ」
「本当に無理なのか?この人説得してさ」
「その先輩が、長々と帰還命令無視してたんだ」
「へ……?」
「あんま、悪く言わないでくれよ。先輩は先輩で相当きつかったらしいから」
「……俺のせい?」
「半分。もう半分は……俺にもわかんねーや」
まずは翌日の下見。決行は明日以降。
最悪その時、いや、途中から確実にディは横にいないだろうと言う事実。
それが、もの凄く不安だった。
「……横穴だな」
「登れるか?」
「無理」
二人分の声が崖に反響する。
飛竜の翼なら近く、人の足なら遠い断崖絶壁の真下。
美しく横たわる、朽ちた金火竜。
彼女が覆い被さっている白骨は、父のものだった。
「相打ち、だったんだな」
「……口惜しいよ」
目の前にいるのに、それ以上近づくことは適わない。
「人間の身勝手を押しつけてんだ。我慢しろ」
二人が見上げる先。
我が妻に触れれば容赦はないと言わんばかりに、あの時自分達が居た場所から睨む銀火竜。
「あんだけ豪華な墓も無いしな」
「崖の向こうじゃ、満足できなくなったのかもなあ……」
「密猟のせい?」
「うん」
「一番の悪党、この手で締めてやれないのが悔しいな……」
結局苦しむのは弱者や、その後始末に走る人間。
あの銀火竜とて、被害者には違いない。
「あー、その辺はナイトでも一際タチの……」
その悔しさを和らげる一言を期待して覗き込んだ少年の顔は……硬直していた。
「……ディ?」
よく見ると、青い。
そしてギチギチと、錆びたボウガンの様な音を立ててこちらを向く。
「戻り玉……あるか……?」
「この辺、キノコ取れないの知ってるだろ?」
承知しているのか既に自分のアイテムポーチを探っているディ。
そこから出てきた緑色の球体。
「……何で持ってんだ?」
「前回の仕事の、余り……」
「悪いことは言わない。整理ぐらいしろ」
そう言う間にも広がる緑色の煙。
なんとも形容しがたい、独特の臭い。
非正規の依頼で、本来アイルー達の支援は受けられないものであるが……。
ガタガタガタガタ
ニャーニャーニャーニャー
やってこないはずのネコタク。
乗ってないはずの人。それも二人。
「現地から直行ってのがあったわ……」
深紅の騎士装束の青年、羽根飾り(むしろ触覚?)の兜と白いプレートスカートが目立つ鎧の娘。
「……しかも、何で姉貴がいんのさ……」
アイルー達が戻ってきた。
これ以上家畜の被害は避けたいが、それでも心強かった。
そして何より……。
「だっからリンチは止めろつっただろーがこの馬鹿姉っ!!」
「ぬこたんの敵は私の敵。万死に値するわ。死ねやゴルァってもんでしょー?」
「たーのーむーかーらーっ!!」
援軍二人が、こちらに理解を示してくれた事。
「最悪でも交易路は確保できたか。牧場は、僕等の頑張り次第」
「ええ……これで村は助かります」
タイムリミットは、実にあっけなく訪れた。
阻止したかった。勿論、もう出来ないことは解っている。
「御免ね。流石にそこまで上申出来なかった」
「いいよ。自分のやったことだ。自分でケリを付ける」
「な、なあ……本当に……」
「短い付き合いだったな」
本当に、死ぬのが恐くてナイトはできない、と言うことらしい。
「消されそうになったら逃げときよ。あ、うちは駄目だから」
「それ以前に隠れる場所が無いだろ、あの村」
帰路は馬車。ゆっくりと一週間かける。最後の時間稼ぎになるかもしれない。
深紅の騎士は解る。それがナイトというものだから。
でも、一介のハンターに過ぎない姉は解らなかった。
「あの、どうしてそんな……」
「よーく考えてごらんよ」
置いて逝っても心配は無さそうであるけど。
「友人と姉、この合流が偶然と思うかい?」
その意地悪な笑みに、確かな「善意」を見た。
「さーって、ジャッシュのおじさんどー説得してくれようかのー?」
そして、自ら女傑と呼んだ相手の悪意を前にせねばならないジャッシュに同情した。
(ディ……苦労してんのな)
そして出頭早々年寄り共になじられ、筆頭に書斎まで引きずられて、今に至る。
「やれやれ……若いね」
筆頭の笑みが恐い。喉元に切っ先が在れば尚のこと。
いっそすぐ処断してくれればいいのに。そんな事を考えていた。
「そう言えば、君は自分の決断の結果をまだ知らなかったな」
「結果……」
見上げれば机の上で足組んでる。切っ先はそのままで。
見たら忘れようもない癖字だったが、中身も準じるらしい。
「あの銀火竜、死んだぞ」
駄目だった。それは、果てない諦めの感情。
「老衰だったそうだ」
無駄だった。それは、果てない絶望の感情。
「我が子の巣立ち見送って、そのままポックリ」
「……へ」
そして思う。このおっさん嫌いだ。
「三日ほど経過しているが、村に被害無し」
これは頑張りの成果?
