ACE COMBAT 5
The Unsung War
~15 years ago in Belka~

白髪混じりの若獅子

Ritter

1995.6.13

「そんな……」
 エリクの死。行方の知れぬオイゲン。自分が一週間眠っていたこと。
 核攻撃で消えた街。隊長の死。彼女が赤いヘアウィッグを被っていた理由。
 病室の前で知らされたその事実は、青年を愕然とさせた。
 まして今、その上塗りの現場に居合わせているとなれば。
「隊長が、どうして……?」
「ステファン、何も言わなかったらしいのよ」
「あ……」
 もし、自分が守りきれなかったという現実を突き付けられたら?まして、自殺という形で。
 本人に直接顔を合わせたわけではないが、そこまで考えられなかった自分を恥じる。
 何も言えるはずがないと。
 今さっき手術室から出てきた彼女の事を、口にしたくないと思っている自分が居た。
「いくらなんだって……こんなタイミングで……」
 何度も頭を過ぎる隊長の最期。
 守りたかった場所は焼かれ、自らは翼を奪われ、それでも最期に走らせたのはなんだったのだろうかと。
 ステファンから聞ければその理由が解るのだろうか?
 最期に書かれた血文字は果たして彼にだけ宛てられたものだっただろうか。
「エリー……」
「なあに?」
「こんな時に言うべき言葉じゃ無いのかもしれない」
「いいわよ」
「あの人は結局……ずっと独りで戦っていたんじゃないでしょうか」
 ずっと、一人で何もかも背負い込んでいた。
 エリクがずっとその事を愚痴っていたはずだ。自分はずっとそうして守られていたはずだったのに。
「僕には……何も出来なかったんだろうか……」
 まだ生きてる。
 まだ何か出来る。
 まだ……。
「悔しいよ……ここまで来て何もできやしない」
 何かしたかった。何か。
 その何かを、彼なら知っていると思った。
「そう言えば、ステファン少佐は……」
「戦場にいるわ」
 確かに知っていた、だから、既に彼は動いていた。
「あの人が立てなかった戦場にね」

1995.6.19

 数十年前、孤島の基地を武装組織に占拠されるという事件があった。
 要求してきた物は、当時の最高機密だった。おいそれと従えるものではなかった。

 地下深い、シェルターのような施設に響く二つの軍靴の音。
 その周囲では、慌ただしいタクティカルスーツの擦れ合う音が狭い廊下に響いている。
 廊下の向こうから上がる貴婦人の悲鳴と、それを慌ててなだめる部隊の声がする。
 泣き叫ぶ子供にやる菓子は無いかと恥ずかしげも無く叫ぶ声もあった。
「時に管制官殿、上の管制はやんなくていいのかい」
「護衛機は空軍が潰したしもう陸軍の管轄よ。最後の悪あがきは……ま、ウスティオの猟犬が何とかしてくれるでしょう。私達は、座して待つのみね。で、そっちはどうなの?」
「連中は全員確保した。あとはあの部屋にいるお偉いさんだけさ」
「一緒に行きましょうか?」
「や……ここばっかりは、俺一人で行きたい」
「大丈夫?」
 手に滲む汗は誤魔化しようがない。この奥で震えているだろう人物を思えば。
 だが彼女はそんな心境を知ってか知らずか子供のようにその顔を覗き込む。
「そんなに信用できないか?」
「自分の前任を葬った男を簡単に信じると思って?」
「片耳でチャラつったのはあんただぜ、ハルトマン中佐」
「えー、作戦中自分を呼ばれるならノルト・リヒターでありますー」
「いいからとっとと他手伝って来てくれ……あんたがいると調子狂う」
「了解〜」
 つい先ほどの銃撃戦で出来た血の廊下を無邪気に駆けていく三十路過ぎの後ろ姿に空寒い物を感じながら、大きく息を吸って、気を落ち着かせ、彼はその扉を蹴破った。

 贖罪のため、自分の決意を改めて固めるために。

 人質は見捨てられた。武装組織もろとも壊滅せよとの指示が出された。
 その一人が発砲。それを皮切りにした銃撃戦で人質の半数が死亡した。

「こ、これはどう言うことだステファン!?」
「どうしたもこうしたも、見ての通りですよ、ジークベルト議員。それとも……父と呼びましょうか?」
 結局の所、あの核攻撃も戦況を覆すことは出来なかった。
 むしろ味方の士気を大きく貶め、連合軍に大義名分を与えたそれは自らの首を絞めることになった。
 何十年、何世紀先まで語り継がれるであろう汚名という、誇りを重んじる民として拭うことも直視することも出来ぬ深い傷を遙か先の世代に残して。

