ACE COMBAT 5
The Unsung War

…The Unsung War…
……The Unsung Hero……
...The Unsung Dream...

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 初陣の時、人の生死という倫理観は頭の中になかった。
 あるのは、全てを失うかもしれない恐怖と、やらねばやられると言う開き直りだけだった。
 −ISAFノースポイント基地に残されていた手帳より−

ブレイズ

 ダヴェンポート少尉とくじを引いて、俺は4番機に決まった。
「ほーれ。そんな顔してっからツキも逃げてっちまうんだぜ」
 彼なりに気を使ってくれる。そう思ったが、少なくとも今日明日のツキには逃げられただろうな。

 ついさっきまで、この部屋は相部屋だった。
「おーどうしたー?」
 そんな声は、もう聞こえない。部屋に呼ぶほど親しい友人もいないから、しばらく静まり返るのだろうな。
 開きっぱなしのノートPCが置かれた机、戦闘機模型の部品が散らばった机。本当ならそのままにしておきたかったが、生憎PCは共有で、片づけざるをえなかった。
 その時、PCが急に音を立てた。マウスが揺れたのだろう。
 どうやらつけっぱなしにして放置していたために、自動でスタンバイになっていたらしい。
 映し出された画面には、垂直尾翼に青いリボンのエンブレムをつけた漆黒の機体。
 画像の一番下に、こう書かれている。
「英雄を求める空が戻らぬ事を願う」
 その空は戻って来る気がしてならなかった。でも、彼は出番が来る前に逝ってしまった。
 その部屋に満ちていたのは、ぽっかりとした空虚感……それだけだった。

「こちら空中管制機サンダーヘッド。国籍不明機を強制着陸させよ。なお、命令があるまで発砲は禁ずる」
 翌日……再び国籍不明機が領空侵犯しているとの連絡を受け、俺達は飛び立った。これが、俺達の初陣。発砲禁止……のっけから不安が募る話だ。
 ダイヤの編隊を組んで目的地へ向かう俺達……相変わらず編隊飛行は苦手だ……ぶれた機体を何度整えたことか。
 ある教官には破天荒と言われ、ある教官には化けすぎと言われ、地上にいるときとの落差になぞらえてつけられたのが炎を意味するコールサイン……ブレイズだった。
 兄のような飛び方はできない。それでも編隊を保とうと、のろのろと付いていく事に。
「こちらハートブレイク・ワン。各機応答せよ」
「2番機、了解」
「3番機、了解」
「4……」
 ワンテンポ遅れて応えようとして、隊長の声に遮られた。
「おい、ブービー、どん尻、最後尾、聞こえているか?」
「……了解」
 ブービーというのは、童顔のルーキーにつけられたあだ名ではありませんでしたか?
 いやそこまで詳しく知っているわけじゃないが俺の口がそう返すことが出来るほど回れば、コールサインはまた別なものになっていただろう。ひょっとしたらブービーの名が全く持って似合わぬ顔立ちにさえなっていなかったかもしれない。考えていても仕方がないが。
「返事だけは一人前だな」
 そう言われる分まだ良いと思うしか無いだろう。声は、声でだけはポカをしたくないのが本音だった……って、さっき早速やってしまったばかりだったよオイ。
「ふー……くじで3番引いて良かったぜ……」
「五月蠅いぞアルヴィン・H・ダヴェンポート少尉。お前もあだ名で呼んで欲しいか?」
 キジも鳴かねば……いや、わざとだなこの場合。
「自分を呼ぶのならチョッパーであります。それ以外では、応答しないかもしれないであります」
「よーしわかった。だが心の中では別の名前で呼ぶことにする」
「マジかよ」
 強張っていた体が、少し楽になる。チョッパーと、隊長の、このやりとり一つで、気分がほぐれた。俺には、真似の出来ない芸当だろう。
「と、お客さんだ。行くぞ」
 その緩みも、すぐに捨てなければならないことになるのだが。

