ACE COMBAT 5
The Unsung War
~15 years ago in Belka~

白髪混じりの若獅子

Tod

1995.6.5

「……隊長、何やったんでしょう」
「決まってるだろ」
「国に喧嘩を売った……か」

 その日の早朝、クルト達の部屋に突然の闖入者が飛び込んできた。
 三人に銃口を突き付けられてもその男は物怖じする事無く口を開く。
「避難令、ですよ」

 そして今に至る。時間を稼いでくれると言うが、恐らくそうは持たないだろうと言うこと。
 主はここ数週間戦況悪化に怯えて今はステファンの義姉しか置いてない館へ退避しろと言うこと。
 自分達が居た部屋は空と言う事にして、偽りの発見報告で撹乱。
 脱出に費やせる準備時間は本当に極僅かだった。

 その代わりに、脱出してからは気が遠くなるほどの時間を逃げ回っている。

「隊長は無事なんでしょうか?」
「何かやらかしたにしちゃ手が回るのが早すぎる。最初部屋に来たのがあいつじゃなかったら俺達アウトだったぜ」
「最初から、我々は人質……もしくは始末、か」
 足跡は消しているが、風のざわめきに混じって時折人の声が聞こえる。
 そしてまた遠ざかる。その度に移動する。もうどれほどこれを繰り返しただろうか。
「クルト、大丈夫か?」
「はい。でも、今は隊長が……僕等、本当に反対方向に向かっていいんですか?」
 肩が震えている。膝が笑っている。それは疲労からではない。
 手渡された小型拳銃を握る手は震えているが、安全装置の解除を忘れている。
 それでも、目の色だけは違った。
 前を見ている。エリクに言わせれば、一人前の面構えと言う所か。
「今は誰かと連絡の取れる場所へ行かねえとな。俺らが死んだら元も子もないぜ」
「はい」
 更に西へ。
 先頭を切る若者に老兵二人が顔を見合わせる。
 こう言うとき、子供は強いなと。

 その殆ど直後だ。後ろの老兵の笑みに気付かぬ少年の足下が突然崩れたのは。
「っ!?」
 突然の落下の感覚。悲鳴が上がるかどうかのタイミングでそれが止まる。
 足は宙に投げ出されて濁流の上に揺れている。
 肩は引っ張り上げられて今にもはずれそう。
 ついでに言ってしまうとタイミングが不味かったのか自分の手を掴む中年二人の手もなんとなく、やばい。
 どうやら茂みに隠れていた崖を完全に見落としていたらしい。
「あ、あの……引き上げるのって……」
「こ、この状況で止めてやっただけで感謝しろっての」
「バランス取って墜ちるか手頃な足場に……」
 足下は濁流。微妙に出っ張っているのか手近な足場は手を伸ばしても届くかどうか。
「む……無理っぽいです……」
 正直な所が、絶望的である。
「おいクルト」
「な、なんですか?」
「届くとどかねえ別で足場はあるか?」
「あ……あの、まさか」
「あるなら投げる。無いならドボン。さあどっ……」

 言葉は最後まで聞けなかった。
 答えを返すことは出来なかった。
 自分を支える手の一つが不意に解ける。
 支えきれなかったもう一つの手も解ける。

                    っ!!」

 唐突に聞こえた乾いた銃声。

 それが、エリク・クラウスの最期だった。

1995.6.6

 天で炸裂するはずだったそれは、地に墜ち、激しく大地を振るわせた。

 大地が上げた断末魔は、子供達が肩を寄せる街まで響きわたった。

 突然の揺れ。ただごとでないそれ。知識の有る者は地震の揺れとは違うことを即座に察するが、付けたTVの向こうにまで混乱の余波はありなかなか情報が伝えられる事はない。
 やがて誰か来訪者が来たと思しき会話がマイクに届いてしばし、画面には何も映らなくなった。
 もっとも、その頃幾度目にかになるか解らない迷子の三男を探していた彼等に、そこまで知る術は無かったのだが。
 その二人の所へマイクが駆け込んできたのは揺れから数分後の事。
 知らせに青ざめた表情で走る兄二人。この時ほどサンズは神への恨み言を重ねた事は無かった。
−戦争で、真っ先に割を食うのは他ならぬ子供達さ−
 脳裏を過ぎる父の言葉。
 声を奪うだけでは飽き足らないのかと。

