約束の空

 幼い頃、戦争があった。
 ユージアで起こった軍事クーデターの空。
 最初の出会いはそこだった。

「ったく子連れにも容赦無しかよぉ。なあ!」
 戦闘機動でふらつく意識の中で父の声がする。
「生きてるかー?良い子だからゲロだけはすんなゲロだけはー」
 もう何かを言い返す気力もない。
 だがこんな所で吐いたら自分が喉を詰まらせて窒息死しそうだと言う事が理解できていたせいなのだろうか、必死で戻すまいと堪えていたことを微かに覚えている。
 ガンガンに響く警報。
 当時の私にはそれがミサイルアラートだと解るはずも無かった。
 ただやばいんだろうなって事だけを辛うじて理解していた。
「そろそろまずいか……脱出すっぞ。結構Gかかるからな。しっかり歯を食いしばれ」
 その時、警報が消えた。
 Gが何を指すかを知るのが先延ばしになった。
「前方飛行中の機、クーデター軍に追われていたようだから助けたけどこのご時世に何処へ向かっているの?」
 入ってきたのは女性の声。冷静な声は、朦朧としていた私の意識を一気に現実へ引き戻す。
「おー……女神様のご降臨だ。助かった。ちょーっと逃げ遅れてな。感謝するぜお嬢ちゃん」
「それはどうも」
「おたく政府軍じゃないな。傭兵か」
「今はその政府に雇われてるわ。そちらも機動から察するに同業者ね。こっちは今手が足りないの。どう?」
「借りがあると言いたいところだがそこ、託児所あるか?」
「……?」
 そこまで子供じゃないと悪態を付く元気はもう残っていなかった。

 私達はそのまま最寄りの基地まで誘導された。
 その間にどこかから通信も入ってきたが、幼い私の記憶には残っていない。
 ただ、この間に父も傭兵として飛ぶことを承認したらしかった。
 私は彼女と初めて顔を合わせた。
「……子供?」
「おう。俺の子。ところであんた、あの機体から降りてきたよな?」
「そうだけど、何か?」
 父が指さした機体。真っ先に目に付いたのは不死鳥のエンブレムだった。
「噂はかねがね聞いていたが……そのスカーフェイスが女だったとはねえ」
 そう呟く父に列機の一人が口を挟む。
「おっさんおっさん。それ以上言わない方が良いっすよ。スカーフェイス2にされちまうぜ」
 その男、直後に彼女が放ったフライングニーの餌食になった。
「いつものことよ」
 もう一人の列機の女性パイロットが呆れたように言った。
 そして私に向き直り「大丈夫だった?」と声を掛ける。
 だが私の視線は、まだ同僚をどつきまわしている彼女に釘付けだった。
 でもあれだとスカー(傷)でなくて打撲傷しか残らない気がする。
 軍事基地で託児所など期待できるはずも無かった。
 しかしながら……。
「で、何でうちにこの子預けるわけ?」
 まさか彼女達と一緒に過ごすことになるとは思わなかった。
 色々統計した結果一番安全だったのがここらしい。
 彼女が大きく溜息をつく。私もいつどつかれるかと思うとそうだった。
「まあ良いわ。君も整備班に迷惑かけないようにね」
 父は別働隊の一員として動いていた。
 この時、何故私を手元に置こうとしなかったのか、結局知る事はなかった。

 私の不安とは裏腹に、彼女は優しかった。
 いつの間にか彼女を「隊長」と呼ぶようになっていた。
 その穏やかな目に、スカーフェイスの名は酷く不似合いな気がした。
 彼女のする話と言えば任務に関する愚痴が主で、レディを酷使しすぎると出撃の後でいつも零す。
 その度「それを軽々遂行するんじゃ文句も言えない」と茶々を入れた相手が青あざを作るのだ。

「んあー……疲れた〜」
 今日も今日とてそんな感じで彼女は帰ってきた。
 暫く一緒にいる間に、私にも幾ばくかその状況が理解出来るようになっていた。
 この戦争の殆どが、彼女達の双肩にかかっているらしい。
 それ以上に、彼女の上げる戦果のすさまじさも理解できつつあった。
 しかし、疲労が無いはずはない。戦果を上げればそれに応じて。
 早く故郷に帰りたいと願う私に「そんなに嫌なら何故傭兵になったの」と言えるはずも無い。
「隊長、大丈夫?」
「全然平気。あんたみたいなのがいるんじゃ墜ちてられないわ」
 そう聞いたとき、自分にも何か出来ることがあればいいのにとどれだけ強く思ったことか。

 そして、穏やかな日もあれば嵐の日もある。
「冗っ談じゃないわ!!こっちは命賭けてるのよ!!」
 電話口に向かって罵声を上げる彼女。その相手は司令部か何処かだろうか?
 そのやりとりをぼんやり眺めていたが、応酬を終えた彼女は私に気付いてばつの悪そうな顔をした。
「絶〜っ対報酬上乗せさせてやる……」
 彼女は必ず帰ってきた。
 列機も必ず連れ帰って来た。
 別働隊にいる父も相変わらず健在で時折電話を寄越してくる。

 戦況はそのまま進み、彼女もその仲間も、そして父も健在なままクーデターは幕を閉じた。
「おう。世話になったな姉御」
「なによその姉御ってのは……」
 その立て役者たる彼女の胸に勲章はない。
 私のポケットの中だ。彼女曰く「いらん」だそうで。
 そして、いつの間にか故郷に帰りたいという思いはなりを潜めていた。
 当分会えなくなる、それが寂しかった。だから……
「僕、大きくなったら隊長みたいなパイロットになる!」
「ダメ」
 その気持ちはあっさり弾かれた。
「同業者がこれ以上増えないようにするのが私の夢なの。だから君は、平和の空を飛ぶ」
「そしたら……」
 もう会えなくなる。そう言いかけた。
「こっちから会いに行くわ。ね?」
 母親以外の女性に泣きついたのは、これが最初で最後だろう。

 戦争は終わった。でも、それで平和を遮るもの全てが無くなったわけじゃない。
 時間は流れ、世界はめまぐるしく変わっていく。
 彼女と再び会うことはなく、あのクーデターを生き延びた父はユリシーズの破片によってあっさりと他界してしまった。
 それからしばらくの間、私は当て所と無く彷徨った。

 そして……。
「発進準備、OKです」
 私は彼女との約束を破ろうとしている。
 立場は傭兵、あの頃の彼女と同じだ。
 あれから、ISAFへと転がり込み、ことあるごとに私は空を見上げていた。
 ひょっとしたら、あの不死鳥がまた空を飛んでいるかもしれないと思って。
「貴機はこちらの管制下に入った」
 解っている。もう会う資格など無くしてしまったことに。
 それでも私は、取り戻したかった。

「メビウス1、エンゲージ」
 彼女が取り戻してくれた空を、もう一度。


エースコンバットシリーズは2〜5の世界はパラレルらしいですが
クロスオーバーさせたがるの性分でして……。

エースの幼い日にあった小さな恋って事で。
「リボンを描く飛行機雲」の昔の話としても通じるようちょっと意識。
真実は……どうなんでしょうねえ。