 肉眼で確認出来る位置まで見えてきた国籍不明機。ゆっくりと、その周囲を旋回する。
(方向転換の時、チョッパーにぶつかりそうになったのは伏せておく。やはり慣れないことは無理にするもんじゃない)
「俺が良いと言うまで撃つんじゃないぞ」
「……了解」
「よーしいい子だ」
 願わくば、撃つ必要が無いように終わってほしい……期待は……実は殆どしてない。突然ためらい無く彼等を撃ち落としたのと同じ連中だったら?操縦桿を握る手が汗ばむ。豆粒ほどの期待が、現実になることを祈りつつ不明機を睨む。
「おい。お喋り小僧チョッパー。お前には漫談の才能がある。降伏勧告をやっちゃくれんか?」
「俺のあだ名はそれかい……隊長にお任せするであります」
「俺は人見知りするんだ。いいからお前やれ」
「あー、国籍不明機に継ぐ、国籍不明機に継ぐ……」
 チョッパーの降伏勧告は、全く効果が無いように見えた。だが事前に受けたというミサイルのためか、その動きもぎこちない。不安は、形を成してそこまで来ていた。

「方位280度から高速機接近中。命令があるまで発砲は禁止する。繰り返す、命令があるまで発砲は禁止する」
「行くぞ」
 了解の声がだぶる。悪い予感が大きくなる。洋上に並ぶ戦闘機。俺達の先頭にいたのはチョッパー。大丈夫か?戦闘になるのか?不明機を挟んで反対側にいた俺が最後尾につく。
「うわぁ!撃ってきた!!」
「!」
 視界に機銃の火花が見えるのと、チョッパーの声が聞こえるのはほぼ同時だった。
 そして、ワンテンポ遅れて加速する。
「ウォードック、発砲は禁止する!発砲は禁止する!」
「向こうは実弾だぞ!このまま黙って落とされろって言うのかよ!」
 チョッパーとすれ違うまで、カウントダウンを開始。
……5。
 サンダーヘッドの声は、俺の耳に届いていなかった。
……4。
 はたして、どちらが先立っただろうか。
……3。
 俺が機銃を撃つのと、
……2。
「……ウォードック全機に告ぐ、発砲を許可する」
……1。
 バートレット隊長の発砲許可は。
……0。

 時間が、嫌にゆっくりと、世界中の音が消えたような錯覚。俺の視界に映ったのは、すれ違うチョッパー機、一瞬小さな穴の開いた国籍不明機のコックピット。
「……!」
 そして、それが真っ赤に染まった瞬間、時間は正常な流れを取り戻し、世界に音が戻って来た。
 ……殺した。俺が、間違いなく。何か、冷たいものが背筋を通った感覚。
 現実は、普遍的だったはずの倫理が壊れて尚それを考えることを許してくれなかった。
「ウォードック!発砲は禁止する!命令に従え!!」
「……ぁ……!」
 この石頭。そう叫ぼうと……していたはずだ。ミサイルアラートにかき消されたか?それとも、声を出すのをしくじった?
 急上昇。真上の敵を狙い撃つ。まだいる。

 殆ど、何も見えなくなっていたような気がする。ただレーダーと空を交互にみやり、目に付く敵全てを撃ち落としていく。それだけだった。
 兄の死に動じなかった、動じなかったと思っている自分が、敵兵の死に明らかに動揺した。
 何故だと、問いつめたかった。
 全身にかかる重力。それが、何かを狂わせていたのかもしれない。

「Stall!Stall !」
「……え」
 失速を知らせるアラート。いつもなら、まずしないような事を……!
「くっ……うっ……!」
 重力に逆らうべく、操縦桿を引く。こんな所で死ぬつもりは毛頭無い。
 ……死にたくない。死んでたまるか!
 機首を上げた目の前に敵機のエンジンが見えた。ためらい無く、ミサイルを2発撃ち込み急上昇する。
 それで最後だった。予想外に上がった高度から、ナガセ少尉が敵機を撃墜するのが見えた。
「国籍不明機、全機撃墜を確認」
 もう、レーダーに敵機の影は無い。
「はぁー……」
 チョッパーの声も、ナガセの声も、俺の耳には入っていなかった。ただ……酷い疲労感だけが、背中にのしかかっていた。まだ着陸もしていない所で、ヘルメットをかぶったまま、操縦桿に額を預けるようにして、大きく溜息をついた。
「……い、ブービー。生きてるか?」
「あ……はい!」
 そうだ……戻るまでが任務だ……。
「よーし。今日は全員生還の良き日だ。今後お前は何処にいてもブービーと呼ぶ。いいな、わかったな?ブービー」
 もはや、隊長の言葉に声を返す余裕も無くなっていた。
 昨日の今頃脳裏によぎった馬鹿な考えは、この時点で消え失せた。
 地獄なら、とうに見たとさえ思っていた。
 だが、見るのと、作り出すのは、全くの別物だと思い知らされる。

