ACE
COMBAT 5
The
Unsung War
~15 years ago in Belka~
白髪混じりの若獅子
Schmerz
1995.6.7
意識を呼び戻したのは、脇腹に走る強烈な痛みだった。
鳩尾に受けたと思っていた蹴りは、どうやら脇腹……それも肋骨にクリーンヒットしていたらしい。
「相変わらずの手加減無用だな……」
あの状況ならこの程度で済んで良かったと安堵すべきだっただろうか。
これのお陰で疑いの目が自分からそれるんだろうか。
それよりも、バルト隊長は無事だろうか。
また薬使われたら今度こそアウトだ。
起きあがろうにも痛みに阻まれてかなうはずもなく。
どちらにせよ、自分の見舞いにやってくるのは陰険なお偉方。
「お目覚めみたいね」
そう思っていた。
「またあんたかい」
昨日愚痴を零した女性士官……いや、今やっと階級章をまともに見たのだが中佐殿だった。
こんな時に、どうでも良いことに気が付いてしまうものだ。
そう。そんなことはどうでもいい。
「……バ……ローランド大佐は?」
捕り逃したしたとか、散々暴れ回ったあげく今度は手枷足枷完全装備でぶち込まれたとか、そんな答えを期待していた。
そして決めていた。次こそはと。
「死んだわ」
「え……」
その願いは、もう叶わない。
淡々と女は続ける。追いつめられた彼は自ら命を絶ったと。
亡骸は谷底へ、だから捜索もできはしないだろうと。
「どうして……」
淡々と、確実に突き刺さるトゲ。
「さあ、心当たりなんて一つしかないと思うけど?」
突き刺さる言葉。突き刺さる痛み。いい年してと自嘲しても、零れる物は止まらない。
そしてその言葉を零した時、自分にも理由が解らなかった。
「違う……」
言ってから気付く。絶望に殺されたのではない。彼の希望はまだ生きているのだから。
「ついさっき死亡した重傷者を含めて38人も葬っておいて、自ら命を絶つ理由って何かしら?」
「違う……」
言ってから思う。彼が逃げ込むのは狂気でなく安寧だ。
「そればかりね」
「関係ない……」
そして、言ってはいけない。何処で誰が、まして彼女を信用していい理由がないから。
そこまで解っているのに……自分は望んでしまっている。
「そう、関係ないわね。少なくとも私には」
額に当てられる冷たい感触。そのまま贖罪を済ませてくれればと望んでしまう。
その機会があるのなら、別に良かった。
贖罪という名の逃げ道に入り込めるなら、それでもう良かった。
だが、何時まで経ってもその瞬間は訪れなかった。
「暫くそうしてなさい」
目を開けたときには彼女の手はドアノブにあった。
「ああそうそう。あんたが倒れてた場所、血文字があったわよ。二の轍を踏むなって」
どうやら、易々と逝かせてくれるほど、あの人は甘く無いらしい。
去り際に聞こえた声は、頭まですっぽり被った毛布に遮られて、彼に届くことはなかった。
「泣けないのは、結構辛いわよ」
その知らせは瞬く間に広がった。
政府が情報を流すと決めたことなのか、それとも機密の網を抜けて、そこから堰を切ったように流れ出したのかは定かではない。
「今……なんつったの……」
驚愕する者。
「……」
逃避する者。
「今言った通りだ」
そして背負う物故に、どちらもかなわぬ者。
「あ、デイズ君!!」
はじけるように飛び出していく弟。追いかけようとしたとき、ふとした違和感に足を止めた。
「……ソル?」
−俺はその時泣けなかった。きっと壊れてしまったんだと思っていた−
真っ先にベッドから飛び出すと思っていた三男は、ただ宙を見つめていた。
どことなく、笑みさえ浮かんでいるように見えた。
「マイク、ソルの方頼む」
「おう……」
何も見ていないようなその目が、背筋に、傷跡に、酷く染みていくように思えた。
−それが思い上がりだと気付くのは、もっとずっと後の事だったけど−
故郷が消えた。デイズを走らせたのは、その痛みではなかった。
押しつぶされそうな痛みの中に、小さなトゲのような痛みがあった。
「違う……違う違う違う!」
最初は鬱陶しいと思っていた。見ていてイライラすると思っていた。
大人達は何も言わなかった。
話すのは自分の事ばかりで苛められても仕方ないと思っていたが、カミラが引っ越してくる前はしょっちゅうからかわれていたせいかソルはよく慰める側に回っていた。