 空軍機は攻撃を拒否した。
 非人道的な作戦を拒否したのだとも、先の銃撃戦で武装組織がほぼ壊滅した現状を見たからとも言われている。

 亡命を計っていた議員数名を取り押さえるその部隊は、その顕著な例であった。
「貴様、今までの恩を忘れたか!」
「恩……ね。何をしても許された。空軍への切符も貴方がくれた。だからこそ何でもやった。この手を汚すことも厭わなかった」
 取り押さえられているオッドアイの老紳士がステファンを睨み付けている。
「全てにおいて、私は誠実であったつもりだ。最初に裏切ったのは貴方でしょう」

 最初に発砲した人質が誰なのか、未だに知られていない。
 だから今は、その人質の気持ちが、よく解る。
 裁かれる事無く生き続ける痛みが。

「バルト・ローランドに、もう野心は無いと。その報告を無下にしてくれたのは、ね」
 縛り上げられた父の眉間に銃口を突き付ける。
「ならあれは、あの時奴は……」
「……家族と街を核攻撃て言われればそりゃ起きますよ。眠れる獅子もね」
 光の消えた、照準の合わない目。
 しっかりと固定された銃口。
「残りの一生を、不義の徒として生きるのも一興」
 一発の銃声が響く。
「あの人は、眠れる獅子でいたかったんだ」

 私は貴方に感謝する。
 あなた達と一緒にいられた半年のお陰で、貴方の二の鉄を踏まずに済みそうです。
 だから、許してくれますか?

 部屋から出てきた彼を迎えたのはオーシアの士官であろう男だった。
「ちょっと脅かしただけだ。極右政党議員の息子で親殺しじゃ心証が悪いだろう」
「これから政治家にでもなるような口振りだな」
「そうだけど?」
 一瞬の沈黙。呆れると思っていたその男は、次の瞬間豪快に笑い出した。
 結果、ステファンが思うのと全く逆の状況が生まれる。
「はっはっは。まさかこんな所でお仲間に出会えるとは思ってもみなかったよ」
 次は政治の場で。そう言われて差し出された手を握る。
「お互いソレまで対抗馬に食われないようにがんばりましょうや」
「ああ」

 貴方が子供達に伝えたくなかった過去を、
 貴方が忘れたかった過去を、貴方が迎えた最期の真実を、
 これからやって来る貴方の息子に、余すことなく伝える事を。
 私の、最初で最後の裏切りを。

1995.6.20

「……終わったんだな」
「ええ、やっとです……」
 戦争が終わった。三ヶ月が何年とも思えるような長い戦いだったように思える。
 いや、戦いならこの後も強いられる。傷跡と向き合う、その為の戦いが。
 そして、今目の前の椅子にもたれる衛生兵は天井に阻まれた空を見上げていた。
「後は出ていく人と逝く人それぞれを全て見送ったら……私の仕事も終わりです」
「シギベルト曹長、私はどちらだと思う?」
「……アンタ殺しても20年は生き延びそうそうなんですが」
「酷い言われようだな」
「あんな化け物じみた回復を見せつけられればねえ」
 意識を取り戻してからもうじき二週間になるが、既に幻肢痛を克服し、リハビリも驚異的な速度で進んでいる。
 鍛錬だけでは説明の付かぬ、執念に近いものを感じる、驚異的な生命力。
「私がここに流れ着いてしまった以上、守ってやらねばならん子達がこっちにいるはずなんだ」
 自分はあの男ほど好かれては居なかったが、彼が生き延びれば良かったと言われるのも癪だった。
 そう言って肩を鳴らすオイゲンだったが……そこは老兵、ベッド上の生活もあってその大きすぎる音に一抹の不安がよぎる。
「はは……整体してみます?姿勢が悪いと義足も合わないでしょうし」
「そうか、是非頼むよ」
 見ていろよエリク。お前の事なんて忘れるぐらいになってやるからな。

 ……そんな決意を一瞬で吹き飛ばすような手荒い整体が彼の妹に引き継がれ、15年後に一人の管制官を泣かすのはまた別な話。

1995.7.6

「あなた、本当は疲れていたんでしょう?」
 彼女は知っている。あの頃、野心を持って、それを実現させながら生きることがどれだけ辛かったか。
「それなのに一人で背負い込んで、一人で突っ走って」
 だから、一度見つけた安寧を失うことを恐れ、今まで居た世界の冷たさを知った。
 きっとその温もりは何物にも代え難く抗いがたい物だったに違いない。
「だけど、お休みは言わないわ。この子の事、よろしくね」
 作り物に過ぎぬ深紅の髪を靡かせ、黒い喪服を纏った彼女は死の女神のようにみえた。
 側に居ることの出来なかった夫と、産んでやる事の出来なかった娘を思う彼女は、美しいと思った。
 そこまで考えて、何を今更と、ステファンは己を恥じた。
 それでも、静かに祈りを捧げる彼女は美しかった。
 そして、微かに胸に刺さる小さなトゲ。
 夫の死の真相を話せずに彼女を見送ってしまう自責の念。
 だけど、もし自分が彼の得たそれに足る温もりを知った後に話す機会が有れば、その時全てを話そう。
 その温もりは確かにあって、自分が得られる可能性は決して低くは無いのだから。