 地面に車輪がついても、まだ機から降りられずにいた。ヘルメットから解放された顔に吹く風はまだ残暑が厳しいにも関わらず冷たく感じた。降りないと……汗の滴をぶら下げた髪を掻き上げ、降りた目の前に、バートレット隊長がいた。
「おいブービー」
 初陣で、失速するわ、帰れば冷や汗でぐっしょり、多分鏡を見れば真っ青な顔をしているだろう自分……情けないな。
「ったく、俺は後追いさせるために指名したんじゃねーぞ」
 脳天に拳骨をもらった。
 無理もない。後々聞いた話だとチョッパーの愚痴にも、ナガセの援護にも殆ど無言……敵機全滅後の「生きてるか?」の声もそれが原因と見て間違い無かっただろうな。

 さすがに地に足がつくと少しずつだが息が楽になって来る。
 いい加減戦闘機の羽が作った影で涼むのをやめ、戻ろうとしたとき、人とすれ違った。
 メガネをかけた、いかにもインテリですと言わんばかりの男。
 服装から考えて、後ろにある空中管制機から考えて……。
「お前にまで死なれたら申し訳が立たん」
「……善処する」
 サンダーヘッドだろうな。それでもあくまで、職務に忠実に……か。
 休憩室につく。ソファに腰掛けたら、そのまま背を預けた。
 人を殺した。その現実だけが、未だ脳裏にこべりついている。

チョッパー

 ブービーが何処行ったかと思ってコーラ持って探してみたら、あいつ一足先に休憩室に陣取ってやんの。それもナガセの指定席だって暗黙の了解があるソファの上に。
「ほれ。ご苦労さん」
「……あ。どうも」
 なるほどねえ……あいつが飛ばしたくないって言ってたのが今更ながらよくわかるわ。兄貴でなくとも心配だこりゃ。
「さっきは助かったぜ。それと、ここはお姫様の特等席だぜ」
「あ……うん」
 覇気の無い奴……いや、俺だって人のこと言えた義理じゃないがこいつの面構えでやられるとギャップがすげーな。

ブレイズ

 そのままチョッパーに引きずり出される形で軽く散歩する事に。彼の愛犬も一緒に行くと。
 ……この疲労が精神的なものならその方が精神衛生上良いはずだしな。
 進行方向にいた逞しい中年……みんなは、おやじさんと慕っている航空機整備員。もちろん俺も例外なく世話になってる。
「お。ブービーか。ちょっと見てくれんか?」
「おやじさんまで……」
「ははは。もう諦めな。ブービー」
 言われて、見せられたのは……中心に青い石のはめられた、ヒビの入った十字のネックレス。
「浜辺に流れ着いていたのをカークが拾ってきた。これ、ひょっとすると……」
 頷くことで、肯定の意を示す。
 兄の形見。それは俺の手元に滑り込むのを待っていたように右の部分がぽっきりと折れた。
 短い、しかし切れていない鎖。それは、持ち主が生きてるはずがないことを悟らせるには十分だった。
「おい?大丈夫かブービー」
「ああ……一応」
 喉から無事零れる声に安堵する。
 受け入れるのにも、正視するのにも、まだ時間がかかりそうな現実。
 一度空に飛び立てば、そんなことを考える余裕も無いことは、思い知らされたばかりだった。

 飛ぶ理由が……ぽつぽつと増えていく。

 この作戦に関して箝口令がしかれ、発砲禁止命令を破ったバートレット隊長が上から譴責のためにこってり絞られていた。その事を知ったのは、まだ疲れのとれない体で休んでいるときに、記者さんと隊長の話を盗み聞きしたときである。