「あ、ついさっき気が付いたとこだよ」
 駆け込んだのは最寄り基地の医務室。
 先ほどまで中尉さんがいたのだろうか、ティーポットからは紅茶の香りが漂っている。
 ベッドの上では頭に包帯を巻いた弟が逆立った頭髪を気にしている。。
 恐らく傷の縫合の為に剃ったのだろう。自重が足りずに上を向いた髪は父が捨てたレーヴェ(獅子)の家系によるものに他ならなかった。
「面目ない……本当なら立場は逆だっていうのに」
 その場に居合わせていたエーリッヒ少尉が詫びる。
 オーシア語を教わるのが何時の頃からかソルの日課になっていた。
 この日もそう。あの揺れで崩れ落ちてきた本。
 本当なら彼がソルを庇うはずだったのだが……現状はこの通りである。
 何故と問えば、さもそれが当然だと言わんばかりの表情を作る。
 少しばかり誇らしげな表情に、皆揃ってやれやれと肩をすくめる。
「とりあえず、打った場所が場所だから、精密検査受けた方がいいだろうな。地図描いておくからよ」
「すいません……何から何まで」
 礼を返すサンズを制して、エーリッヒがソルの頭を、頭頂部からうなじの少し上あたりを覆う包帯を避けるように撫でてさらに言う。
「まあ今最も懸念すべき事は、末っ子の頭に部分ハゲが出来るかもしんないって事だよな」

幸いだったのは、今の俺の髪形ならそう目立たないって事かな

「ついてないわね」
 その一瞬、彼女が呟いた言葉はそれだった。
 突然の揺れ、突然の熱風。
 バイクから投げ出された先が柔らかい土の上だったのは不幸中の幸いだったと。
 それでも打撲は避けられず、投げ出されたその場所から空を見上げていた。
 秘密警察に一週間近く追い回されるとは思ってもみなかった。
 そこで知った。ここ数日事務所単位で干されていたはずの長男が少し多忙になった理由を。
 戻ったら何と言って話を切りだしてやろうか。
 自分の逆鱗に触れることを恐れて黙っていたのだ。
 心底震え上がらせてから白状させて締め上げてやるのも一興かもしれない。

 そんな事を考えられたのは、ついさっき自分が超えたはずの山の方を振り返るまでだった。
 喉がうわずっているのは、心なしか震えているのは、現実感を得られず笑いがこみ上げているせいだ。
「な、何……アレ……」
 冗談のような光景とは正にこの事を言うのだろう。
 自分が超えてきた山は上半分が削ぎ取られ、代わりに今時幼児向けの漫画にだって描かれないようなキノコ雲が立ち上がっている。
 それだけで何が起こったのか悟るには十分だった。
 自分が幸運だったことを悟るには十分だった。
 一生分の幸運を感じるには十分だった。

 赤々と染まった空に雨雲が混じり始める。。
 ぽつりと落ちた滴が、白いバイクスーツに黒い染みを落とす。
 それが右頬にしみる。
 折れたバイクのミラーに映った患部に、一瞬悲鳴が上がりかける。
 右腕の違和感と痛みに気付いたのもその時だ。
 焼け残った繊維が肌の表面に残っている。
 合成繊維を主としたものであったならきっともっと悲惨な状態になっていただろう。
 その自覚を待っていたかのように、黒い雨を拒絶するように、相応の痛みが走り始める。
 重くなった髪を掻き上げようとした手にまとわりつくものには流石に悪態を付いた。
「……最悪」

 ここ数日、夫達を空で見なくなったと聞く。
 一瞬脳裏に浮かんだ最悪のシナリオ。
「らしくない……あの人がそう簡単にくたばるわけ無いじゃない」
 笑って否定して、ほんの少し焼けこげた鞄を開ける。
 最初に飛び出してきたのはレジスタンス達に渡された……今や彼等の形見となってしまったヘアウィッグ。
 その下から他の荷物に押し込められてすっかり薄っぺらくなってしまった黒いレインコートを引きずり出す。
「まさか本当に役に立つなんてね……」
 彼女は死の雨を逃れるように走り出す。
 今生きてる幸運がここで終わらないよう、この幸運が自分だけに留まらないよう。