「良いんですね。ステ……もう少佐じゃありませんでしたね」
「義兄さんは却下だからな」
 彼女を見送る傍らに、コートのフードを被ったクルト・アルニムがいる。
 彼も今はでっち上げられた反逆罪で追われる身だ。
 この場にいられるのは戦争責任を追及すべき議員の一斉検挙に大きく貢献したステファンの側であるから。
「お前こそ一緒に行かなくて良かったのか。連合軍側の連中が腕の良いパイロット欲しがってたぜ」
「いえ……決めたんです。この国で飛ぶと」
 不可能ではなかった。バルト・ローランドを反逆の濡れ衣を着せられた悲劇の英雄と証明する手段がある。
 当人たるバルトは決して望むまい。だが、まだ若い翼の為であればきっと承諾してくれるだろう。
「言っておくが茨の道だ。あの人の名前を背負うんだ。軽いはずがない」
「望むところです。忘れられたままにしたくない。それこそが目的なんですから」
 クルトは言った。バルトの翼を引き継ぎたいと。
 飛べずにいた一週間を知る者だからこそ言える言葉だった。
 そして、その決意をステファンの贖罪の為に利用させることさえ彼は承諾した。
「常に私兵部隊の後ろ指を指される事になるぜ?」
「かまうもんですか」
「用が済んだら解体って事もあり得るぜ?」
「その時は……僕等が忘れ去られるべき時でしょう?」

 忘れられた街を止まり木とした、忘れられた部隊。
 敵国語で「厄介者」の名を与えられ、「無色」の名と共に存在を否定された部隊。

 Farblos−ファルブロス−

 忘れられた翼の名が世界屈指の教導飛行隊として知れ渡るには、まだ20数年の時を擁する。

1995.7.7

 母が帰ってきた。深紅の髪と、伝えられた事実は子供達へ少なからずショックを与えたが、それでも子供達は泣き叫ぶことは無かった。口を真一文字に結び、その現実をしっかりと受け入れていた。
 長兄が言う。父が生きていればあんな事を許すはずは無かったのだからと。
 次男が言う。自分達は人殺しの子供にはならずにすみそうだと。
 三男は、ただ無言で、だけど帰ってきた自分を強く抱きしめる手が温かかった。
 強く、強い母でいよう。
 彼女はそう決めていた。
 だから、その真実を伝えるのが辛い。
 逃げることを決めてしまっている自分が、許せなかった。

 夜はあっという間に更けた。
 双子は久々の手料理を平らげて夢の中。
 まだ眠い目をこする長男には悪いと思いつつ……何時何があってもおかしくない身だから、彼にだけは伝えねばならなかった。
 テーブルの上に置かれた、グリッドの汚れたデザートイーグル。
「お母さんこんなだから、貴方には言わないとと思って」
「……どうしたんだよ、柄にも無い」
 言わなくてはならなかった。どうしても。
 それを、長男は静かに、黙って聞いてくれた。
「やっぱり……か」
「え……」
 そしてそれに、小さな溜息が帰ってきた。
「空で親父は殺せない。それどころか、地上でも、誰にも殺せなかった……そう言うことだよ」
「……ええ」
 そして長男も寝せた。ただ一つ、胸に残るトゲがあった。
 話せなかった。声を失った三男を見たら。
 お兄ちゃんになれたかもしれないだなんて言えなかった。
 産んでやれなかった。その存在も伝えてやれなかった。
 母は強い。そんな言葉はよく聞いたし、言われもした。
 だが、その瞬間の自分は、あまりにも弱かった。
 母として、妻として、女として……泣ける瞬間は、今しか無かった。

