Frank Friedrich
フランク・フリートリヒ
Male Age38 BELKA
Tiger F-5E 95.04.02クロスボー作戦にて撃墜
戦闘訓練に赴き、敵部隊の戦闘飛行をシミュレートする、
アグレッサー部隊に所属、戦況悪化により前線へ配置転換された。
現在はノースオーシア州ハイエルラーク空軍基地で指導教官を務める。

Felix Boesch
フェリックス・ボーシュ
Male Age29 BELKA
Blitz J35J 95.04.02クロスボー作戦にて戦死
ヴァレー空軍基地の際、行方不明に。戦後山中から遺体発見。
デンタルレコードにより身元を確認。遺品及び亡骸は遺族の元に
返還されている。

Rudi Kaltz
ルディ・カルツ
Male Age28 BELKA
Dryade F-4E 95.04.02クロスボー作戦にて戦死
87年に志願兵としてベルカ空軍入隊。
ベルカ軍のウスティオ侵攻作戦において優れた戦績を残す。
ヴァレー空軍基地空戦で、同基地所属の傭兵部隊に撃墜され戦死。

Oswald zbaermann
オズワルド・ベイエルマン
Male Age34 BELKA
Regen F-117A 95.04.02クロスボー作戦にて撃墜
終戦後、南ベルカ(現ノースオーシア)に潜伏。数人の元ベルカ軍
兵士を率い、テロ組織「暁の鷹」を結成。オーシア連邦中心に於いて
発生した、7件のテロ事件に関与。現在逃亡中。

Karlheintz Litbarski
カールハインツ・リトバルスキ
Male Age42 BELKA
Wal XB-70 95.04.02クロスボー作戦にて撃墜
戦前はベルカ空軍航空試験班に所属。試験飛行時間6000時間の
記録を保持、開戦間もなく前線に移動。現在は、オーシア国防空軍
航空技術開発局顧問に就任する。

Geld Vogtz
ゲルド・フォクツ
Male Age33 BELKA
Glueck J35J 95.04.15ローゼンライン作戦にて撃墜
過去12回の航空遭難事故を経験、生死に関わる事故も経験しながら、
幾度となく生還した逸話は、所属した航空部隊では伝説と化している。
退役後はベルカ公国首都、ディンズマルクで生活を営んでいる。

Lothar Fink
ローサー・フィンク
Male Age38 BELKA
Kritiker F-1A 95.04.15ローゼンライン作戦にて撃墜
戦中、核所有情報漏洩の罪状で軍事裁判にかけられるが、証拠不十分で
訴えは棄却、終戦まで軍に在籍したが、上記疑惑のあおりで以降の軍歴
には恵まれなかった。戦後は反戦活動家として活躍する。

Johann Braess
ヨハン・ブレース
Male Age35 BELKA
Storch A-10A 95.04.15ローゼンライン作戦にて撃墜
終戦を機に退役。現在は海洋資源開発技術者として、ベルカ北方の
海洋資源開発に従事する。次世代資源として注目される、
メタンハイドレートの採掘に尽力を尽くす。

Manfred Netzer
マンフレート・ネッツァー
Male Age27 BELKA
Wuerfel Mirage2000D 95.04.15ローゼンライン作戦にて戦死
171号線空戦に於き撃墜される。回収された遺体及び妻と
幼子に宛てた日記帳が回収される。戦後、その日記は
「愛しき薔薇への手紙」と題され出版、ベストセラーとなる。

Herrick Engel
ヘリック・エンゲル
Male Age42 BELKA
Harpune F-15E 95.04.15ローゼンライン作戦にて撃墜
元アンファング飛行教導隊隊員、開戦に伴い前線に配置される。
戦時中はB7Rに於いての兵員運用、空戦術などの根本的見直しを提案
終戦後、戦闘に於ける機体損耗率軽減にも尽力した。