 そして、何より最愛の人の無事を祈って。

でもあの人達のお陰で、俺達はギリギリまで笑顔でいられたんだ

 目の前の女性士官が、椅子にもたれて両足を放り投げている自分を見下ろしている。
 片腕は両足と同じように。もう片方の腕は目の上にすっぽりと覆い被さっている。
「……荒れてるわね」
 荒れないはずがない。結局自分は何も出来なかった。
 あの人のように足掻いたのでも無ければ、何を成そうとしたのでもない。
 ただ傍観していた。何も出来なかったのではない。何もせずにいた。
 麻酔が切れる度に脱走を試みる男の見張りを買って出たのは、彼を逃がすためではなく我が身可愛さからだった。
 吹き飛ばされた指の痛みも手伝い疲弊しきっていた男が目で訴える。
 自分を責めるな、と。
 憎まれた方が良かった。恨まれた方が良かった。睨まれた方が良かった。
 守ろうとした街が消えたことを平然と告げてのけた上官を撃ち殺して自分も死んでしまえば良かった。
 そんな懊悩ばかりがステファンの脳裏をかき乱していた。
 彼の理性を保っていたのは、彼女が告げた言葉だった。
「……まだ国内を彷徨いてるご婦人と、遺体の見つかっていない部下二名の捜索があるでしょう?」
 そう。自分の手に、ひょっとしたら引っかかっているかもしれない命。
「亡命した家族達の方も、放って置いて大丈夫なのかしらね」
 そして、彼が守ろうとした子供達の未来が。
 そこまで解っているのに、体がついていかない。
 どうしたらいいのか解らない。

 違う。ただ恐かっただけだ。

1995.6.7

 冷たい部屋にも丸一日いると慣れてくる。
 ……指の痛みも引いてきた。いや、感覚が麻痺して来たと言う方が正しいのか。
 もう吹き飛んで無いはずなのだが、時折酷い痛みに襲われる。
 まだ諦め切れていないらしい。往生際が悪い自分に溜息が零れる。
 だがこの痛みのお陰で助かった事もある。
 内通者の存在をしつこく尋ねてくる連中の尋問もコレに比べれば苦ではなかった。
 ついでに言うと「お前の後ろだ後ろ」と笑いが零れてしまう事が無かった。
 そして何よりステファンの状況の方が悲惨だった。
 上官の前では平静を装っていたが、その反対側で泣いてる。
 贖罪を求めて自分の前でうなだれる青年に、何度も言った。自分を責めるんじゃないと。
 何より今妻や子供達を守ってやれる一番近い場所にいるのにそれでは困るんだと。

 大丈夫、子供達は無事。
 妻もまだどこかで頑張っているらしい。
 なのに、自分はこんな所で何をしているのだろう。

 意識がもうろうとしたまま眠りに落ちずにいる。
 業を煮やした連中に薬を打ち込まれてからずっとこの調子だ。
 両手を拘束していたロープは壁にこすりつけていたお陰か少し緩くなってきていた。
 だがこの状態では解いてもまた結び直されるか頑丈な手錠をかけられるかのどちらかか。

 またドアが開いた。嫌みったらしそうなお偉いさんの後ろにステファンがいる。
「いい加減、話す気になったか?」
 だからお前さんの後ろにいるってのに、どこの三流コントだこれは。
 今更髪を掴まれようが、文字通りの踏んだり蹴ったりに比べれば、失った指の幻肢痛に比べれば、どうと言うことはなかった。
「話せ。誰が貴様の目論見に手を貸した?」
 だから、まさかと思った。
「……。……」
 自分の口から零れた言葉に、我が耳を疑った。
 目の前の男も同じだった。
 一気に血の気の引いた表情をステファンに向ける。
 その言葉を聞き取れていない彼でも解ったらしい。バレた、と。

 次の瞬間、一発の銃声が狭い部屋に響く。

 目の前で起こったことを、信じられずにいた。
 頭を吹き飛ばされて倒れている上官。
 大きく肩を上下させながら、指の吹き飛んだ手で拳銃を構えている隊長。
 自分の真横で、微かに硝煙の匂いが上がっている。肩が、ほんの少しだけ痛かった。
「隊……長……?」
 よろめいても、すぐに体勢を持ち直す。
 自分のしたことが信じられないのか、奇遇にもその男が彼から奪った自らの愛銃……デザートイーグルを手にしたまま頭の吹き飛んだ男を見下ろしている。
 逃げなくては、この人を連れて一刻も早く。
 あの時何もできなかった罪を僅かでも精算せねば。
「隊……っ!」
 だが、その手は振り払われた。突き飛ばされて背中をしたたかに打つ。
 穏やかな顔のまま、銃口が向けられる。
 今更、納得のいく形でない死を与えられることを拒絶しようとは思わなかった。
「お前に何かあったら、誰があいつら纏めるんだよ」
 そのまま鳩尾に鈍い痛みが走ると同時に、ステファンの意識はあっさりと闇に沈んだ。

 案の上基地内部は大騒ぎになっている。あの状況で、ステファンが無事だったのは部下のよしみだからで片づいてくれるのだろか。
 頭がだるい。意識がもうろうとする。
 無理もない。元々脳をそう言う状態にして聞き出すのが自白剤だ。
 とにかく逃げなくては。
 薬が何時切れるのか、そして再び打ち込まれて縛り上げられたら次はない。
 落とす物を落として軽くなった機体を奪って逃げるしか思いつかない。
 もっと冷静に、もっと落ち着いて。この手でそれをやったら墜ちるか落とされるかだ。
 そして何より……。
「いたぞ!」
「……!」
 銃声、次に響く悲鳴。
 今の自分と同じように手の指を吹き飛ばされた男のものだ。
 良心の呵責というものが一切削ぎ落とされているのが自分でも解る。