1995.7.8

 日付の変わる数分前の時間。彼は喉の渇きを覚えて目を覚ましていた。
「お母さんこんなだから、貴方には言わないとと思って」
 だけど、扉の向こうから聞こえてきた話に、つい耳をそばだててしまった。
 その事実は、彼の心の琴線を揺さぶるのに、まだ不十分だった。
−何より、もう揺さぶられる事など無いと思っていたから−
 だから、素知らぬ顔で台所に向かうはずだった。
 ドアノブに手を掛けた瞬間に、母の嗚咽が聞こえて来なければ。
 手が動かなかった。
 不意に、頬を伝うものがあった。
(……何故……?)
 認めたく無かった。
(どうして今泣いてるの?)
 それは、血が止まり、まだ皮が張られていない傷に焼き宛てる火印のようなものだった。
(何で、あの時ボクは泣けなかったの?)
 治りかけた心は、僅かな痛みにさえ過敏な反応を見せていた。
 本当に辛いときは、泣くことも出来なくなる時がある。
 まだそれを理解できるほど、彼は大人では無かった。
(自分ノ事ジャナカッタカラナンジャナイ?)
「……っ!!」
 喉が震える。涙が鼻に回って息が苦しくなる。
 一度揺れた琴線は次々と共鳴を繰り返し始める。
(違う、そんな……哀しく無いわけ……)
(デモ、泣ケナカッタ)
              っ!!」
 自分は、何をしていた?何故友の死を悼んでやれなかった?
 自分の父親の死には涙できるのに、どうして何十人といた友人達の為に泣けなかったのだ?
 幼い、病み上がりの心に襲いかかってきたのは、強い自責の念だった。
 思考を切り替え、涙腺を止めようとしたところで、それは形を変えて心を呵んだ。
 ドアに寄りかかれば母にさらなる悲しみを見せる。
 ベッドに潜り込めば兄にさらなる悲しみを見せる。
 どうすることも叶わず部屋の中央でただただ泣き叫んだ。
 泣き叫ぼうとした。
 震えぬ喉は微かな呼吸音だけを発し。彼の自責の念を吐き出させてはくれなかった。
 頭を抱え髪を振り乱し、床に伏して、それでも泣き続けた。
 声を発することが出来ないのがこれほど辛いと思うのは始めてのことであり、最初で最後だった。

 もう二度と見たくは無い。それだけだった。
 最初の一機が落とされたとき、脳裏を過ぎったのはあの時のソルだった。
 隊長の怒鳴り声は何度と無く耳をつんざいたけど、従うわけにはいかなかった。
 もう二度と、あんなソルを見たくなかったから、あんな無力感を味わいたく無かったから。
 もう二度と、アイツが壊れるようなことにしたくなかったから。

 振り乱す髪が擦れる音。硬い髪を掻きむしる音。
 それに次男が気付いて目覚めたのは殆ど奇跡に近かった。
 目覚めて最初に見たのは、半ば狂ったように伏せて髪を掻きむしる弟の姿だった。
「ソル……」
 その姿に、最初は悪夢だと思った。
 だが、その掻きむしる手が目に伸びそうになった。
「おいっ!!」

「imbecile......」
 その時聞こえた声。
 それだけで、この襲撃が何を意味するのかを知った。
「馬鹿!バーニィ行け!!無茶するんじゃねえ!!」
 まだいやがった。馬鹿共が、許し難い不倶戴天の敵が。
「kommt nicht dieses?」
「……冗談じゃねえ」

 次の瞬間抱きつかれ、背中に立てられる爪が痛かった。
 荒い呼吸を繰り返し、ただただ泣き続ける弟の姿がそこにはあった。
 ドアの隙間から見える母はもう眠りに落ちていた。
 何より弟がドアを開けさせてくれなかった。
「なあ……どうしたんだよ……なあ?」
 弟は答えない。答えられるはずもない。

 俺達がこの手で葬るべき相手が。落とさなくては、今ここで。
「wenn es unmoglich war......」 
 今逃げたら、割を食らうのはまたアイツだ。
「Ich verlasse nicht!!」

(どうしてだよ、一体何があったんだよ)
 背中に立てられた爪の痛みよりも、遙かに痛い何かが、ズブズブとその胸に食い込んでいく。
(お願いだよ。見たくないよこんなの)
 こめかみにじわじわと溜まっていく熱が、どうしようもなく辛かった。
(助けてよ……父さんでも、中尉さんでも……このさいラーズグリーズでもいいから……助けてよ)
 嘔吐しようとしていたようだが、それもままならずにいた。
(このままじゃ、このままじゃソルが壊れちまうよ)
 どうしようも無くなって、結局弟を抱きしめてやることしか、彼には出来なかった。
(お願いだよ……もう……誰かが泣くの……見たくないよ……)
 彼も泣いた。微かに耳に残る嗚咽を子守歌にして、二人はやっと、眠りについた。

 でも……もし俺が死んだらどうなるんだろうって考えたときには……
「……格好悪」
 どうか、もうあいつが泣きじゃくることの無いよう……。
 どうか、もうあいつが壊れることの無いよう……。

 どうか……もう……