Detlef Fleisher
デトレフ・フレイジャー
Male Age28 BELKA
Rot 1 Typhoon 95.04.20チョーカー・ワン作戦にて撃墜
95年某日、B7Rに於き撃墜される。負傷を機に地上に降り、
その後は将校として基地司令の道へ進む。終戦後は、
ディンズマルク大学所属の歴史学教授とし、日夜教鞭と研究に勤しむ。

Jurgen maier
ユルゲン・マイヤー
Male Age29 BELKA
Rot 2 Typhoon 95.04.20チョーカー・ワン作戦にて戦死
ハイスクール卒業直後にベルカ空軍に入隊、過酷なトレーニングを
経て、第2航空師団52戦闘飛行隊に配属される。
ウスティオの「チョーカー・ワン」作戦中に撃墜、戦死。

Helmute Schnellinger
ヘルムート・シュネリンガー
Male Age31 BELKA
Rot 3 Typhoon 95.04.20チョーカー・ワン作戦にて戦死
作戦行動中に撃墜され、ゲベレー山付近に墜落。遺族団による遺骨回収
調査も行われたが、機体の残骸以外は発見されていない。
政府による公式報告に対し、遺族は現在でも不満を訴えている。

Karlheintz Sammer
カールハインツ・ザマー
Male Age28 BELKA
Rot 4 Typhoon 95.04.20チョーカー・ワン作戦にて戦死
ウスティオの「チョーカー・ワン」作戦中に撃墜され戦死。
直接原因は脱出装置不具合による全身打撲と推定。
遺体は山中から奇跡的に発見、遺族に返還された。

Otto Haber
オトー・ヘイバー
Male Age32 BELKA
Tausend X-29A 95.04.20チョーカー・ワン作戦にて撃墜
戦争終結とともに空軍を除隊、軍出身者を集めた民間調査会社
を設立。情報によるとその業務内容に不明な箇所はなく、
オトー・ヘイパーを含めた社員の危険度も低いものと推定。

Bernhard Schmidt
ベルンハルト・シュミット
Male Age38 BELKA
Grun1 F/A-18C 95.04.20チョーカー・ワン作戦にて撃墜
戦場を読みとるその眼力から「梟の目」と呼ばれた。
B7Rに於いての、ウスティオ傭兵部隊との交戦で撃墜。
退役後は以前住んでいた町に戻り、現在も同地区に居住する。

Fabian Rodt
ファビアン・ロスト
Male Age29 BELKA
Grun 2 F/A-18C 95.04.20チョーカー・ワン作戦にて撃墜
ベルカ戦争終結後に失踪。現在は圧政下の東部小国解放義勇兵とし
て活動との情報もあるが、詳細については不明である。

Ulf Scholl
ウルフ・ショル
Male Age28 BELKA
Grun 3 F/A-18C 95.04.20チョーカー・ワン作戦にて戦死
ベルカ空軍アカデミーを主席で卒業、その後空軍に入隊。開戦以前より
配属されていた、第10航空師団第8戦闘飛行隊於き初実戦参加、
同部隊に於き、23回目の出撃にて撃墜される。

Fritz Forster
フリッツ・フェルスター
Male Age26 BELKA
Grun 4 F/A-18C 95.04.20チョーカー・ワン作戦にて戦死
ベルカ空軍には、テストパイロットとして採用。類い希なる飛行技術で
徐々に頭角を現し、開戦直前に前線部隊へ正式移動。
その数ヶ月後に戦死、遺体は未回収。

Arne Babbel
アーネ・バッベル
Male Age38 BELKA
Grau Falk 1 TNO-GR.4 95.04.20チョーカー・ワン作戦にて戦死
B7R南方で大きな戦果を挙げた、グラオファルケ隊1番機に搭乗。
92年に第5航空師団から第3航空師団第4飛行隊に異動。対地攻撃では
ベルカ空軍の中でもトップクラスの成績を残した。