それとも、人間は無様に踊ってただけ?
「じゃ、じゃあ……」
「まあ、丸く収まったんじゃないか?」
安堵で遠のきそうな意識を辛うじて繋ぎ止める。
(……女じゃあるまいし)
ここで倒れてざっくりなんて、冗談じゃない。
あれ? 何で切っ先がまだここにあるんだ?
「所でサー・ディフィーグ」
「あ……はい」
笑ってない。目が笑って無い。
いや、遊び半分で殺気をぶつけるナイトなんて良くいるじゃないか。
……現に自分も、カイにやった。
視線で促されたのは机の影。そこに、若葉と白のアイルーがいた。
闘技場飼育係の、ミケ姉さん。
「あのね、ディ君とこのホムラ君、帰ってこないからすっかり拗ねちゃって、その……ニャア」
その尻尾が、落ち葉焚き。
撫でる手の優しさと裏腹に、視線で人が殺せそう。
「と、言うわけだ。行ってこい」
ああ、そして悟る。
この筆頭、姉と同類。
「駆け足っ!!」
「はいっ!!」
そうして去っていった少年の背中を眺めて、筆頭は微かに微笑んだ。
「これで……良し、と」
――『善悪偽善の三拍子』――
蛇足。騎士と主とその格と。
「筆頭、少しお遊びが過ぎたんじゃありませんこと?」
「いやーナイトの平均年齢、かなり高いからなぁ」
少年の駆け抜けた廊下を、筆頭と猫が歩いてた。
「そんな事言っちゃって、本当は後ろめたかったんじゃありません?」
景色は館から街並み。
街並みからコロシアム。
コロシアムから、牢獄と呼ぶには整えられた檻。
中にいた子連れの黒角竜が、我が子との間に壁を作る。
元気盛りの我が子が、一応の主人を傷つけないように。
「マギ、我々が散々苦労して、結局救えなかった村を覚えているか?」
少し、ふてくされたように唸る角竜。
彼女には、無理矢理敗者のフリをさせられた記憶の方が大きいらしい。
「私達が救えなかった医者夫婦の息子が、やってのけたらしい」
人と竜。一度は命を賭けて戦ったが故に「ペット」と呼ぶ者が殆ど居ない。
いたならそれらは例外なく、大成することなく落ちぶれていった。
「ミケ、鍵をくれるか?」
「保証無しで良ければ」
言葉の返答が無くても、この子達はきっと何かを返している。
それは少し歪で、きっと面白い関係。
マギ母さんの横腹に体を預けて、ご多忙な筆頭はどんな夢をみているのかしら。
と、思っていたミケ姉さんだったのだが……。
「わーっ! ホムラ待て! 体当たりは待てーっ!!」
主としても騎士としても未熟な少年の、その不毛なじゃれ合いの方に気が向いてしまった。
「ふ、踏んでる! 踏んでるからーっ!! つーか、毒線、近いって、ちょっと!!」
筆頭も目が醒めた。あの騒音の中眠ろうものなら、気が立った子供達に潰される。
「……あれは、普段からかね?」
「普段は丸まる1時間やってますわ」
「よく狩りや任務に支障が無いな……」
「アレで案外加減を心得てましてよ。うふふ」
竜に加減をされるようでは、まだまだである。