陰口なんて殴る蹴るの事態じゃないんだから別に良いだろと言ったら二人に本気で怒られた。
人が思うよりずっと恐いんだと言っていた。
走るだけ突っ走って転んだ先に川があった。
真正面から滑り込んで頭から突っ込みそうになった。
「知るもんか……あんな、あんな泣き虫の事なんて知るもんか!!」
一度ソルが喧嘩沙汰起こして母さんが呼び出されるほどの騒ぎになったことがあった。
弁護していた連中は普段カミラに聞こえるように悪口を並べて笑ってる連中だった。
そいつらひっぱたいた。翌日カミラが靴を盗られて泣いていた。
俺は翌日足に凍傷作ってお袋に往復ビンタされた。
見舞いに来たカミラに礼を言われた。イライラはしなかった。
原因が分かった。
とりあえず泣きやませればいい。
泣かないようにしてやればいい。
それだけだった。
いじめっ子もいじめられっ子も、見て見ぬ振りしていた大人も、みんなどこかへ消えてしまった。
−う……ううん!デイズ君に!−
気が付いたら泣いていた。走り出した時からなのか、思い出してからなのかは解らなかった。
ただ、泣きたく無かった。分けもなくそう思った。
それは小さな意地だったのかもしれない。
それで止まってくれるほど、涙腺は融通を利かせてはくれない。
それ以上は言葉にならない。首から下げた鎖を引きちぎった手を振り上げる。
だが、その掌が開くことはなく、それは彼の拳の中で地面に叩きつけられた。
「知るもんか……知るもんかよぉ……なぁ……」
折れたペンダントの欠片。結局それさえ捨てられずまた掌の中に握りしめた。
連れ出せたかは解らない、でも、あまりに大きすぎる忘れ物だった。
その時、サンズはその慟哭を聞いた。どうすれば良いのか解らなかった。
何と言って連れ戻せばいいのか解らなかった。結局何も出来なかった。
ただ声をかけようと方を叩けば目は真っ赤に腫れ上がっていたがもう泣いてはいなかった。
「ソルは?」
「え……ああ、マイクに見て貰ってる。なんつーか……呆然としちまってて……な」
「それ……やばくね?」
そんなデイズの言葉とさっさと戻るかと言わんばかりに腕を引かれて戻った彼等が見たのは、居たたまれなくなって泣き出してしまったマイクと、その頭を撫でてやっている三男の姿だった。
「ほらな」
「マイク……何やってんだ?」
「俺にどうしろって言うんだよぉ〜……」
「……(よしよし)」
情けない状態の大の大人。相変わらず無表情な三男。
年食うと程度はどうあれ節穴おめめの馬鹿になっていくものだと再確認する次男。
「呆然……?」
「呆然と言うか……ショッキング通り越して……あれだ」
解ってて言ってるんだろうか。三男のうっすら笑った口元が薄ら寒い。
「ま、無理無いよな〜。俺だっていまいちわかんねーもんな〜」
事態と裏腹な暢気な次男の声。
そう、しょげた顔なんていらない。
「何だそのわきわきとした手は」
「いやだって、もう笑うしかなくね?」
「……!」
それから数十分後……。
「検査入院中の患者に何やってるかお前らーっ!!」
「わーっ!鬼婦長来たーっ!!」
「デイズ、考え方は間違ってないと思うんだけどよ」
「ソル君酸欠で失神しかけてますよ……」
ちなみにくすぐり倒しても声は出なかった。
更に言うと藻掻いてまた頭をぶつけて検査入院期間が延びたことも追記しておく。
1995.6.8
オイゲンの意識を呼び覚ましたのは、右足を襲う強烈な痛みからだった。
「う……おっ……」
「あ、気が付きましたか?」
すぐ側から聞こえてきたオーシア語。
顔を上げると、恐らく衛生兵と思われる男が心配そうに見下ろしている。
階級は解らなかったが、恐らくオーシア軍のそれだろう。
「い、いや……あまり……」
右足が痛い。形容しがたいほどに。支えようとした手が最初に触れたのは包帯。
そして……奇妙な違和感だった。
背筋を嫌な汗が流れる。痛みに邪魔されて起きあがれないため布団をはね飛ばすように退ける。
……右足の、膝から下がそこには無かった。
「酷い状態だったんです……足の裏から銃弾が臑の中程までめり込んで、その上川に流された状態では……」
「いや、そ、それよりこの痛みは何とか……」
「すいません……それは体が感じる痛みじゃないんです」
その時彼を見上げる瞳はどんな物だったのだろうか。
申し訳なさと怯えとが混同しているような顔をされるような目をしていたのだろうか?