 ステファンの上官も含めれば、既に5人近く殺している。

 だから焦った。このまま人として、自らの最低限の一線まで超えてしまいそうだった自分を恐れた。
 出来たはずだ。銃を取り落とすに済ませるぐらい。あの死は、不必要なものだったはずなのに。
 そして何より、こんな副作用が知れればさらなる悲劇を引き起こす引き金になる。
「まだ薬は効いてる!生け捕りにしろ!!」
 自分があの男を射殺したから、恐らく効果有りと踏んだのだろう。
 そして不運にもその声のした方向に、格納庫への道があった。
 不運とは、決してバルトにとってのそれではない。
「……ベルカの若獅子を舐めるな」
 頭の中に、舌の上に、立った一つの単語を並べながら廊下を駆け出す。
 案の定飛んできた麻酔弾が数発当たる。
 だが、その勢いを殺すにはあまりに不十分すぎた。

 殺すな。殺すな殺すな殺すな!!

 考えていたのはそれだけ。実弾も数発掠めたが、致命傷を負わせるには到らなかった。
 走った。ただひたすらに、ただ無心に。
 T字路で女性士官とすれ違ったとき、背後で硝子の割れる音がした。
 回り込めと声がする。まだ諦めてはいけない。
 まだ全てを投げ出してはいけない。
 まだ諦めてない人達が居る。
「でもちょっとくじけそうかも……」
 無理にロープを引きちぎったせいで手首の皮がこそげ落ちたような状態になっているのに今更気付いた。
 そしてやはり、気付いてから痛くなる。
「いたぞ!!」
「!」

 何処まで走ったのだろう。
 何処を走っていたのだろう。
 何時から私は、救いのない道を走り始めていたのだろう。

 そして、その道が今は自分の足下に、20年以上に渡ってすがりついている。

「……最後に辿り着いたのは彼の御元……ってか?」
 よりによってあの下見で見つけた石像の前に辿り着いてしまうとは。
 後頭部に突き付けられる冷たい感触。
 文字通りの崖っぷちに、やることは一つだったろうか?
「34人……三半規管もイカレてるはずなんだが、よくまあここまで殺れたもんだ」
 そんなに殺したのか?
 不意に自分の罪状を突き付けられ、うまい具合に転落するタイミングをのがした。
「さて、今度こそ……」
「どいてくれ!一体何があった!?」
 聞こえてきたのは、正直一番聞きたくない声だった。
 寄りによって最悪の……いや、ひょっとしたら最良なのか?
 殆ど無造作に銃を突き付けていた男を撃ち殺す。
 次に……やって来たアシュレイに銃口を向ける。
 周囲で銃口を向けている連中は、怯えて動こうとしない。
 アシュレイも似たような状態なのか、ただ呆然と死を待っているようだった。

 この男は、いつか取り返しの着かない罪を犯す。
 ただ一つの生き方しかしらない。その一つがよりにもよって、少なくとも自分達に取っては最悪のそれ。
 なのに、引き金を引けなかった。
 薬に犯されている中で残っていた一欠片のプライドが、幼い記憶の中に残る拭いようの無いトラウマが、それを許してはくれなかった。

 ……甘いな、俺も。

 また誰かが来る。麻酔銃が撃ち込まれたが、免疫が着いてしまったのか全く効いていなかった。

 ……50手前の年寄りの命に貴方が価値を見いだすのかは解らない。

 己のこめかみに銃を向けた男へ、もう数発の麻酔弾が打ち込まれる。

 ……願わくば。

 アシュレイが止めようと掴みかかるが、その程度では揺らがなかった。

 ……子供達が憎しみや悲しみに囚われた生を歩むことの無いよう。

 脳裏を過ぎったいくつもの言葉。

 ……自分のように、あっという間に疲れ切ってしまう事の無いよう。

 先に逝った友への詫び。置いて逝く事になってしまう部下への詫び。
 今頃必死で自分を追いかけているかもしれない妻への詫び。
 家族に背を向けて、戦うことを選んでいた長男に話したかったこと。
 幼い双子への、せめてもの願い。
「よく見ておけ。人が死ぬというのはこう言うことだ」
 ついでにコレで目の前の男が少しは考え直してくれればいいんだが。

 ……せめて、最後は空で。

 引き金を引いたその一瞬、零れた物がなんだったのか、もう解らなかった。