狂信者の語り部

 明かりを落としたオフィスに男が二人。
 一人は穏やかな痩身の若者であり、もう一人は精悍な、老いた男だった。
 薄闇に満ちる沈黙。ブラックライトの青白い光は凍った時を表現するに相応しかった。
 それを最初に破ったのは男の方だった。
「彼を、使うのかね?」
「はい。これ以上の時間経過は事を悪化させるだけです」
 彼の手にあったのは、現在ISAFを悩ませる者達の情報。
 そしてもう一つ……顔写真があるはずの場所に、今や知らぬ者の無いエンブレムのある経歴書。
「それに、もう時間切れです。きっと待っていても彼は来ない」
「ほう?」
 青年の目は冷たい。それこそ氷のように、目の前の男を射抜くように。
 青白い光に照らされて、それは尚のこと鋭くなる。
「だから、ここで手をこまねいている間に、彼を後悔させるような状況にするわけにはいきません」
「彼が、戦場に舞い戻ることを望んでいると?」

 青年は大きく首を振る。否定の意を精一杯込めて。
 男にも、そんな事は解っている。
「でも、仲間を見捨てたりはしませんよ」
 ストーンヘンジ、黄色中隊。
 翼あるものにとっての驚異から、死にものぐるいで仲間を守ろうとした彼なら。
「だから、呼び戻すと?」
「はい。彼に後悔させるような事にはしたくありませんから」
 青年の目は確信に満ちていた。
 それを見た男の目には試したいという好奇心が満ちていた。
「もし、嫌だとダダを捏ねたらどうする気かね?」
「その時は、私の思い上がりだったと諦めざるをえません」
 簡単に白旗を上げられたことに男はあっけに取られた。
 青年にしてみれば当然であった。神ならざる人の盲目的な狂信者になるとは、そう言う事だ。
「一言詫びて、別な方法を実行するまでです」
 そう言って男に寄越した書類は予定表。
 勿論、今の厄介ごとへの対処法のだ。確かに時間もかかり、犠牲も覚悟せねばならぬもの。
 だが、対処すると言うだけであれば可能だと直感させるだけの内容。
「まったく、これだけの才能があるのに何でまた空軍にいたんだか」
 それこそ「史上最弱の二番機」等という有り難くない渾名を貰うハメになってまで。
「空が好きだから。でも、私は英雄にはなれなかった」
 それは彼に突き付けられた現実。彼を守ると決めて知った真実。
「はっはっはっは!!」
「司令?」

 そしてそれは、男の過去その物であった。

「いや、すまん。あまりに昔の自分にそっくり過ぎてな」
「……司令が?」
「意外かね?」
 流石にそこであっさり肯定するわけにも行かず、青年は選んだ言葉を口にした。
「やはり、相手がいたんですか?」
「ああ、昔な。私は出世を取り、彼は翼を取った。私は地上で指揮を出す暮らしに甘んじる事が出来てしまった。それが、超えられない壁なのだと思い知ったよ」
「お察しします」
 憧れるのと、恋い焦がれるのとは違う。
 それ故に苦しむことは、少なくとも彼等には無かった。

「じゃあ、本題に入りますか」
「そうだったな、若き中佐殿が引退間近の老いぼれになんのご用で?」
 彼が言うのだ。間違いなど無いだろうと思っていた。
「上層部の老いぼれ共にAWACSの使用許可を取って頂けるよう進言してくれませんか?」
「ぶっ!!」
 だが世の中には限度というものがある。
「若造の言うことなんて聞いちゃくれないんですよ連中」
 本来AWACSとは何だったか、万一何かあったら損害はどれほどか。
「あ、あのな中佐……作戦は彼の単機だよな?」
「少数精鋭ですね」
「AWACSは本来……」
「航空部隊指揮用ですね」
「大体一機幾らすると……」
「彼の上げる戦果に比べれば微々たるものですね」
「……ごもっともで」
 金だけで無く人的にも、メビウス1の上げる戦果に比べれば微々たるものである。
 最強の英雄と言う名前だけで戦争一つ終わらせることさえできそうなのだから。

「それほどまでに、AWACSが必要かね?」
 本来の用途と大きく外れた所に。
「彼に必要なのは、視界の外にある物を捕らえる目なんですよ」
「……ほう?」
 司令は言葉を待つ。青年はそれに溜息をついてさらに続ける。
「彼に死角はありません。彼が視認すればそれで落とせます」
「視野を広げるためだけのAWACSか……飛んでもない化け物だ」
 そしてかつて、その化け物を飼い慣らそうとしていた自分に、上層部に、無謀なことをやったもんだと自嘲の笑みを浮かべる。
「なあ、当時20に満たなかった彼を、私は何故飛ばしたと思う?」
 無言で詰め寄る青年。
 狂信者相手には少々刺激の強い話題だっただろうか。
「飢えた竜の餌になるのはごめんだったからさ。今回も文字通りの逆鱗に触れるのは勘弁願いたいな。解った、掛け合ってみよう」
「感謝致します」

 わざとらしいまでに仰々しい礼をする青年についた男の溜息は、次の瞬間別のものに取って代わった。
「お陰で、また彼と飛べます」
「ぶっ!!」
 場を支配する沈黙。
 勝ち誇ったようにふんぞり返る青年。
「それが本音かーっ!!」
「だって単機で長期作戦なんてさせたら拗ねますよ彼?」
「妙な所で人間くさいな」
 呆れてものも言えぬ状態からやっと言葉を絞り出した男に青年は言う。
「……どんなに祭り上げたって、やっぱり、彼は人間なんですよ。ね」
 談笑。それで用件は終わり、青年は扉の向こうへ消えた。

「ふぅ」
 気が付けば夜も更けはじめ、廊下も薄暗くなりはじめていた。
 電源が落ちているのか未だに明かりがついて居ない。
「飢え……ねえ」
 青年は考える。空を自由に飛べなくなって随分経つ。
 飢えがあるとするなら……。
「やっぱ、一人で戦場には行かせられないよ」

 男は一人デスクの上で溜息を零していた。
 去り際に青年が言った言葉がまだ男の頭にはこびりついている。
−僕は何でもしますよ。彼が英雄でも化け物でもない、一人の人間として飛べる空を守るためならね−
「……考えている事は一緒だが、スケールが違いすぎるな」
 そこへきてまたドアが開く。
 顔を覗かせたのはやはり青年だった。
「今度は何かね?」
「彼が戻ってきたら、またご自慢の弁舌を聞かせて下さいね」


 えー……何となく、だらだらとメビを語る狂信者君のお話。
 エースになれた人となれなかった人のお話と言うか……。