そしてその青年の後ろの壁は真っ白なそれで、さっきまで自分の上に覆い被さっていた布団も、寝転がっているシーツも。どうやら収容所ではなくまともな医療施設にいるらしい。
「いや……君が謝る必要はないよ。適切な措置、恩に着……いでてててて」
「あ、一応気休めかも知れませんが痛み止め持ってきますね!」
1995.6.13
走っていた。必至に走っていた。冷え込むような世界を走って走って。
だが、先を見ようと目を開くと見えるのは白い天井。
疾走する世界とぬくぬくとした暖かい世界。
意識がハッキリするごとに思い出す。自分は川に落ちたことを思い出す。
だからこそこの温もりは偽りで、ここで走るのを止めたら本当に黄泉の住人になってしまうと。
だからこそ目を見開き、現実を見据えようとした。
そのとき目の前にいたのは、深紅の髪を垂らした黒衣の女性……ラーズグリーズだった。
−だからしまいにゃラーズグリーズがいたらきっとあんなだって言われてた−
「……どちらにせよあの世か」
だったら今はもう寝せて欲しい。
そんなことを考えていた。
が、次の瞬間あの世ではあり得ない感覚が頬にもたらされた。
痛み、である。頬に。それこそつねられるような……
「クルトー。クルト・アルニム曹長〜寝たら死ぬぞー」
「あががががががががががががっ!!」
もとい本当につねられていた。目の前にいるラーズグリーズに。
「ひ、ひはいひはい〜」
「よし。完璧に起きたわね」
「あうう……なんつー女神様で……」
「まだ寝ぼけとるな」
「!?」
そしてまたつねられ……そうになる。
うつぶせになって痛い頬をさすっていたのを仰向けに寝かされて改めて布団を掛けられる。
そうした上で軽く撫でてくれるその手は、さながら母親が子供にするようなそれであった。
「まったく。生きてるわよ、私もあなたも……って、まさか隊長夫人の声も解らないんじゃないでしょうね?」
「……え?」
呆れたように振る左手の薬指には結婚指輪が光っていた。
髪の色は深紅に変わっていたが、何となく、朧気ながら記憶が一致しそうだった。
そして彼女は、本来ならここには居ないはずの人だった。
「何でここにいるんですか、えと……ローランド婦人」
慌てて飛び起きたは良いが呼び方に困ってこう呼んだら名前は覚えてくれなかったようねと睨まれた。
きっと川に落ちていなかったら拳骨の一つや二つ飛んで来たのだろう。
「あの人とあなた達だけじゃ不安でね。私だけ追いかけてきちゃったのよ」
なんて人だ。ここまでくるともう感心するしか無い。
もっとも、深紅の髪と黒い服が似合うその姿を思うと、居てもおかしくなかったのかもしれないが。
飛び起きて血の巡ってない頭を抱えて再び上等な羽毛布団に体ごと沈めてしまう。
そんなものがあるここは何処なのだろうか。
そう口にしようとしたときに開いたドアの向こうには、懐かしい顔があった。
黒い髪、青い瞳。少し痩せてはいたが、あの頃と、半年前と全く変わっていない姿がそこにあった。
エースになって会いに来ると約束した人がそこにいた。
「あら、丁度良かった。今起きた所よ」
「……エリノア……?」
再会に言葉はいらなかった。ただ駆け寄ってくる彼女の為に、体を起こすのだけで精一杯だった。
もっとも、強く抱きしめられた勢いで二人仲良く羽毛布団に沈んでしまう事になるのだが。
若い二人がベッドの上で抱き合っている。
普通なら茶化す所を、ティルラは何も言わなかった。
時々ぐずぐず言ってるのはクルトでなく彼女の方だ。
彼の方は思いの外冷静だ。感動の再会。
でもその前に彼女が先輩の義理の姉と言うことを告げておかねば。
そして……。
「でも、なんでエリーがここに……いや、そもそもここは、僕はどのくらい……」
伝えなくてはいけない。彼が眠っている一週間の間に、一体何があったのかを。
そう思い立ち上がったとき、下腹部に痛みを感じて、次は彼女がこのベッドに寝るハメになってしまうのだが。